30 / 42
謎⑤ 幻のヒーロー
昼休み。俺は、人生で初めてのシチュエーションになっていた。
教室後ろのロッカーの前で、女子と立ち話をしている。
目の前にいるのは、佐々木 里帆 さんという……アイドルみたいに可愛いひとだ。
周りに聞こえないよう配慮しているのか、小声だし、距離が近い。
「急にごめんね?」
「いや……別に」
全然会話が続かない。誤魔化すようにペットボトルのお茶をあおる。
「余計なお世話かもしれないんだけど、市井くん、あんまりクラスになじめてなさそうな感じがして……大丈夫かなってちょっと心配になったの。嫌な思いしてないかなとか」
内心、ため息をつく。
こんな風に本気で心配してくれるひとはたまにいて、でも結局別にそのひとが友達になってくれるわけでもないし、ましてや女子なんか……どう答えていいか分からない。
どうしよう。
「えっと、別に嫌な思いとかはしてないよ」
「そう? うちのクラスの男子って、結構調子乗ったりするから」
たまにからかわれます、なんて言えるはずもない。
あと、いまその男子たちからの視線が痛すぎます、というのも言いたくても言えない。
「あ、なんか俺、ひとりの方が気楽なタイプみたいで……」
「そうなの? じゃあ、みんなで遊びに行ったりとかも苦手?」
「うーん、あんまり得意ではない、かな」
佐々木さんは、スマホを取り出した。
「あの、よければID交換しない?」
「えっ?」
「いきなりグループトークに誘ったりとかしないから、普通に、お話ししよ? あ、無理なら全然いいんだけど」
逆に、どういうつもりだと勘ぐりたくなってしまう。
でも、佐々木さんが何か悪い企みをするようなひとには思えないので、純粋な親切なのだと考えることにした。
「うん、いいけど……でも俺あんま会話得意じゃないから、面白い話とかできないかも」
「別に、気が向いた時に返事してくれればいいから」
佐々木さんは、少し微笑みながら、QRコードの画面を表示する。
男子の視線が、驚愕のものに変わっている。
俺は、手汗をにじませながらスマホをポケットから探り出した。
と、その時、廊下がにぎやかになった。
「新葉せんせーい!」
肩がギクッと揺れた。
まずい。きょうは月曜日。先生が巡回に来る日だ。
隠れるのは不可。もう、先生がこっちを見ないように祈るしか……と、廊下を見た瞬間、ばっちり目が合った。
思わずぎゅっと目をつぶる俺。
他方先生は、驚きをお首にも出さず、穏やかな微笑みをたたえつつ、後ろの扉から教室に入ろうとしている。
「巡回です。お困りごとはありませんか?」
朝と昼を使って全クラスを回り、相談されれば少し話を聞いて、その場でアドバイスしたり、相談室に来ることを勧めてみたり。
とはいえ、女子が取り囲んでしまうので、男には何の恩恵もない。
「あ、新葉先生に用事とかある?」
先生を目で追ってしまっていた俺を察して、佐々木さんが問いかけてきた。
「えっ? あ……ううん、ないよ」
「なら良かった。じゃあ、これ」
改めて佐々木さんのスマホが差し出される。
先生見ないで……と祈りながらQRコードを読み取ると、友達一覧に『♡RIHO♡』が追加された。
家族と小中の友達数人しか入っていない一覧表に、不釣り合いな文字列。
おそるおそる顔を上げると、先生は、既に女子に囲まれていた。
見ていない。けど、目に入っていないわけがない。
先生と女子の塊は、俺たちの真横を通って、教室の真ん中へ。
佐々木さんはにっこり微笑む。
「ありがとう。あとで何か送るね」
「うん」
もう、いまのは聞こえちゃったに決まっている。
福地さんにアドバイスをもらっていただけで嫉妬に狂って奇行に走った人物が、可愛い女子と話しているこの場面を目の当たりにして、何もしないわけがない。
きょうも放課後はいつも通り相談室へ行くつもりだったけど、正直、行くのが怖すぎる。
「市井くん、友達には何て呼ばれてるの?」
「えっと……普通に市井って呼び捨てか、あと下の名前そのまんまか」
「へえ。じゃあ、大河くんって呼んでいい?」
「あ、うん。いいよ」
「わたしのことも里帆って呼んで?」
「えっ」
先生を盗み見る。まだ話してる。笑顔だ。
でも、いつもなら少し話してすぐ次のクラスへ行くのに、全然動こうとしない――どう考えても監視されている。
「ちょっと、女子のこと下の名前で呼ぶのとか苦手で……」
「あ、そっかそっか。じゃあ全然、呼びやすい感じでいいよ」
気遣いができて、押し付けがましい感じもないし、性格がいいなあという印象。
こんな風に急に優しくされたら、好きになっちゃう男子は続出だと思う。
絶望的な気分になりながら頭をかいたところで、先生が動いた。
「もし解決しなかったら、気軽に相談に来てね」
「きょう行ってもいいですか?」
「16:00までは埋まっちゃってるから、その後でもいいかな」
う……。来いと言われている気がする。
目の前の佐々木さんは、くるっとした瞳で不思議そうにこちらを見ていて、俺はもう、手汗がすごい。
「大河くんは……」
やめて。呼ばないで。ひと懐っこそうな顔で俺をのぞき込まないで。
「部活とか、習い事とか、忙しい?」
ほんの一瞬だけ、先生が真顔になった。
ともだちにシェアしよう!