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第22話 九重の姫は出世を所望する(終)
燃え盛るような情念の炎を目の当たりにして、思わず玄馬は組み敷いた相手を見つめた。
京へ戻れとの言葉は『一人で帰れ』という意味だと思っていたのだが、それは玄馬の思い違いであったらしい。
白仁は吉野を捨てて、玄馬とともに京へと上るつもりでいてくれたのだ。
「ついて来てくれるのか……」
呆然と呟いた玄馬に、白仁は紅い瞳できつく睨みつけた。
「初めに言うたであろう。気に入ったものがあれば持ち帰れと」
確かに、初対面の場で白仁はそのように言った。『失くして惜しいものはない。気に入ったものがあれば持ち帰るが良い』と。
それがまさか、当主である白仁自身をも指していたとは。
「しかし、貴方は……。貴方が京に来るのなら、吉野はどうなさるおつもりか」
「年の離れた弟が居る。夏の間に当主としての務めは仕込み済みじゃ」
白仁はそう言うが、玄馬は年の離れた弟とやらを見かけた覚えがなかった。何しろこの屋敷の中には、雄鹿を除けば男は一人もいないのだから。
不思議に思って黙っていると、白仁がついに怒りを弾けさせた。
「……何じゃおぬしはさっきから! 私を破瓜しておいて、此処へ捨て置くつもりであったのか……!」
射殺しそうな目で白仁が睨む。睨まれているのに、玄馬は喜びで口元が緩むのを堪えきれなかった。
何不自由ない吉野を惜しげもなく捨て、白仁は玄馬とともにあることだけを考えてくれていた。
初めから少しの揺らぎもなく、玄馬一人を夫と認めて、何処へでも共に行くつもりでいてくれたのだ。
幾度肌を合わせても冷たい言葉ばかり。それなのに、とっくの昔に心を決めてくれていたとは。
それに――。
「佐保の君。私が貴方を破瓜したというのはまことか……?」
「……ひぁっ、アァッ……」
嬉しさのあまり、想いが暴走する。
玄馬は腹の下に挟んでいた脇息を取り除き、白仁の身体を床の上に仰臥させた。
「玄馬ッ」
抗議の声も聞かず足を割って身を割り込ませ、腰を大きく動かして白仁の奥を責め上げる。向かい合った白仁は、初めの交合の時と同じように、両腕で玄馬の首に縋りついてきた。
熟れた蜜壺の様子とは裏腹に、随分物慣れない反応をするとは思ったのだ。何処に触れても肉体は敏感で、快楽をどのように受け流せばよいのかと困惑するような様子もあった。
玄馬は手を伸ばし、白仁の単衣を開いた。
白い肌の上にはここ数日の吸い跡や愛咬の跡、指で掴んだ痕跡がくっきりと残っている。
胸に咲く二つの突起は最初に見た時よりも色鮮やかに、そして幾分膨らみを増して、玄馬の指に触れられるのを待ち望んでいるようだ。
もしも白仁が今のように三日と空けずに男と交わっていたのなら、あの時の白仁の肉体にも愛撫の痕跡が鮮やかに色を残していたはずだった。だが、明神の社で初めて目にした白仁の裸体は、痣一つない雪の肌だった。
あの時の白仁はまだ生身の男を知らぬ肉体だったのだ。
「私以外に、貴方の乳を吸うた男はおらぬと……?」
「……や、ぅっ……」
身を屈めて乳首を吸うと、悲鳴とともに玄馬を呑んだ肉がキュッと締まった。
気丈な胸の肉粒は、潰されてなるかとますます健気に膨れ上がる。ツンと尖ったそれを舌先で弾き、もう一方の乳首は指で優しく揉んでやると、細い悲鳴とともに温かい蜜が合わさった腹の間を溢れ出た。
季節が三つ巡る間に、小さく慎ましかった柔肉をこんないやらしい乳に変えたのは玄馬だ。
吐精して果てる終わりを教えたのも、中を穿たれて達する終わりのない法悦を覚えさせたのも玄馬だ。
ならば責任を取って、妻として京に連れ帰ろうではないか。
「……あ、あああぁ、あぁ……! 玄馬……ッ、くろう、ま……ッ」
徐々に激しさを増す突き上げに、白仁の声が高まっていく。
動きに合わせて引き締まった腹が上下し、柔らかな肉は玄馬の牡にしゃぶりつく。
体の両側にある白い脚が、幽かに玄馬の腰を挟み込んでくるのは気のせいだろうか。
玄馬の全てを受け止めて、悦びの声を上げる白仁が愛しくてならない。手放すことなどできるはずがない。
「……京に、攫うぞ……ッ、佐保の君……貴方は私の、妻だ……!」
唸り声とともに、玄馬は情欲を注ぎ込んだ。
仰け反って忘我の声を上げる白仁から返事はない。
――その代わり、しがみついた両手が離さぬとばかりに玄馬の背を掻き抱いた。
九重の屋敷の車寄せに、京へ出立する者とそれを見送る者が集まった。
髪色を隠す黒い髢をつけ、さらに袿を目深に被いた白仁は、今日は長旅用の壺装束を身に着けている。
見送る者たちの筆頭にいるのは、玄馬がこの屋敷に初めて来た日に案内してくれた年若い女房だった。
年のころは裳着を終えたばかりといったところだが、年齢に似合わぬ類稀な美貌と凛とした表情が、九重の血筋を感じさせる美しい姫だ。
「吉野は任せたぞ、玉藻。しかと当主の任を務めよ」
「はい、佐保姫様」
玉藻と呼ばれた姫は、今まさに声変わりを迎えている童の掠れ声でそう答えた。
次代の当主はこの『姫君』が務めるらしい。傍らには岩のような巨躯を持つ従僕が控えている。
おそらく次の祭日からは、この年端もいかぬ当主が従僕とともに舞を納めるのだろう。
その光景を思い描きかけて、玄馬はぶるりと頭を振った。
「吉野の地より、立身出世を祈願しております」
一分の隙もない優雅な所作で礼を取る姿は、既に堂々たる女主人の風格を持っている。
白仁はそれを見て満足そうに頷き、言った。
「いずれおぬしも京に呼び寄せる。如何なる位に就いても恥じぬよう、磨きをかけておくがよい」
挨拶を交わすうちに、寺に待機させてあった輿が到着した。
玄馬は妻として迎える相手を抱き上げ、伯父の左大臣が手配した輿に運び込んだ。
今まで白仁の身の回りの世話をしていた雄鹿は吉野に残る。これからは玄馬が白仁の手となり足となって支えてやらねばならないが、元来世話好きなところのある玄馬は、その務めを好ましく感じていた。
それに、まったく動く気配のなかった白仁の足が、春以降少しずつだが力が入るようになってきているのも喜ばしい。
京の良い医師に見せれば、屋敷の中を不自由なく動けるくらいにはなってくれるかもしれない。
無論、ずっと動かぬままでも玄馬は何も困りはしない。
迎えに来た左大臣家の家人は、九重の屋敷の壮麗さと、迎えの輿の後ろに続く何台もの牛車や護衛の列を見て目を丸くしていた。
牛車にはさまざまな調度品や装束、絹や装飾品が積まれている。それを護衛する随身たちも身なりを揃え、勇壮果敢な様子だ。
――貴族の家の婚姻で物を言うのは、まずは身分、次に財力だ。
名もなき吉野の一族とは言え、これだけの財力を持つ家の総領姫だと知れば、藤原一族の正室に迎えることに異議を唱えられるものは居るまい。
問題は寧ろ、玄馬の方だ。玉藻の君から出世の話が出たが、病療養と偽って職を辞してきた玄馬は、宮中の華々しい職には当分の間就けそうもない。今年の除目は見送って、官職に戻れるのはせいぜい次の年だろう。
「暫くは肩身が狭いだろうが我慢してくれ。この次の除目には何とか官職をいただけるよう計らってもらうつもりだ」
輿の上で優雅に膝を崩した妻に、玄馬は申し訳なさそうに囁いた。
居心地悪そうな玄馬に、美しい妻は天女のような白い面を綻ばせる。
「心配いらぬ。あれだけ明神様に捧げ舞をしたのじゃから、此度の除目でちゃんと席が用意されておるわ。ひとまず大納言あたりであろうよ」
宮中の在りようを知りもせぬ麗人は、妙に確信めいた口調でそう言った。
そんなうまい話ないと思うが、下手に現実を教えて京に行くのは取りやめだと言われたら堪ったものではない。
玄馬は曖昧に笑うと、輿の隣で曳いてきた馬に跨った。そろそろ出立の時刻だ。
随身たちの目を避けて、白い手が優婉な仕草で扇を広げる。
京からやってきた担ぎ手たちが、あちこちから夢見るような溜息を漏らした。吉野には、天女のように美しい乙女がいるのだと。
「……あやつが中宮。ならば私は太政大臣、或いは関白正室か。皇后の座を狙えるのは玉藻の代じゃな……」
顔を隠す豪奢な檜扇の向こうから、何やら不穏な呟きが聞こえたような気がした。
思わず聞き返そうとした玄馬の顔に、風に吹かれた紅葉が飛んでくる。――振り仰ぐと、いつの間にか吉野の山は見事な紅に染まりつつあった。
「明神様も早う行けと仰せじゃ。出立せよ」
艶麗に微笑む妻が玄馬を急かした。
生まれて初めて吉野を出るというのに、その顔に不安の色は欠片もない。長い旅路も、明神と玄馬に護られていると思えば怖ろしいことなど何もないのだろう。玄馬も笑みを返した。
吉野の山の明神が九重の姫に加護を授けるというのなら、その夫たる玄馬も多少の恩恵を期待してもいいのかもしれない。
何しろ玄馬の妻は、天女が空から舞い降りてきたかと思うほど優雅で美しいのだから、明神も格別の守護をせずにはいられないはずだ。
先行きは、案外明るいものかもしれぬ。
晴れ晴れとした気分で、玄馬は馬の頭を前へ向けた。
随身たちが一斉に馬に跨り、担ぎ手の力者たちが声を揃えて輿を持ち上げる。
玄馬は高らかに声を張り上げた。
「行こう。いざ京へ――!」
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