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第21話 元中納言は京に戻れない
蒸し暑い夏が過ぎ、吉野の山は秋の色を深めつつあった。
従者たちを置き去りにしてきた寺から、眉を曇らせる知らせが届いたのは、今朝の事だ。
この春、かねて病がちであった帝が院へと退き、東宮が新たな帝位に就いた。秋に執り行われるのは、宮中で最も重要な祭祀である大嘗祭となる。
既に官職を返上している玄馬ではあるが、伯父である左大臣からは京へ戻ってくるようにとの文が再三届けられていた。
白仁と暮らすようになって吉野の地に骨を埋めるつもりでいた玄馬は、伯父からの要請を断り続けていたのだが、夏を過ぎた頃より急に文のやり取りが頻繁になった。
どうやら左大臣家の跡を継ぐべき長子が不慮の事故で亡くなり、次子はまだ元服も済ませていない年頃の為、後ろ盾となる身内が必要との事情のようだ。
昨秋左大臣家から入内した女御は、今上帝の即位に伴い中宮へと格上げされている。時勢はまさに右大臣家から左大臣家へと移ろうとしていた。
その節目となる年に一人でも多くの身内を宮中の重職に就けておきたいと図るのは、権力を握る者として当然のことだろう。
正直なところ、玄馬の心は揺れ動いていた。
藤原の一族に名を連ねながら職を失っている今の状態は、想像した以上に心許ないものだった。
三位の位があるため暮らすに困らぬ収入はあるが、中納言の職に就いていた時の豊かさとは比べ物にならない。九重の屋敷に在留しているのでなければ、日々の生活はゾッとするほど貧しく味気ないものになっていただろう。
それに、玄馬にも出世に対する欲はある。
若くして中納言の職にまで就いたのだ。貴族としての華々しい栄誉をすべて捨て去るには玄馬はまだ若い。
伯父が帰還を勧めてくれているうちに戻るべきだ。この機を逃せば、玄馬が日の目を見ることは二度とない。
そうは思うのだが――。
玄馬の心を悩ませているのは白仁の事だった。
京に戻れば、山々を隔てた吉野はあまりにも遠く感じられるだろう。冬は雪に閉ざされ、文のやり取りすらまともにできない。京に戻って職に就くということは、すなわち白仁との決別を意味している。
それが玄馬の決断を躊躇させていた。
春に初めて出会ってから、美しい姫王への恋情は募るばかりだ。
夜毎腕に抱いてさえ、執務に没頭する白仁を見ると嫉妬の念を抑えきれない。
戯れを仕掛けては冷たくあしらわれ、愛の言葉を囁けば棘のある言葉で返される。そのようにつれない吉野の王が、夜になれば玄馬の腕の中で愛らしい声を上げて縋りついてくるのを、どうして毎夜確かめずにいられるだろう。
春と夏、そして秋。
三つの季節を共に過ごすうちに、玄馬の魂はすっかり白い美姫に奪われてしまった。
まるで下僕のように側に侍り、足が不自由な恋人の身の回りの世話するのも、今では玄馬の役目だ。冷たい美貌の恋人は甘い言葉は一度も口にしないものの、他の男の影は一欠片も見せずに、全てを玄馬に任せてくれている。
それが無言の答えなのだと玄馬は解釈していた。
白仁が己を唯一の存在と認めてくれるのならば、他のものは何も望むまい――。
玄馬は京への未練を捨てきれぬ自身に、何度も言い聞かせた。しかし、今朝がた届いた知らせが、その決意を大きく揺らがせる。
『数日中に迎えの輿が着く。それに乗って京へ戻ってくるように』との、左大臣からの文が届いたのだ。のらりくらりと断り続ける玄馬に、ついに伯父が業を煮やしたらしい。
今まさに権力を手にせんとする好機に、京での身分以上に重要なものがこの世にあるとは思いつきもしないのだろう。それは玄馬にも理解できた。
京に居た頃の玄馬なら、迷うことなどなかっただろう。
白仁――、佐保の君がただの娘であったのなら、今も迷う必要はなかった。
身分の違いなどはどうにでもなる。連れ帰って空いたままの北の対の屋に住まわせれば、誰が文句を言おうと突っぱねられる。
だが白仁は――……。
「今日は溜息ばかりじゃな」
書面から目を離さずに、白仁が声を発した。
九重の当主は今日も見事な姫装束に身を包んでいる。花薄の襲は綾織の白に裏の縹が映えて、風のない湖面のように静謐で美しい。豪奢というより、落ち着いて成熟した端麗さだ。
いつの頃からか、白仁の纏う姫装束は薄色のものが多くなっていた。
腰から下を覆う袴の色も、濃き色から緋色へと変わっている。既婚の印だ。
言葉にはせぬものの、玄馬を『夫』と認めてくれているのだ。そう思うと、なおさらこの麗人の元を去ることなどできそうにもない。
「伯父の左大臣から戻って来いとの催促が厳しくてな。私にそのつもりはないのだが……」
玄馬はそう口にした。
――ほんの少し、自尊心を満たそうとしたことは事実だった。
有り余る財と揺るぎない権力を持つ恋人に比べ、無為徒食の暮らしを続けている己の姿に、思いのほか鬱憤が溜まっていたらしい。自分は誰にも必要とされぬ世捨て人ではない、左大臣から求められる身でありながらここに留まっているのだと、つれない恋人に見栄を張りたい気持ちは確かにあったのだ。
だが玄馬の恋人は、吉野に降り積もる雪よりも冷たく嗤った。
「戻れば良いではないか。出世の機会を逃してしまうぞ」
全く未練を感じさせない淡々とした口調だった。
文から視線を上げもせず、白仁は半年もの間肌を合わせ続けた情人に吐き捨てる。
「今年は大嘗祭であろう。さっさと戻って顔を出さねば、京での居場所を失おうぞ」
逆上せあがっていた血が、一気に足元まで引く思いがした。
引いていった血が元へと戻ってきたとき、玄馬の腹の内には抑えきれない激情が渦を巻いていた。
緋立と言い、白仁と言い。玄馬が大事に思えば思うほど、九重の麗人は道端の石のように玄馬を軽んじる。
「……!? なにを」
足音高く近寄った玄馬は、皆まで言わせず、文台の前に座る白仁を強引に抱き上げた。
袿を毟り取り、歩きながら袴の帯を解く。脱がした衣を蹴り避けて、玄馬は白仁が愛用する脇息の上にその体をおろした。
「私が京に戻っても、何も困らぬと仰せになりたいようだ」
怒気も露わな玄馬の声に、腹這いを強要された白仁は黙り込んだ。
黙ったままの白仁に、玄馬は単衣の裾を捲り上げ、両脚を左右に開かせた。
腹の下の脇息が支えとなって、まるで腰を上げて恋しい相手を迎える従順な乙女の姿だ。だが、その姿に騙されてはいけない。緋立も白仁も玄馬の愛撫を拒みはしないが、それは玄馬を恋しく思うからではない。血の通った道具を扱うように、ただ単に玄馬から与えられる悦びを貪ろうとしているだけのことなのだ。
玄馬は白い尻肉の狭間にある、いやらしい肉色をした窄まりに指を這わせた。
「代わりの男は幾らでも居るとでも……?」
「……ッ」
指を沈めると、白仁が息を飲む気配があった。
昨夜も激しく交わった身の内には、玄馬が残した残滓が吐き出しきれずに残っている。指を抜き差しすると、それがくちゅくちゅと水音を立てて、肉の隙間から溢れ出てきた。
濡れて滑りの良い指で、玄馬はぐるりと中を探る。
白仁は、この柔軟な肉の環を襞が消えるまで拡げられ、コポリコポリと音を立てながら雁で責め立てられるのが好きだ。入り口からほど近い場所にある柔肉を、突き上げるように擦られるのも。
そこを指でぐりぐりと攻めてやると、伏せた顔から押し殺した喘ぎが漏れ始めた。
動かぬはずの両脚がビクビクと痙攣し、膝が床を滑っていく。
玄馬は脇息が倒れてしまわぬよう空いた手で押さえながら、逃げ場を持たぬ肉壺を苛んだ。
「私以外の男が、貴方を本気で悦ばせられるとお思いか」
追い上げて熱が十分に高まって来たのを感じると、玄馬は吸い付いてくる肉環から指を抜いて、今度は会陰を嬲ってやる。指を失った肉が物欲しげにヒクつくのを眺めながら、その周りの柔肉を擽り、二つの玉を掌で転がしては、時折軽く力を入れて握りしめる。
息を飲んで慄くのを小気味よく感じながら、硬くなって震える竿にも手を伸ばした。
裏筋を辿って先端に指を這わせていき、小穴が既に蜜を滲ませているのを確かめて、それを亀頭に塗り広げる。
濡れた手で先端をキュッと握ってやると、蜜が後から溢れ出てきた。それをたっぷりと指に取り、再び指を滑らせて蟻の門渡りを往復する。
瞬く間に白仁の息が乱れ、吐息は熱っぽい啜り泣きに変わった。
「く、ろうま……」
舌が縺れたようなたどたどしさで名を呼ばう。その声が玄馬の心を掻き乱した。
この白い肉体は罪深いほど多情だ。精力旺盛な玄馬を余すところなく呑み込み、毎夜の交合にも歓喜の声を上げ続ける。――その白仁を置いて、玄馬が平気で京へ戻れるとでも思っているのか。
己の想いを、それほど軽薄で移ろいやすいものだと侮りながら、今まで毎夜身を任せてきたのか。
何よりも、それが悔しい。
「くろうま……」
白仁が名を呼ぶ。
熱っぽい声で。今まで何度も聞いた声で、白仁が玄馬を呼ぶ。
「……くろうま…………おくまで、きて……はらのおくに、おぬしがほしい……」
肌の上を撫でられるばかりのもどかしさに、言葉を飾りもせずに白仁が乞うた。
ヒクヒクと口を開く肉の環は昨夜の白濁を滴らせ、珊瑚色の媚肉を誘うように光らせている。
――これは男を誘わずにいることなどできぬ肉体だ。
玄馬が吉野を去れば、翌日にも新しい男がこの肉を我が物にする。それがわかっていてどうして傍を離れられようか。
激しい嫉妬に突き動かされたように、玄馬は前を寛げ駆り立てた怒張を深々と埋め込んだ。
「あ……ああぁ……ッ!」
鼻から抜けるような悲鳴とともに、白仁の媚肉が玄馬を包み込む。
並外れて逞しい玄馬をすべて受け入れた情人は、片手で数えるほどもいなかった。その中でも白仁は最上だ。濡れた肉襞が絡みつき、奥へ奥へと引き込むように蠕動する。
強すぎず、かと言って緩くもない、程良い締め付けで男を酔わせる。
何より素晴らしいのは、相手を苦しませることが多い玄馬を余さず受け止めて、白仁自身が女の悦びへと至れることだった。
「……は、はぁ……ぁ!…………腹が……気持ちいい……」
大きさに馴染ませるために動きを止めていると、白仁の肉が吸い付いてきた。
小刻みに体を揺すって馴染ませながら、淫らな肉は早くも悦びを吸い上げようとしている。なんのてらいも恥じらいもなく、交わる快楽にただ従順に――。
白仁は思うよりずっと無垢なのかもしれない。玄馬はふとそう思う。
快楽は、白仁にとってはただの快楽だ。人を想い、肌を交わらせることの本当の意味を、考えてみたことさえないのかもしれない。だからこそ、玄馬にあのような冷淡な言葉を吐き出せたのだろう。
「佐保の君……私以上に貴方を愛しているものは居るまいよ……」
なんとかこの気持ちをわからせたいと、玄馬は囁く。
覆い被さるように背を抱き、長い髪にも口づけする。白い首筋にも、黒子一つない背中にも。
白絹の髪も淡い色の瞳も、今や玄馬にとっては傍らになくてはならないものだ。代わりはない。
その同じ思いを、白仁にも抱いてほしかった。
玄馬はゆっくりと体を揺さぶる。白仁が桃源郷へと至れるように。
玄馬以外の男はこの隆々とした逸物を持ち得ない。優しく激しく白仁を抱いて、無上の歓びを与えられるのは玄馬だけだと思い知らせてやったなら、少しは自分を見てくれるだろうか。
「こうやって、貴方の奥深い場所を悦ばせてやれるのは私だけだ。他の男では、私の代わりは務まらん。そうは思わないか……」
未練がましいと思いつつも、玄馬は囁く。白仁の弱い場所も好きなやり方もすべて知っている。玄馬以上に白仁を想う男などいるはずがない。
「あっ……ひぁあっ、ああぁぁ……! く、ろうまッ……」
甘い声を上げて仰け反りながら、白仁が火照った顔を傾けて玄馬の方を振り向いた。潤みを帯びた二つの目は紅く染まっている。
白仁は玄馬を睨みつけ、絞り出すような声で言い放った。
「代わりなど……求めるつもりは毛頭ない……ッ」
眼差しは炎のように燃え上り、玄馬を射抜いて焼き尽くす。
天女の姿に居丈高な王の貌。
強く気高い魂が収まるのは不具の肉体。雪のような白い美貌に、冷たく棘のある言葉。
そしてその帳の奥に隠されていたのは――。
「私を妻とした以上、おぬしにも代わりはないと思え。京の屋敷に私以外を住まわすことは、決して許さぬぞ……!」
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