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第3話 花火の夜に

 雅之のマンションの近所には、それなりに大きな商店街があった。最近は大型スーパーに客を奪われてはいるものの、今でもそこそこ活気はある。  その商店街を、遥と並んで歩く。夕食の買い出しだ。 「あ、今日近所の川辺で花火大会だって」  遥を預かって、もう三日目だった。初日のような衝突はなく、遥の情緒も安定しているように思える。  今も、総菜屋で唐揚げとハンバーグを強請られ買ってやると、ニコニコ笑って満足気にしていた。この年頃の少年は胃袋と機嫌が直結している。  他にも美味そうなものはないかと、あちこちの店先を覗いていた遥は、魚屋の壁に貼られていたポスターを見つけ更に目を輝かかせた。 「なあ、じーちゃん」 「じーちゃんは年寄りだから、人混みは好かん」 「うわ。都合悪くなるとすぐ年寄りってさぁ。……じゃあさ、出店はいいから、どっかから花火だけでも見たい」 「それなら、うちのベランダが特等席だ」  雅之の住むマンションは、花火大会が催される川からは少し離れているが、間にはあまり高い建物が無い。  スカッと見晴らしがよく、花火も実によく見えた。  昔は正晴が花火大会の度に友人を連れてきたものだ。 「え? うそ、マジかよ」 「ああ、本当だとも。だから、今日はごちそうを買いに出てきたんだ」 「へえ! 早く言えよ!」 「驚かせたかったんだ」 「じゃあさ、ケーキも買おうよ」  遥は年相応の無邪気さではしゃぐ。その表情に、愛らしさを覚える。  敏朗に似ているとは、あまり感じなくなってきていた。遥の方が素直で、愛嬌がある。 「ああ。そうだな。この先にケーキ屋があるから、買って来なさい。俺はそこの酒屋にいるからな」  千円札を手渡すと、遥は背負っていたショルダーバックから長財布を出してそれを入れた。 「じーちゃんは、なににする?」 「俺はケーキは……じゃあ、プリンでも買っておいてくれ」  笑顔で頷いてケーキ屋に向かった遥を見送る。本当に、初日の荒れっぷりはなんだったのだろうか。  雅之は一人で酒屋に入り、缶ビールを一本買った。花火を見ながら一杯飲みたい。 (……遥と酒を飲めるのは五年も先なのか)  雅之が初めて酒を口にしたのは、今の遥と同じ十五の夏だった。  村の祭りの夜。敏朗と共に親父のビールを盗んできて、神社の境内で隠れて飲んだのだ。  苦くて不味くて、二人して一口でうんざりしてしまった。あの時は大人はよくこんなものを飲めるなと思ったものだが、今はこの苦みと刺激的な旨さが理解できる。  そうだ、あの晩も二人で花火をした。打ち上げではなく、祭りのくじ引きで当てた線香花火だが。  火花に照らされた敏朗の横顔は、とても凛々しかった。  ――キスをしたい。  その思いは、線香花火と共にチリチリと燃えて散った。朱色の火玉が散り菊となり、ぽとりと地面に落ちて終わるのと同じように。  そのすぐ後だった。  敏朗が同級生の女子と付き合うようになり、雅之が敏朗を諦めたのは。  冷えたビールの缶を握りしめると、結露で手のひらが濡れた。その冷たさが、かろうじて雅之を現在に引き戻す。  まただ。また、敏朗との記憶に飲み込まれていた。  遥が来て最初の日以来だった。ゆるゆると頭を振って、敏朗の思い出を振り払う。 「……遥は……」  そういえば、遥はどうしたのか。  ケーキを選ぶのに時間がかかっているのだろうか。  酒屋を出て、少し歩くとケーキ屋がある。店の前まで来て中をのぞいて見るが、客は若い夫婦が一組いるだけで遥の姿はなかった。  アーケードの下は一本道だ。酒屋とそう距離があるわけでもなし、迷ったとは思えない。  他の店に入ったのだろうか。それなら、一声かけてからにして欲しかった。  だが、子供とはいえもう中学三年だ。簡単に迷子になりはしないだろう。自分で戻ってくるはずだ。  ウロウロしてすれ違ってしまっては困る。酒屋の前に立って、行き交う人の中に遥の姿を探しながら待つことにした。  外は暑いから、買ったビールがすぐに温くなる。飲むのはどうせ夜だ。それまで冷蔵庫に入れておけば、また冷えるだろう。  しばらく待っていると、遥はケーキ屋の斜向かいにあるドラッグストアからひょっこりと出てきた。手には、ケーキ屋の袋だけを提げている。  人を待たせておいて、何も買わなかったのだろうか。 「……遥!」  声をかけるが、気付いていないのかそのまままっすぐケーキ屋に戻ろうとしていた。 「待て、遥」  駆け寄ってみると、ハッとした表情で雅之に振り返る。手にしたケーキの袋と雅之を見比べ、首を傾げた。 「あれ。おれ……暑さでボーッとしてたのかな」  そうかも知れない。  あまり顔色もよくないように見えたし、早く帰って涼しい部屋で休んだ方が良さそうだ。  熱はないかと、遥の額を手のひらで撫でる。 「う……やめろよ」 「熱くはないな。熱中症になる前に、帰ろう」 「ああ……うん」  ひくりと肩を揺らした遥は、煩わしげに雅之の手を振り払った。  不意に触ってしまったが、そうしても違和感がないというほどまでには、打ち解けられてはいなかったようだ。  若干寂しくはあった。だが、遥は雅之を同性愛者だと思っている。触れられる事に警戒してしまっても、仕方がないのだろう。  さっきまでの浮かれた気分は雅之の中から消え去っている。遥はケロりとしているように見えるが、どうなのだろうか。  どことなくぎこちない会話をしながら、帰路についた。  その後は、夜までお互いに自由時間にした。  遥は相変わらずソファに転がり、携帯ゲームをしている。イヤホンをつけて、没頭しているようだ。  雅之は、ダイニングテーブルで本を読む。この三日間で、すっかりここが定位置になった。 「あ、そうだ。じーちゃんってさ。小説家なんだよな。どんなの書いてるの?」  不意に遥がそんな事を問うてきた。  雅之も読んでいた料理本を閉じて、遥の方へと視線を移す。  遥は携帯ゲームを握りしめたまま、ワクワクした目で雅之を見ていた。 「えっちなやつ?」 「馬鹿。違う……ミステリだ」 「ミステリー? どんなの? おれ、じーちゃんのペンネーム知らないから教えてよ」  少し困ってしまって、「ああ」とも「うう」ともつかない情けない声が出た。  不思議そうにしている遥から、目線を逸らす。 「出水雅敏」 「マサトシ?」 「……敏朗が……初めて賞に応募するときに、勝手にペンネームを書き変えたんだ。雅敏に……本名をそのまま使うつもりでいたんだ、俺は……」  顔が熱くなる。  ペンネームの話をすると、いまだに恥ずかしくなるのだ。  この名前で応募した作品が賞をとってしまったものだから、変えるに変えられなくなって、そのままずっと雅敏だ。  雅之と敏朗から一文字ずつとったこの名前。まるで、二人の……子どもにつけるような。  それを意識すると、ぞわぞわする。きっと敏朗はただの悪戯のつもりだったのだろう。まだ、二十代の若い時の話だ。何も考えていなかったに違いない。 「……じーちゃんは、じーちゃんを……えっと、浅井のじーちゃんを好きだったんだよな」 「……ホモじじいで悪かったな。気持ち悪いか、ペンネームにまで」 「い、いや、ちげーよ! そんなこと」  あわあわしながら、遥はソファの上で居住まいを正した。  そして真面目な表情で、じっと雅之を見つめてくる。 「うちの学年に、性同一性障害っての? 女だけど、男のやつが居て……それでそいつ、男子として学校通ってるんだけどさ。だから、ホームルームとかで、LGBTていうか、ジェンダーていうか、そういうの勉強して……だからさ、じーちゃんが男好きだったって、馬鹿になんかしないっていうか……どうしてあの時くそホモなんて言ったのか、自分でもわかんねーんだ」  真剣な目で、遥は雅之に語りかけてくる。拙い言葉ではあるが、遥が同性愛者を理解しようとしている気持ちが、熱く伝わってきた。  澄みきった遥の瞳には、曇りはない。  遥の学校は、随分進歩的だ。それとも、今時の中学校はこんなものなのだろうか。  雅之の中学時代は、散々だった。いつも敏朗と一緒にいて、本ばかり読む大人しい少年だったから、オカマだオンナだと馬鹿にされていた。スカート履いてこいよと教師にまでからかわれる。  当時は、男は男らしくないと許されず、女は女らしくなければ周囲から白い目で見られたのだ。田舎だったから、余計にかもしれないが。  そんな環境で、叶いもしない敏朗への想いを抱き続けていられるほど、雅之は強くはなかった。  彼女と手を繋いで歩く敏朗を見て、『振られたな。オカマの彼女はいらないってさ』と笑っていた同級生達を思い出す。  彼らの嫌な目とは違う。遥の目は綺麗だ。 「そうか。いい学校に通ってるな」 「そういう事じゃなくて……」  なぜだか遥は、少し頬を染めている。また自分の服の裾を掴んで、ぐいぐい引っ張っていた。癖なのだろうか。 「じーちゃんは、気色悪くねーよ。か、かっこいいよ」  どきんと、心臓が跳ねる。  誰かにかっこいいなどと言われた事など、今まであっただろうか。  それも、好きだった頃の敏朗に瓜二つの遥にそんな事を言われて、戸惑いを覚えないはずがない。 「ん、……年寄りを、からかうな」 「じーちゃん、まだ五十二だろ。そんな年寄りじゃねーじゃん」 「止めろ……」  手の甲で、赤くなっていそうな目元を隠す。  はあっ、と。遥が熱っぽいため息をついて、ぞわりとした。首筋がちりちりするような、興奮と羞恥が入り混じった、不快な感覚。 「じーちゃん、色っぽいね」  恥ずかしそうにそう言って、遥はソファにうつ伏せに寝転び再びゲーム機に視線を戻した。  からかわれたのだろうかと思ったが、遥の耳が真っ赤になっていて、複雑な思いが胸をよぎる。 「……書斎に、いる」  そう言い残して、雅之は書斎に逃げ込んだ。  無邪気な少年にかき乱された心を、落ち着かせたかったのだ。  ※※※※※※  ベランダに、正晴が置いていったバーベキュー用の折りたたみテーブルと椅子を設置する。そして温め直した惣菜とビールとジュース。  十階まで蚊は登ってこないから窓は開けたままにし、扇風機を窓際に置いた。わずかにでも風があれば、暑さも幾分かマシだろう。  花火を鑑賞する用意を整えて、雅之は額に滲んだ汗をタオルで拭いた。 「できた? ……うわ、外あっち……」 「そうだな。だが、人混みの中はもっと熱いぞ」  室内の時計を見ると、花火がはじまる五分前だ。ベランダの柵の向こう側に、はるか下の道路を浴衣姿の人々が川辺へ向かい歩くのが見える。 「もうすぐはじまるな」  遥のワクワクした横顔を見ながら、雅之はビールの缶を開けた。 「おれ、花火大会はじめてかも」 「由紀とは行かなかったのか」 「母さんは……忙しかったから。夜勤だし」 「そうか……」 「それに、母さんに……あんまワガママ言えねーしさ。母さん、色々大変だから」  由紀はおとなしくて、真面目な少女だった。窓際で本を読んでいる儚げな横顔をよく覚えている。  そんな由紀はたった十六歳で二十も年上の男に嫁がされ、その年のうちに遥を身ごもったのだ。  由紀の結婚に、雅之は反対だった。そのことを巡り敏朗と喧嘩もしたが、敏朗は「もう決まった事だ」の一点張りで意見を曲げなかった。  雅之が惚れた敏朗は、もういないのだなと実感した。  つまらない、田舎のしがらみにがんじがらめにされた、嫌な大人になっている。あの時それを思い知った。 「だからさ。出水のおっちゃんと結婚して、幸せになるなら……いいんだ。でもさ……余計に母さん、おれの話聞いてくれる時間なくなるんだなって……」  花火が始まる前の、まだ静けさをたたえた濃紺の空をまっすぐに見つめ、遥はまるで独り言のように呟いた。 「そうか……」 「出水のおっちゃんはさ。嫌いじゃないんだけど、なんか距離感がさ……馴れ馴れしいっていうか。男同士の話しようとか言って、好きな女子の話とか聞いてきたり……めんどくさいんだよな」 「あいつらしいな」 「だから、おれさ……こんな風に、おれの話を聞いてくれる人、いなかったんだ。いままで」  目線は空に向けたまま、遥は手のひらて顔を擦った。ほのかに頬が赤いのは、暑さのせいだろうか。 「じーちゃんといると、すげー落ち着く。でも、ドキドキもするんだ。変な感じ」  どう返事を返したものか分からず、雅之はただ遥のこめかみを伝い落ちる汗の雫を眺めた。  突然、パッと眩ゆい光が視界の端で弾け、遥の顔を照らす。  そして数秒遅れて、ピュー、ドン、と。鼓膜を揺らす花火の音。 「うわっ! すっげーよく見える! ほんとに超特等席じゃん!」  歓声を上げる遥の顔は、敏朗によく似ているのに、全く違う。  赤や緑の光が、遥の顔を染め、様々な表情を見せてくれた。  とても、綺麗だ。 「なあ、じーちゃ……」  瞳を輝かせた遥が雅之の方へ振り向いて、目が合うと言葉を失った。  次々と花火が打ち上げられる度、雅之を見つめる遥の瞳の中で光の花が咲く。  薄く開いた唇から、ふうっと吐息が漏れた。 「目の中に、花火が映ってるぜ。すげぇ綺麗だ……雅之」  そう呟いて、遥はみるみる目を丸くした。自分の口を押さえ、唖然としている。  雅之だってそうだ。  今の物言い。まるっきり、敏朗だ。まるで敏朗が生き返ったような。いや、取り憑きでもしたかのような。 「今、……おれ、口が勝手に、なんで」  戸惑いを隠せない様子の遥は、椅子から転げ落ち尻餅をついた。 「大丈夫か、遥」  慌てて雅之も遥の側に駆け寄る。遥はまるで過呼吸になったように苦しげに喘いでいた。  そんな遥の背中を支えてやろうとしたが、先に遥の手が伸びてきて胸倉を掴まれる。  ぐいと引き寄せられ、何かやわらかいものが唇に触れた。 「ふ、……う?」  何が起こったのか、分からない。  ちゅくっと濡れた音がして、ぬるついた熱いものが唇をなぞる。 「はっ……あ、はるかっ」  キスをしている。  遥と、こんな子どもと、敏朗に瓜二つの少年と。  それに気付くと、羞恥と恐怖に体が強張り震えだした。ほとんど突き飛ばすようにして体を離し、室内に逃げ込む。  明かりを消した部屋の中は、花火が打ち上がった瞬間だけ仄かに明るくなる。その床に、影が浮き上がっていた。  こちらに迫る遥と。  その後ろにもう一人。 「遥!」  バタンと音を立て、扇風機が倒れた。遥が蹴り倒したのだ。  腰に重いものがまとわりつき、体勢が崩れて雅之は床に崩れ落ちる。遥だ。遥が、雅之を押し倒そうとしている。 「止めろ、遥! 止めろ!」  はぁはぁと荒い息をしながら、遥は雅之の体にのしかかってくる。  揉み合ううちに甚平の前がはだけ、胸元と腹が覗いた。そこを、遥の手が這い回る。汗で湿った肌が、熱い手に撫でられて、気色悪さとくすぐったさにゾクゾクした。 「ま、てっ、はるか、っ」 「ごめん、ごめんおれ、だめだ、止まらないっ、なんで、こんなっ」 「う、あっ」  這いずって逃げようとすると、うなじに吸い付かれた。べろりと舐められ、強く吸われる。そんな場所に愛撫を受けたことはなかった。チュッ、チュッ、と。唇が音を立てるたび、雅之の体からは力が抜ける。  首や背中がこんなにも弱かったなんて、雅之は今まで知らなかった。 「っ、すご……色白いから、痕すげー残る……」 「や、めっ、はるか」 「どうして、こんなに色っぽいの、じーちゃん……」  じーちゃんなんて呼ばれながら、こんな真似をされるなんて。痕をつけられるなんて。屈辱的すぎて、奥歯を噛み締め呻いた。  だが、敏朗の時のように殴りつけてやる事などできない。相手は子どもだ。遥だ。  するりと、下を引き下げられて尻が外気にさらされる。  窓から入ってきた温い風が尻たぶを撫でて、雅之は思わず悲鳴をあげた。 「うわ、あ、嫌だっ」  その尻の間に、熱く脈打つものが触れた。ひくひくと震えるそれは、尻の間を往復するたびにぬるぬると濡れてゆく。 「あ、あっ、す、ごっ、えろいっ」 「くっ、うっ」 「じーちゃ、あ、ま、雅之、違うっ、あ、あ、雅之さんっ」  尻たぶを両手で鷲掴みにされ、がばっと割り開かれる。普段外気に触れない部分が露わになってしまった。そこに、ぬるついた切っ先が添えられ、どぷりと熱い液体をかけられる。びゅる、びゅる、と。次々と溢れるそれは、尻の穴だけでなく雅之の内ももまでぐっしょりと濡らした。 「んあっ! は、あっ!」  甘く喘いで、遥は雅之の尻を汚す。  雅之は、呆然とするしかなかった。花火の破裂音や眩ゆい光も、どこか現実味がない。  はぁはぁと荒い息をしながら、遥は雅之から体を離す。  射精したから正気を取り戻したのかと思ったが、違った。  遥はソファの上に置いていた自分のショルダーバッグを手繰り寄せ、中からドラッグストアの袋を取り出す。  中に入っていたのは、小さな四角い箱……コンドームの箱だ。  少年には不釣り合いなそれに驚いて、雅之は飛び起きるように上体を起こす。 「は、遥、そんなものを持ち歩いて、お前はっ」 「ち、違う……なんか知らない内に買ってたんだ」  そう言いながら、遥はそれを使う気満々だ。それも、雅之と。  ごくりと、雅之は緊張に喉を鳴らす。  遥は前を寛げていて、性器は天井を向いて勃ち上がっていた。  白濁にまみれたそこは色が薄くて、大人のものとは少し違う。陰毛も生え揃ってはいるが、まだ濃くはない。  だが、性的に未熟な少年のくせに、遥は既に雄としての本能を知っているのだ。  射精しただけではだめだ。抱いてしまわなければ、この劣情は治らない。遥の性器はそう主張している。 「なぜだ……なぜ、こんな年寄りに」 「わかんない……でも……おれ、雅之さんを見てると、ドキドキする」 「……遥、おちついてくれ。お前は、敏朗に取り憑かれている。敏朗の呪いだ。きっとそうに違いない」  遥が意図しない、攻撃的な言葉。無意識のうちにとってしまう、不可解な言動。  それらは、敏朗の影響なのではないのか。  あの夏の思い出の亡霊が、遥を狂わせているのではないか。  そう思えて、仕方がない。  それに、さっき見えた気がするのだ。遥を後ろから操る影が。 「……それでもいい」  遥は、潤んだ目で雅之を見下ろす。  自分のものを握りしめたまま、雅之を物欲しげに見ている。 「それでもいいから……雅之さん、おれ……雅之さんが欲しい。おれのにしたい」  敏朗と同じ顔で、遥は泣きそうな声でそう言った。  それが遥自身の想いなのか、雅之の考える通り敏朗のせいなのか、分からない。  だが、雅之は抵抗も、拒絶もできなくなってしまった。

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