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三鷹市下連雀は住宅街で、三鷹の中ではちょっと高級なところというイメージだ。
先生からもらった住所を頼りに地図アプリの言う通りに進んでいくと、どんどん一般住宅の中へ入り込んでいき、合っているのか不安になる。
青い線の行き先は、他人の家の敷地じゃないかと思うくらい狭い路地。
この角を曲がるのか?
と、その時、うしろからカラコロという音が聞こえた。
振り返ると、着流しにカンカン帽、左手には古そうな革のトランクを提げた先生が、のんびり歩いてきた。
「ずいぶんマニアックな道を行くんだねえ」
驚きつつちょこっと頭を下げ、スマホを指差す。
「一応、アプリの案内通りに来たんですけど」
「君のこと、野良猫か何かと勘違いして案内したんじゃないの」
横に並んだ先生は、俺のあごの下をこちょこちょとなでた。
「わ!」
「……飛び上がらなくてもいいじゃない」
先生は、ちょっとムッとしつつ、俺のスマホの画面をのぞき込む。
「こんなにくねくねと。まあいいや、面白そうだからこの通り行こう。おいで」
ふたりでは並べないくらい細い道を進んだ。
カフェバー・レターズは、まさに、知る人ぞ知るというような場所だった。
普通のマンションの脇に、地下へ続く階段と、小さなブラックボードの看板が出してあるだけ。
薄暗い階段を降りて、扉を開けると、ドアについた鈴がチリリンと鳴った。
中は、想像以上に暗くて狭い。
「いらっしゃーい」
カウンターの奥から女のひとが出てきた。
赤い口紅が色っぽい、大人のお姉さんという感じ。
先生は「どうも」と言ってひょいと片手を上げると、迷いなくカウンター席に進んだ。
俺もちょこちょことついていく。
「へー、噂通り可愛いねえ。はじめまして、大河くん」
「あ、はじめまして」
頭を下げる。
名前も知っていて、既に何か噂まで。
一体どのエピソードを面白おかしく話したのだろうか。
先生に不審の目を向けてみたけれど、本人はどこ吹く風で僕の頬をつついた。
「いまどき珍しいくらい、無垢 でウブそうでしょう」
「ほんとほんと。くりくりの垂れ目、可愛いなー。あ、あたしは日村 愛美 。バイトだよ」
「よろしくお願いします」
首から上だけで大きく頭を下げる。暗い室内で良かった。顔が熱い。
先生は奥側のいすの下にトランクを置き、俺をその隣に促した。
帽子をとった先生が、メニューをこちらへ寄越す。
「レターズの名物は、さらさらのカレー。夕食をとりたいならそれを頼みなされ」
「先生は?」
「僕は甘いものをいただくからいいよ。おごりだから遠慮せず、何でも頼みなさい。あと愛美、これね」
先生がトランクから取り出したのは、お酒のビンだ。『電気ブラン』と書いてある。
「ありがとー。面白い話聞けた?」
「2ページくらいにはなりそうだよ」
僕がぽかんとしていると、愛美さんは、ビンの表面をなでながら言った。
「薫先生、ここで小説のネタ集めをしてるでしょ? 面白そうなお客さんがいたら、あたしが繋げてあげるのね。それでうまくいくと、こうやっておいしいブランデーをくれるわけ。知ってる? 電気ブラン」
「分かんないです」
「太宰治が人間失格の中で出してるお酒だよ。大河くんも、あと4年したら一緒に飲もうね」
「えっと……」
返事をしようとしたら、急に先生が、ムスッとした声を上げた。
「ホットココアとマシュマロチョコパイ。君は?」
「あ……じゃあ、カレーとコーラで」
「やっぱりかわいー。男の子って感じ」
「何だねその偏ったジェンダー観は」
「あはは、先生こわーい」
愛美さんは、目を細めて笑いながら、厨房に引っ込んだ。
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