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重陽(12歳と14歳の話)
「坂を上がったところの神社で、明日、菊の着せ綿を配るそうです」
夕食後、義弟と共に養父の書斎で独逸語を教わりながらそう言った。
「もうそんな季節か」
「綿を被せるのを手伝いに行ったのですが、今年も僕たちとお父さんの分をくれると約束して下さいました」
また寿命が延びるのを楽しみにしようと養父は笑った。
ここのところ口数が少なくなった義弟は、黙々とノートに書き記していた。
お茶でも飲もうよと誘ったのは間違いだったかも知れないと、ほんの少し後悔した。
なんとなく、茶の間の空気が張り詰めているような気がして、お茶が渋い。
卓を挟んで座った義弟は、そんなことにはあまり関心が無い口調で呟いた。
「菊の節句ですね」
自分の気のせいだったかとホッとする。
「今じゃ忘れられてるけどね。…菊の枕って寝心地いいかな?」
「さあ?耳元でガサガサしてうるさそうですが」
「確かに」
「毎年言ってますよ、それ」
「そうだっけ」
「そうです」
本当は覚えてるけど、律儀に答えてくれるのが嬉しいからわざと言ってると白状すれば、どんな表情になるのか。
十中八九呆れられるだろうけど、近頃のあえて感情を殺したような無表情よりは、ずっといい。
「左門の元に宗右衛門の魂が向かう日ですね」
やや唐突な一言だったが、言いたいことは分かる。
「菊花の約?」
「はい」
数年前に初めて読んだ時は、特に引っかからなかったのが、今は少しモヤモヤとした感情になる。不快ではないが、いたたまれないような照れのような気持ちに襲われる。そう感じるのは、おかしいのか。勝手に気まずくて、むやみに中身のない湯呑を玩んだ。
「兄さん」
「ん?」
「どうしてこれが菊の節句の話なのか、分かりますか」
「えっ」
これは、どう答えればいいのだろう。
ゆっくり目を上げれば、怖いくらい真っ直ぐ見られているのに、気がついた。
「梅の時期などでも、成立はしそうですがね。やはり菊なんでしょうか」
「そう、か?」
狼狽えれば動悸がして苦しいし、顔が熱くなってきた。
言葉を探しているうちに、彼は「もう寝ます」と立ち上がった。
「片付けときます。おやすみなさい」
「お、おやすみ」
空の湯呑を二つ盆に載せて台所に去った義弟は、相変わらず無表情で、変な捉え方をしたのは自分なのかとも考えたけど、納得できない。
綿を分ける時になんでそんなことを言ったのか聞こうかとも思ったけれど、その時になっても勇気は出なかった。
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