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呼吸が整い、正気を取り戻すと、恥ずかしさで死にたくなった。
「っ先生」
「なに」
うつむいて顔が見られないまま、早口に言う。
「ごめんなさい。変なことさせちゃいました」
脱げた浴衣を雑にかき合わせる。
それでも先生が何も言わないので、顔を上げると、なんと、片頬を噛んで笑いを噛み殺していた。
「……なんで笑ってるんですか?」
「笑ってなんかいないよ、ちっとも」
「うそ、めちゃくちゃ笑ってるじゃないですか」
恥ずかしさのあまり睨 みつけたら、いいこいいことなでられた。
「僕が変なことをけしかけたんでしょう。君が謝ることないのに」
「だって」
「君の好きな作家が乱歩でよかった。海野十三だなんて言われた日には、とんだ変態プレイをしなくちゃならなかったよね」
「は……?」
目を丸くして見ると、先生はかすかに笑った。
「君にキスする名目をずっと考えていた。刺激的な謎解きだったよ、僕は純文学作家だけど」
謎解きだなんて笑って言われてしまったら、遊ばれているのか、先生の親切がどこまで本当なのか……全然分からなくなった。
「最初っからこういうことするつもりだったんですか? だから書生になれなんて言ったんですか?」
少し悲しく思いながら聞くと、先生は胸の前で小さく両手を上げた。
「まさか。幼気 な子供にそんな気を起こすなんて、ましてや男の子だしね。思いもしませんでしたよ」
じゃあなんで?
訳が分からず混乱していると、先生は、俺に浴衣を着せながら言った。
「大河、僕は君が好きだ」
「え?」
「好きになった。だから君が欲しい」
あまりに唐突で、フリーズしてしまった。
先生は優しく微笑む。
「それにね、僕は、いま君の心の底に眠っている気持ちがよく分かる。これでも一応、カウンセラーだからね」
「何も思ってませんよ。むしろ、びっくりしすぎて、何も考えられません」
何の心当たりもないので正直に答えたけど、先生は、何かをお見通しというような顔で言った。
「いま君がもてあましているのは、愛されたいという本能だ。君は僕に愛されたいと思っている。だから、名前を呼んで欲しがったりしたんだよ」
愛されたい……? 俺が?
「どれ、ものは試しだ。少し抱きしめられてみなされ」
先生が大きく両手を広げたので、ちょっと近寄った。
ゆるく抱きしめられ、迷った末、俺もおずおずと背中に手を回す。
「どう?」
「ドキドキします。緊張する」
「可愛がってあげるよ。僕とステディな関係になればね」
「ステディって?」
先生は、俺の目をじっと見つめた。
「お互いを好き合った状態かな。それで、僕は君を離さない」
先生の顔は冗談を言っている風ではなかったけど、全然話についていけていない。
「あの、俺は先生のこと好きとか全然思ってません。本能とか言われても、ピンとこないです」
「ふむ。じゃあひとつ、想像してごらん。僕が他にも書生を囲っていて、こんな風に好きだなんだと言いながら抱いていたら、どうかね」
目をつぶると、抱きしめる先生の体温を感じた。
他の誰かにも同じようにささやいていたら、確かにちょっと嫌だなと思う。
「他にもいるんですか?」
「いるわけないでしょう」
他人から空気のようにしか思われず生きてきた俺は、こんな風に誰かに強く求められたことなんかない。
現金かも知れないけど、自分が好きかとかはよく分からないくせに、先生の気持ちがどこか別のところへ行ってしまったら、嫌だと思った。
「僕は君の親鳥だ。君は生まれたての雛で、初めて愛されることを知ってしまった。だからもう、僕からは離れられないよ。これは本能だ。いいね?」
こくりとうなずく。
それを合図にまたキスが始まって、その晩俺は、先生の手の中で何度も何度も達した。
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