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カレーを食べながら、ひとつ質問をしてみることにした。
「あの。愛美さんは、先生がどんな本を書いてるか知ってるんですか?」
「薫先生の? うん、知ってるよ。読んだことはないけどね」
先生は、何も言わずに俺の顔を見た。
ペンネームを聞くのは反則だ、と言いたいのだろう。
もちろん、反則をするつもりはない。
でも、ヒントをもらうのは正当な資料集めだ。
「先生の写真は世に出回ってないって聞いたんですけど、本当ですか?」
先生の顔が、明らかにギョッとした。愛美さんは小首をかしげる。
「え、薫先生の写真? 全然、普通に出てるよ。賞取った時のやつとか」
「あーあーあー。なんのことかな」
露骨に会話をさえぎる。
「あ、秘密だった?」
「詳しく聞きたいです」
「ダメ、そんなハレンチな話。年端 もいかない子に聞かせる話じゃありません」
なんとか話題を終わらせようとする先生を見て、愛美さんは何かを理解したように、ははーんと言って腕を組んだ。
「薫先生、写真大っ嫌いなんだよ」
「え? 何でですか?」
「あんなもの、魂を抜かれる」
忌々 しげに吐き捨てる理解不能の発言。
思わず「は?」と聞き返すも、先生は眉間にしわを寄せながら、半分に割ったパイを口に詰め込んだ。
他にも何かヒントはないかと、質問を続ける。
「愛美さんは、なんで先生がカウンセラーしてるのか、知ってますか?」
「うん、知ってるよ」
「いや、理由なんかない。ただの片手間の勤め先です」
もぐもぐと不明瞭な声で話す先生にかぶせるように、愛美さんが片手をひらひらさせて笑った。
「いやいや。こんなこと言ってるけど、本当は薫先生、他人のお世話大好きだからね? 大河くんもいっぱい甘えちゃえ。生徒連れてくるなんて初めてなんだから、もう、わがまま放題したってデレデレ許してくれるって」
「あのね、愛美。要らない入れ知恵をするんじゃないよ」
愛美さんは、あははと笑い飛ばす。
このまましゃべってもらえればいとも簡単に答えが出てきそうな気がする……なんてことを考えていたとき、後方のドアがチリリンと鳴った。
振り返ると、若い男性がキョロキョロと店内を見回している。
「およ、見ない顔」
先生は、口の周りについたパイのカスをハンカチで落とす。
男性はこちらに向かってきて、俺の隣に座った。
先生はすぐ話しかけるのかと思ったけれど、意外とそうでもないらしい。
男性を、俺の肩越しにさり気なく観察しつつ、ココアをちまちま飲んでいる。
小声で聞いた。
「取材、しないんですか?」
「いきなり『インタビューしていいですか』と聞かれて、ものを答える人間がいるかね」
「たしかに」
男性は、かばんから文庫本を取り出しぱらぱらとめくって、真ん中ら辺から抜いたしおりを後ろのページにはさみ直した。
表紙を盗み見ると、『堕落論 坂口安吾』とある。
やはり先生の言う通り、ここは文学ファンの変わったお客さんが多いのかもしれない。
カレーを食べ終えたあと、トイレに立った。
洗面台の鏡に映るパーカー姿の自分は、この空間に全然合っていない。
当たり前だけど、子供だ。
ふと、先生の言動を思い返す。
猫みたいだとあごの下をくすぐったり、ウブだと頬をつついたり。
愛美さんは、先生は実はお世話が大好きだと言っていた。
お世話どころか、書生になって手伝えと言われたけど。
本当に変なひとだ。
でもこんな風に誰かに構われたことはないから、ちょっとうれしい……かも知れない。
戻ると、先生が俺の座っていた席に詰めていた。
男性は本をテーブルの端に寄せ、愛美さんと先生を交互に見ながら、リラックスした感じで話している。
「バイトが出来心でお店の金庫のお金に手を出しちゃったとかはあるんですけど、部長クラスが横領なんて前代未聞だったらしいっす」
「えー、こわーい。普通なら、先のこと考えて踏みとどまると思うけどなー」
「背に腹は変えられない事情なんて、いくらでもあるよ」
話の邪魔をしないよう、そっと一番端に座る。
男性は、一区切り話したところで、トイレに立った。
「薫先生、どう? 面白い話になりそう?」
「二百番煎じの陳腐な話ができあがるだろうね。さあ、そろそろ帰ろうか」
「え、もうですか?」
まだ続きがありそうだと思ったけど、先生は何の未練もなさそうに、ささっとお金を置いて、愛美さんに別れを告げた。
「また来てね、大河くんも」
「あ、はい。お邪魔しました」
……と言い終わる前に、先生に腕を掴まれて、つんのめりながらお店を後にした。
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