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第111話 秋津
母親は尾上誠之助の娘で、尾上は歌舞伎界随一のお家柄だった
尾上誠之助の娘、菊野と清家清明との間に婚姻を持つ事によって、より強固な関係を結ぼうとして行われた婚姻だった
謂わば政略結婚と言っても良い……
その証拠に……夫婦の間に愛情などなかった
母 菊野は清家の跡継ぎは秋津と言い張った
だが父親は……腹違いの静流を 継がせようと躍起になっていた
親の愛も得られなかった秋津は総てを諦めていた
弟………
と言っても口すら聞いた事がなかった
たまに口を聞いても目すら合わせない
冷たい瞳は秋津を見る事はなかった
最初から破綻していた両親の婚姻はそんなに長くは続かなかった
来るべくして両親が離婚した
清家の跡継ぎは秋津にしろと!泉堂高昌を後見人につけた
清家仁左衛門も……無理強いした婚姻に……
秋津しかないと……想っていた
清家清明は離婚した後、晴れて静流の母親と再婚した
すると……秋津は微妙な立場に置かされた
後継者は清家秋津
名目は……掲げられていたが……
父親は……自分など見ずに……ひたすら静流に心血を注いだ
静流の母はひたすら秋津に申し訳ない……と遠慮しまくり……
清家一門に身を置く師弟は微妙な後継者二人を遠巻きに見ていた
秋津は清家など捨てるつもりだった
未練などない‥‥
自分が無力な子供だったから我慢して来ただけだ‥‥
だがバイトしてお金を貯めた秋津は家を出ようと決めた
家は‥‥母親に責任を取って貰う為に借りて貰うつもりだった
子を置き去りにした後ろめたさがある母親は秋津の望み通りマンションを買ってやった
居場所を得た秋津は家を出る決意をした
静まり返った真夜中に秋津は……
バッグ一つ持って部屋を出た
玄関に………清家清明が待ち構えてて……
秋津は驚きを隠せなかった
「………何故……」
秋津が呟くと……清明の後ろから少年が姿を現した
「今此処でお前を逝かせれば……
清家は永遠に秋津を失う事となる
それはさせたくねぇと出て来たんだよ」
皮肉に唇の端を吊り上げて嗤う少年に秋津は………動く事すら出来なくなった
「………貴方は……誰なのですか?」
「オレか?オレは飛鳥井康太!
次代の飛鳥井家真贋だ!」
飛鳥井家真贋……
と、言ったら未来を視る力があると謂われる
その瞳に人の果てを映し勝機を呼ぶ
「………飛鳥井家真贋が何故……俺に……何のご用ですか?」
秋津は警戒していた
「そう警戒するな……
オレは清明に頼まれて此処にいる」
「俺は清家の跡継ぎなど望んでおりません!
欲しいなら静流に与えればいい!
既に余所へ嫁いで行った母親も何も言いませんよ!」
「秋津……清明は癌だ……そんなに長くは……生きられまい
先のねぇ清明は…遺して逝く我が子を気にかけて……飛鳥井家真贋に託した
本当は飛鳥井家真贋は我が祖父源右衛門だが、祖父がオレにやれと言った」
「俺は跡目など欲しくもない!
この家に………俺の居場所などありはしない!
だから出て逝くと言ってる!
清明さんが死んだとしても……
俺には関係はない……
俺は………清家の家の者とは口すら聞いた事がない……
それで残れなんてよく言えるよ」
秋津は侮蔑した瞳を清明に向けた
父親でありながら……
清明は秋津にとって遠い存在だった
片岡の家に遠慮して……
距離を置いた
その結果が……親子とは名ばかりの誰よりも遠い他人以上になった……
清明は秋津の前に立った
「………秋津……我を恨んでおるか?」
「恨みなんか……とっくの昔になくなってます!
恨むって事は……貴方に期待してるから……でしょ?
俺はもう何一つ期待なんてしてない……
だから恨んですらいません!」
何一つ貴方には期待してないんです
………と言われたも同然の言葉だった
「清明さん……片岡の家は気にする事はない
叔父の泉堂高昌も俺の好きにすればいいと言ってます……
ただ……泉堂高昌は弟の静流の方を気にかけてはいますけどね……
なので俺は跡目は要らない!
それでも呼び止める意味が解りません」
秋津は言い捨てた
「………秋津……片岡の家に遠慮して……
距離を置くんじゃなかった………
こんなにも……我に似た……容姿なのに……
誰よりも遠くに追いやっていた……
許してくれとは言わない……
だが……静流はお前の弟だ……
仲良くしてやって欲しい……」
晴明は秋津に懇願した
「清明さん、静流は俺など眼中にはありませんよ?
俺が話し掛けても瞳に俺など映しません…
俺の存在など邪魔だと想っているのでしょ?」
「………秋津………赦してくれ………」
清明は秋津を抱き締めて………泣いた
こんなにも我が子なのに……
自分によく似た存在なのに…
遠巻きにした代償が……
誰よりも秋津を遠ざけてしまった……
「………清明さん……」
秋津は物心ついて一度も……
『父さん』とは呼ばなかった……
清明さん……
そう言い離れて行っていた
稽古も清明は静流にだけつけて秋津にはつけなかった
秋津は弟弟子達と稽古をしていた
片岡の血を引く秋津には才能があった
今更清明が教えずとも……
と言う考えもあった……
「………秋津……我は……そんなに長くは生きられない……」
秋津を抱き締めて清明はそう言った
「………嘘でなく……本当に……」
「………あぁ……末期の癌だ……転移してもう……手の施しようがない……」
「………清明さん……まだ逝くのは早い!
静流が………絶対の地位に着いてない!
貴方が死ねば………跡目争いが起きます!」
「………秋津……お前に後を頼みたい………」
「嫌です!
親らしい事もしてくれなかった癖に!
面倒ごとだけ遺して逝こうとするな!」
秋津は叫んだ
「清家の跡継ぎ…お前がなれ……」
「………御免です!
俺は枠に囚われたくはない」
「………真贋の仰られる通りか……」
清明は……そう言い笑った
清明は秋津を抱き締めたまま……意識を手放した
康太は秋津に
「病院まで運べよ!」と命令した
「……何で俺が!」
文句を言いつつも秋津は康太の言う事を聞いた
病院まで向かい、清明をベッドの上に寝かせると、秋津は横の椅子にドカッと座った
「病気なんて聞いてねぇぞ!」
秋津は本性を出してボヤいた
「極秘だ!」
「………なら俺にも極秘にしとけ!」
「秋津、悲しかったか?
淋しかったか?
孤独で……寒かったか?」
「…………お前に何が解る!」
「オレは生まれた時から真贋で、親と切り離されて祖父に育てられた
親や兄弟とも口を聞く事すら許されなかった……
毎日修行修行……に明け暮れ………
だが祖父が抱き締めてくれる訳もなく……
オレは……淋しかったし、悲しかった……」
「………お前と俺とは違う……」
「似たようなもんだろ?
それでもオレは飛鳥井家真贋として生きて逝かねばならぬ!
お前も歌舞伎界から出ては生きられねぇ…
お前の才能が……離れる事を……許しちゃくれねぇ……」
「……なぁ……」
「なんだ?」
「……飛鳥井家真贋って言えば……未来が視えるんだろ?」
「誰もが視える訳じゃねぇ……」
「………なら……俺は視えねぇのか?」
「視えねぇ事もねぇぞ?」
「………なぁ……俺は……何年経っても舞台の上にいるのか?」
「清家の跡継ぎは俺ですか……じゃなく舞台の上にいますか……か
お前らしいな……」
康太はそう言い笑った
「俺は本当に跡目なんて興味がねぇんだ
だが演じるのは好きだ
だから歌舞伎役者でなくとも演じれれば……
俺はそれで良いと想ってる……」
「お前は片岡の血を誰よりも濃く出してる
そして清家の血を受け継いでいる
演じるが天性………
それ以外になどなれはせぬ!」
「………それを聞いて安心した……」
秋津は立ち上がると康太に深々と頭を下げた
「ありがとうございました!」
と礼を述べた
「秋津」
「何ですか?」
「オレの駒にならねぇか?」
「……君の駒?何をしたら良い?
俺はこの先何をしたら君と離れずにいられる?」
「オレの為に動け!
そしたらオレとは未来永劫……
離れる事はねぇよ秋津!」
「なる!君の駒になる!」
「そうか!良い子だ!
オレの血を分けてやろう…」
康太はそう言うと秋津に口吻けた
秋津の唇を噛み切り……血を流させると
自分の唇も噛み切り……
血が交わり合った
康太がペロペロと唇を舐めると傷はなくなった
「おめぇはオレの駒だ!」
「はい!何時でも貴方の思いのままに……」
秋津は今までの自分を解放させられて……
楽になっていた
この日から秋津は飛鳥井康太の駒になった
康太からの指令なら何でもやった
色んな事を受け入れて逝くうちに……
自分の役割というモノが視えて来た
そんな頃………清家清明はこの世から去った
康太と出逢って……
余命幾ばくもないと言われつつも……
永らえて来た方だと想う
幾度となくオペをして清明は……5年生き長らえた
静流が高校を卒業して……二十歳になるまで……
生き長らえてくれていた
秋津は父親と話をした
「清明さん……いいえ、父さん
俺は静流に跡目を継がさせます
なので父さんは静流が二十歳になるまで……
生き長らえて下さい」
「………秋津……随分無茶を言いますね……」
「気力だけでも踏ん張って下さい!
俺は貴方を死なす気はない」
「……解りました……意地でも静流の成人式まで生きます」
そう約束して……二十歳の成人式の日に……
静に息を引き取った
成人式から帰って来た静流は……
「何故もっと早く教えてくれなかったのですか!」と秋津を恨んだ
「お前に教えれば未来は変わったと言いたいのか?」
秋津は言い捨てた
静流は父の遺体に抱き着いて泣いていた‥‥
「清家の名跡はお前が継げ!良いな?」
「貴方が継げば良いでしょ?」
清家が謂うと秋津は
「俺に清家の居場所があると想うのか?」と問い掛けた
謂われてみれば‥‥‥清家に秋津の居場所はない
それでも秋津は清家の家の裏方に回って父の代理として家を護ってくれていた
「‥‥‥総ての罪を作ったのは‥‥あの家じゃないか!」
「それならお前は清家を捨てるか?」
冷たい瞳を向けられ嗤われた
その瞳に清家は背筋に冷たいモノを感じていた
家を捨てる‥‥
他の人生を逝く?
全く想像など出来なかった
黙りこんだ清家に秋津は
「お前は清家を捨てられはせぬ
ならばお前は名跡を襲名しろ!」
「なら貴方は?‥‥‥家を出て行ってしまうのですか?」
秋津は清家の家には住んではなかった
弟子を纏めて稽古を着けさせ、清家の家を管理しているのは秋津だった
「俺はもう清家の家には住んではない
知ってるだろ?静流‥‥‥」
「清家とは関わりなき者になるのですか?」
「それができたら‥‥‥幾らか楽になれるのにな‥‥‥
俺はあの方のモノになったからな‥‥勝手に出来ない立場にいる
総てを捨てて良いと謂われれば楽になるだろうが‥‥あの方はそんな楽な道など用意はしてくれないのが現状なんでね
俺は変わらず晴明さんのポジションに立ち、お前の襲名をさせる」
秋津はそう言い‥‥清家の肩を叩いて出て行った
こじれに……こじれた襲名披露公演が決まった日
秋津は清々しく笑っていた
静流は秋津の傍へと近寄った
『秋津の目を見て話せよ』と康太に言われたのもある
「………秋津……」
「襲名披露 おめでとう御座います
亡くなった清明さんもさぞ誇らしいと想います!」
秋津は静流にそう挨拶した
「君……康太の駒……なの?」
静流が聞くと秋津は仮面を剥がしたように悪戯っ子のような顔をした
「それは二人きりの時に聞いてくれ!
こんな人の多い所で誰にかに聞かれたらヤバいだろ?」
目を見て話せば……
秋津のぬくもりが……伝わってくる
父を亡くしてからの日々
自分を支えてくれたのは母ではなく……
秋津なのだと思い知らされる
「………秋津……話がしたい……」
「お!デートの誘いか?
良いぜ!今夜舞台が捌けたら楽屋に顔出す」
秋津はそう言い静流から離れた
角界の重鎮が秋津に声をかけてくる
秋津は深々と頭を下げて、その後対等に話をしていた
『飛鳥井康太の駒……』
この言葉の意味が……
今の秋津を見てれば解る気がする
政治家、起業家 大手企業の社長
そんな方達と秋津は話をしていた
秋津を煙たがる輩も……
秋津のバックボーンを想えば下手な事は出来ずにいた
静流は秋津に護られて過ごした日々を噛み締めた
秋津がいたからこそ………
妨害工作もされず……嫌な想いもせずに生きて来られた
母親の力など……清家の家では皆無に等しい
なのに……自由に暮らせた日々は……
秋津がいればこそなのだろう……
一条隼人が秋津に逢いに来ていた
秋津はドラマにも出ていた
どんな役も熟す役者として名を馳せていた
先のアカデミー賞は秋津が総ナメした
静流は……誰よりも美しく舞おうと決めていた
誰よりも華麗に自分しか出来ない演技を魅せる
それが秋津に報いる事だと思った
舞台が捌けて、秋津と静流はホテルニューグランドの展望台レストランに来ていた
「襲名披露公演、無事成功おめでとう」
秋津はワイングラスを高く掲げ美酒に酔いしれた
「秋津……康太と仲良かったのですね」
「まぁね、俺はあの方の駒だからな」
「………なんか悔しい……」
「悔しがるな……俺は康太と共に生きてるお前の方が羨ましいんだぜ?」
「………そんな風に言われたらしい文句も言えないじゃないか!」
「文句、言いたかったのか?」
「うん……でも良いや!
秋津と言う男が解った!
だから……いいや!」
静流はそう言い笑った
康太
君が僕に教えてくれた事は……
本当に沢山あるんだよ
静流はそう思った
秋津は静流と食事を終えると……
「これから動きます!
総ては貴方の想いのままに!」と電話をして……
闇に消えた
飛鳥井康太の駒として生きてく事を選んだ日から……
彼のためにだけ動く
どんな美酒よりも酔い痴れる時間
寸分違わず完遂する事にだけエクスタシーを感じる
もう病気だわ俺……
と苦笑して……
闇に融けた…
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