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1-07-2 好きな人(2)
初恋の思い出。
片時も忘れることはない。
僕は、昔を懐かしみながら、ジュンに語り始めた。
そう、あれは夏のある日。
僕が小学生だった頃だ。
クラスの生徒達は、体育の授業で校庭の鉄棒のところに集合していた。
僕は生まれつき体が弱く、病気がちだった。
今でこそ、だいぶ丈夫になった。
でも、当時は体育の授業も見学することも度々あった。
そんな子は、いじめの対象になりやすい。
僕もご多分に漏れず、クラスでは弱虫だの、もやしっ子だの言われ、よくからかわれていた。
ただ、悪口を言われるだけなら、そんなにつらいことではない。
我慢すればいいだけだ。
でも一番つらいのは、人が簡単にできることが、僕にはできない、ということ。
それは僕の自尊心をいたく傷つけた。
走るのが遅い。
短距離走はビリだし、長距離走に至っては最後は一人で走るはめになり笑いものになる。
ボールをちゃんと投げれない。
もともと、ボール遊びをしてこなかったから当然といえば当然。
女の子投げ、とからかわれてから、ボールを投げることが恥ずかしくなった。
サッカーに至ってはボールを蹴ったつもりで空振りして転ぶ、なんてことがよくある。
マット運動も、跳び箱もだめ、縄跳びもだめ、だめなものばかり……。
悔しい。
周りの大人は、「病気だからしようがないよ」と僕を慰める。
病気のせいにするのは楽だ。
事実、僕はその言葉に甘えていた。
だから、ずっと、何も努力をしてこなかった。
でも、その日。
僕は、そんな自分を変えようとしていた。
その日の体育の授業は、鉄棒だ。
僕は、かねてより、逆上がりの練習をつづけていた。
同学年でも、まだ逆上がりができない子もいる。
でも、ごく少数だ。
もうすこしで、できる。
やり方のコツはすべて頭には入っている。
あとは、体がうまく動いてくれれば……。
今日は、絶対に成功させるぞ。
僕はいつになく、気合が入っていた。
ところで、僕は、上手にできる子をよく観察するようにしている。
クラスで一番上手な子。
彼が僕のお手本。
その彼が先生から指名される。
「よし、やってみろ!」
「はい!」
くるっと、スムーズに回る。
僕は思わず心の中で拍手をする。
すごい。きれい……。
子供ながらに僕は彼を尊敬していた。
というのも、ただ運動ができるだけじゃない。
僕みたいなできない子をバカにしたり、けなしたり、もちろんいじめたりなんて絶対にしない。
本当にできる子というのは、彼みたいに人間自体が大人なんだ、と子供ながらに思っていた。
僕は列の後ろ。
順番はまだ。
僕は脳裏に彼の逆上がりのイメージが焼き付いている。
彼みたいにできるようになりたい。
一心に願う。
僕の番が回ってきた。
よし。
深呼吸をする。
僕は鉄棒を掴んだ。
そして、体を揺らしながらタイミングを計る。
1、2、3。
それ!
足を思いっきり蹴り上げた。
そして、僕の足は鉄棒の上に伸びる。
よし、いいぞ!
腕の引きつけも申し分ない。
いける!
その時だった。
僕の手から鉄棒がスルッと抜けた。
あっ。
一瞬、青空が見える。
ああ、いい天気だな。
そんな事を呑気に思った。
そこからは、スローモーション。
どうして、地面が回転しているのだろう。
いや、自分が落下しているのか。
ゴンという鈍い音。
あぁ、そっか。
僕は鉄棒から落ちたんだな。
目の前には地面が広がっている。
耳に同級生の悲鳴が入る。
大袈裟だよ。
大丈夫、ちょっと落ちただけだから。
あれ?
体が動かない。どうして?
ふわっと、目の前が白くなる。
僕は、そのまま気を失ってしまった。
その後、僕の意識が戻ったのは、しばらく経ってからだった。
最初、ゆらゆらとゆりかごで揺られている。
そんな錯覚を覚えた。
でも違う。
人の温もり。
暖かくて、心地よい。
誰かに抱えられている感覚だ。
僕はうっすら目を開けた。
誰だろう。
ぼやっとしていたけど、やがて焦点が合う。
えっ?
僕は驚いて声に出した。
そう、僕の目に映ったのは憧れの彼。
夢?
「おっ、気が付いたか? よかった。もうすぐで、保健室に着くからな」
彼は僕に優しく言った。
保健室?
僕は状況がうまく理解できていない。
何を言ったらよいかわからず、口をパクパクさせた。
「お前、鉄棒から落ちて気を失ったんだぞ」
鉄棒?
落ちた?
そういえば、頭がくらくらする。
「あっ、何も言わなくていい。黙っていなよ」
次第に記憶が戻ってくる。
思い出した。
そうだ。
逆上がり、できなかったんだ……。
残念。
だけど、この状況……。
尊敬する、憧れの彼が、僕を抱っこして保健室に運んでくれている。
彼は、体が大きく、力があり、たくましい。
あれ?
どうして、おんぶじゃなくて、横向きの抱っこなんだろう。
背負う方が楽なのに。
考えを巡らせる。
もしかしたら、僕が気を失っていたので、優しくそっと運ぶ必要がある。
そう、考えたのかも……。
歩く振動がなるべく小さくなるように。僕の負担にならないように。
きっと、そうだ。そうに違いない。
あぁ、なんて優しい。
僕は、彼の横顔をじっと見る。
真剣なまなざし。
一生懸命に僕を助けようとしているんだ。
トクン。
心臓が高鳴る。
なに?
これは。
どうして、ドキドキするの?
ただ、彼の顔を見ているだけなのに。
時折、彼は、僕の身を案じて、僕の顔を覗き込む。
僕が微笑むと、やさしく微笑み返してくれる。
あぁ。
だめだ。
ドキドキが止まらない。
「なぁ、顔が赤いぞ。つらいのか?」
「ううん。平気だと思う」
「もうちょっとだからな」
「うん。ありがとう」
どうして。
彼の言葉、その声色はなんて心地がよいのだろう。
昇降口に着いた。
彼は、僕を抱いたまま靴を脱いで、靴下になる。
「ねぇ、僕、重いでしょ。ここから歩くよ」
「平気さ。それより、ちゃんとつかまっていろよ」
「うん。わかった」
僕は素直に、彼の言いつけに従う。
自分の腕を伸ばし、彼の首に巻き付けた。
体がより密接にくっつく。
体温が感じられる。
わかった。
あぁ、このドキドキの正体。
きっと恋だ。
僕は彼を、この男の子を好きになってしまったんだ。
だって、体が火照って、こんなに胸が苦しいのに、彼と離れたくないし触れていたい。
ずっと、このままでいたい。
そんな気持ちに気づいてしまったから……。
僕は眼を閉じて彼の胸にもたれかかる。
ああ、なんて気持ちいいんだろう。
こんな事って、僕、初めてなんだ。
「よし、おろすぞ!」
「うん」
僕は保健室のベッドにそっと寝かされた。
彼は、心配そうに僕の顔を覗きこんでいる。
「ありがとう。助けてくれて」
僕は言った。
「助けてないぞ。ただ運んだ。それだけだ」
彼は照れくさそうに言った。
そして、そっと僕の額に手をやる。
「頭を打ったみたいだから、無理せず、目をつぶっていろよ」
あぁ。
駄目だ。
僕の中に生まれた感情があふれ出す。
どうしたらいい?
分からないよ。
体が勝手に動き出した。
そして、僕は、彼の顔を引き寄せ、唇を重ねた。
「本当に、ありがとう」
彼はしばらく呆然としていた。
そして、はっと我に返ると、照れた顔で「やめろよ」といって、手の甲で唇をぬぐう。
そして、プイっと顔をそむけた。
クスッ。
なんか、かわいい。
ふと、彼の膝がすりむいているのに気が付いた。
きっと、僕を抱きかかえるときに、無理な体勢で膝をついたのだろう。
「大丈夫?」
僕は、ポケットからハンカチを取り出し、ちょんちょんと血を拭きとると、止血替わりに巻いてあげた。
「こんなの大丈夫だ」
彼は、そう言うと、「先生を呼んでくる」といって走り去ってしまった。
僕は彼の後ろ姿を眺めていた。
後で、どうして僕を運んだのが先生じゃなくて、彼だったんだろうと不思議に思った。
それで、友達に聞いてみたところ、その時、体育の先生は、たまたまそこにいなかった、とのことだった。
おそらく電話か何かの呼び出しがあったのだろう。
僕が鉄棒から落ちた時、真っ先に僕に駆け寄ってくれたのは彼だった。
そう教えられた。
僕が話終えると、ジュンは、「それから、彼はどうなったの?」と尋ねた。
「それ以来、僕はずっと一途に思い続けたけど、残念ながら中学では学校は別々になり、それっきりなんだ」と答えた。
「そっか、それは寂しいね」
「うん」
「でも、嬉しいな。めぐむも、男の人を好きになったってことでしょ?」
「そう。でも、男も女もないと僕は思うんだ。好きになった人がたまたま男の子だったってことだもん」
ジュンは顔を明るくした。
「そう、それ! めぐむと同じことをボクも思っている。あぁ、めぐむとは何か通じるところがあると思っていたんだ」
嬉しそうに言った。
「僕もそう思っているよ。ジュン」
「お互い、頑張ろうね!」
それ以来、僕達は心を許せる親友になったのだ。
「でさ、聞いている? めぐむ。別の動画のことなんだけど」
僕は、はっとした。
「ごめん、ちょっと今、考え事していた」
「なになに? 新しく好きな人でもできた?」
「もう、違うよ!」
「じゃあさ、片桐先生の話、していい?」
「いいよ」
それから、ジュンの片桐先生の話が始まった。
どこから仕入れてくるのか、片桐先生の個人情報が少しづつ暴かれる。
「もう、それぐらいにしておきなよ。ふふふ」
「好きな人のことを知りたい。その気持ちは押さえられないよ」
「わかるけどさ……」
そんなことを言ってはいても、ジュンはとても真面目だ。
先生の気を引くため、数学を猛勉強し成績上位をキープしている。
質問をしに職員室に出向いたりもする。
健気だ。
相手は、先生で妻子もち、でこっちは男子生徒。
難易度はかなり高い。
でも、僕はジュンを応援している。
こんなにジュンが一生懸命に慕い思い続けているんだ。
きっと、いつかその思いは通じるはず。
そう。
僕のように。
僕はまだ、ジュンに言っていないことがある。
そう、憧れの「彼」のこと。
「彼」は、雅樹のことなんだ。
ごめん、ジュン。
僕と雅樹が付き合っていることは、まだ、言えないんだ。
でも、ジュンに本当のことが言えるようになったら、まっさきに話すから。
「それでね、先生との血液型の相性なんだけどさ……」
僕は、嬉しそうに話すジュンを見てそう思った。
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