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第17話 元中納言は当主の秘密を知る

 九重の屋敷に滞在して半月ほどが過ぎたが、玄馬は探し求める相手の気配さえ感じられずにいた。  肥え太った月を見上げながら、溜息を吐く。  本当はもうわかっているのだ。探し求める相手と再び相まみえることはないのだろうと。  板を打ち付けて閉ざされた門。簡潔で、未練など微塵も感じさせなかった別れの文。  ――元はと言えば、秘密を黙っている代わりにと、無理矢理に始めた関係だった。生きているにせよ、そうでないにせよ、友は玄馬の顔など二度と見たくなかったのに違いない。恋の遊戯を愉しんでいたのは玄馬だけで、友はそれが苦痛で堪らなかったのかもしれない。  乱れる友があまりに可愛く思えて、閨で追い詰めずにいてやったことなど数えるほどもなかった。  そんな玄馬から逃げるために、彼の人は京を離れて身を隠したのかもしれない。  玄馬が遠く離れた吉野にまで来たのは、彼に心から謝りたかったからだ。  精いっぱいの虚勢を張りながら、後ろ盾もない身で京に留まっていた若い友。  官職を捨ててまで出奔しなければならなかった原因が少しでも自分にあるのなら、詫びてそれを取り戻してやりたい。  中納言の職を捨てたのはせめてもの贖罪だった。もしも許してもらえるのなら、今度こそ恋心を語らうところからやり直したかった。  けれど友を見つける前に、玄馬は挫けそうになっていた。  何しろ九重の屋敷は広大だ。趣向を凝らした庭の間に大小の御殿がいくつも建っている。全部でいくつあり、どことどこを回り終えたのかもわからぬくらいに。  しかも中を確かめさせてくれと頼めば、どの宮でも快く中に入れてくれるのだが、それがまた困りものだった。この屋敷の中は、どこを覗いても若い女しかいないのだ。  京から来た人間が珍しいのか、血縁と思われる姫君から裳唐衣(十二単)を纏った女房達、果ては下働きの女童までが玄馬の訪れを歓待してくれる。鄙のことで京の作法を知らぬのか、どの宮の女君も顔を隠すことなく迎えてくれるのだが、それがまた揃いも揃って滅多に見ぬほどの美姫揃いだった。  ここの女たちは、全員当主の妾なのかもしれない。玄馬はそう疑っている。  京の貴族ならば屋敷にいるのは正室のみで、妾は親の家か別邸にいるものだが、何しろここは吉野だ。  溢れんばかりの美女たちの中には、こんな事情で訪れたのでなかったら恋の戯れに誘いたい佳人が何人もいたが、当主の妾に手を出して追い出されては敵わない。血縁の姫ともなれば尚更だ。  だがそんな玄馬の事情を女たちは知らないらしい。吉野の女人は積極的な気風らしく、部屋にいると次から次へと使いが来る。あの尊大な当主から、『京の貴族を篭絡して見せよ』とけしかけられているのではないかと思うほどだ。  部屋で月など眺めましょうよと誘う女房達を振り切って、玄馬は夜の庭を歩き回っていた。  女たちの目から逃れるように暗く人気のない方を選んで進むうちに、玄馬の足は山裾の社へと辿り着いていた。  九重の家では、代々吉野の山に住まう明神様を祀っているのだと、玄馬は聞いていた。一族の血を引く娘は明神の加護を得る。明神を疎かにせず祀っている限り、必ず良き相手に恵まれるのだと。  他の御殿とは離れて建つこの社が明神の社だろう。周囲を高い木に囲まれた小さな社だが、何とも言えぬ風格があった。  もしも尋ね人が玄馬から身を隠すつもりなら、こういう場所にこそいるかもしれない。  淡い期待を抱いて近づくと、社の内側から細い光が漏れていることに気付いた。中に誰かいるらしい。  足を進めて社の本殿に近づくにつれ、人の話し声のようなものも聞こえてきた。玄馬は足音を殺し、そっと本殿の扉の前へと身を寄せる。  社の扉は閉じられていたが、音を立てぬように慎重に押すと、指一本分ほどの隙間ができた。  本殿は板張りの広い空間だった。  正面の高い場所に大きな銅鏡が一つ飾られている。その下には祭壇が組まれ、神酒を収めた瓶子が手燭の炎に照らされていた。  その銅鏡が見下ろす位置に岩のような大きな人影が見えた。誰だと疑問に思うまでもなく、切なく掠れた声がその名を呼んだ。 「……雄鹿!……あぁ、雄鹿ぁ……ッ」  玄馬はハッとなった。  こちらに背を向けた大きな人影は、腰に鹿の皮を巻いたあの従僕に間違いない。  そしてその背に隠される位置にもう一人、床の上に広げた衣を手で手繰り寄せて悶える人影は――。 「……雄鹿、それは……大き、いぃッ……やぁ、ぅッ……!……腹が、腹が溶けてしま、ッ……」  玄馬は声が出そうな口を掌で塞いだ。鼻にかかったその善がり声は、まさに玄馬が探し求めた友のものだ。  法悦を極める間際の声。焦らして焦らして善がらせてやると、常は冷たい響きを持つ青年の声は、男の脳髄を蕩かすような甘い掠れ声に変わる。  玄馬はその声を長く愉しむために、未熟だった肉体のどこもかしこもを念入りに愛撫して熟れた果実に変えてしまった。  腹に牡を呑み込んで、大きくて苦しいと泣きながら、悦びの涙を流す淫婦へと――。  玄馬がこの手に抱いた青年が、獣の皮を帯びた下賤の輩に貪られている。これほどの体格差では、如何に友が逃れたいと願ってもとても敵いはしないだろう。  当主の白仁はこれを知っているのか。知っていて、生贄を差し出すように好きなように嬲らせているのか。 「緋立殿!」  居ても立ってもいられなくなって、玄馬は本殿の中に踏み込んだ。 「緋立殿! 私だ、藤原玄馬だ! 貴殿を迎えに参っ、た……!」  盛り上がった肩に手を掛けると、意外にも巨漢の従僕はあっさりとその場を退いた。祭壇に置かれた手燭の灯りが、床に横たわる白い裸体を浮かび上がらせる。  ――それは、息を飲むほど優美な裸体だった。  細身の体に、すらりと伸びた手足。白い肌の上には快楽の証が点々と散り、炎に照らされて輝いている。両脚の間では男の象徴が頭をもたげ、引き締まった腹の上にトロリトロリと蜜を零していた。  その下。  あられもないほど大きく広げられた両足の付け根には、木の枝に似た太い異物が深々と潜り込んでいた。 「あけた、つ、どの……?」  目に映る光景が信じられなかった。  白い腹が蜜を煌めかせながら上下するたびに、尻に埋められた異物は出たり入ったりを繰り返している。  手で出し入れしているわけでもなく、貪欲な肉の環が淫具を自ら呑み込んだかと思うと僅かに吐き出し、そしてまた呑み込んでいくのだ。そのたびに、薄く開いた唇から今にも絶えそうな啜り泣きが零れ出ていた。  泣き濡れた白い細面は、見慣れた情人の貌にあまりにもよく似て、それでいて別人だ。波打って広がる白絹の髪。潤みを湛えた切れ長の双眸は、今は手燭の炎を受けて真紅に染まっている。 「白仁殿――」  これはあの当主だ。  佐保という女名で呼ばれ、豪奢な姫装束で身を飾っていた九重の当主が、明神が坐す社の本殿で下賤の男に弄ばれている――。  グッと下腹を込み上がってくるものがあった。頭の芯が熱くなり、自制が効かなくなる。  よく見れば淫具として使われていたのは、磨かれた雄鹿の角だった。玄馬は目の前で淫らな穴に出入りして嬌声をあげさせるそれを、一息に抜き去った。 「んひぃぃッ……!」  上げる悲鳴までかつての情人そのものだ。  抜き出した角は大きく湾曲した先端を瘤のように丸く削ったもので、太さも長さも十分にあった。  こんなものを収めておけるのなら、並外れて逞しい玄馬の逸物を受け止めることも可能だろう。 「やめよ……何をする……」  前を寛げて自身を駆り立てる玄馬に気付いて、白仁は両手を床について後ずさろうとした。その背に巨漢の従者が立ち塞がる。 「雄鹿ッ!」  悲鳴のような声が上がるのも構わず、大岩のような従者は一言も発することなく身を屈めた。背を支えて主人の退路を断つと、頭越しに手を伸ばして、開いたままの両脚をさらに残酷に左右に開く。  物欲しげに口を開く媚肉が灯りに照らされた。  白い顔が屈辱を浮かべて背けられる。従僕に握られた足は、だらりと脱力してされるがままだった。この白い髪の当主の下肢は、萎えて自分では動かせぬのだ。  初めて対面した日に、当主が最初から最後まで脇息に凭れたまま身動きしなかった不自然さに合点がいった。白仁は誰かに抱き上げられなければ動けぬ体の持ち主だったのだ。  吉野の山裾を埋め尽くすほどの広大な荘園と、宮殿とも呼ぶべき屋敷。  塗籠を埋め尽くす宝物の数々。  数多くの美姫と召使いに傅かれ、王として君臨していながら、この男は自分の肉体さえ自由にできない。女の名で呼ばれ、姫姿で飾られて、こうして下僕の思うがままに嬲られていなくてはならないのだ。  尊大な物言いや気位の高さは、肉体的な欠陥を覆い隠すためのものだったに違いない。  それが何とも憐れに思えて、玄馬は顔を背けて屈辱に耐える白い頬に唇を寄せた。  ――途端、鋭い音とともに目の前を火花が散るほどの衝撃が玄馬の頬を襲った。 「慰めは要らぬ!……下がれ無礼者ッ」  頬を打たれたのだと知った瞬間、玄馬は唸りを上げて白い体の上に圧し掛かった。

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