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6-2
ため息まじりにソファに座ると、先生はコピー用紙を持ってきて、ローテーブルの上に置いた。
そして、胸ポケットから出した万年筆で、さらりと一文を書く。
新葉揺らす薫風の如し
「なんですか?」
俺がたずねると、先生は穏やかな顔で言った。
「母が、僕を産んだ日に病室でつぶやいた言葉だそうだよ」
「風流なお母さんですね」
「変わった人かな」
先生は、『薫風』に丸をつけた。
「これは、五月の季語だね。自分の愛する男の名字『新葉』を、五月の薫る風がふわりと揺らす。赤子の僕は、そう見えたらしい」
「なるほど」
先生は、こちらにゆるく目線を投げかけた。
「さて、このエピソードをもとに、改めて筆名の由来を当ててみようか」
「はい。分かりました」
万年筆を渡されたので、紙の真ん中に、本名とペンネームを並べて書いてみた。
新葉薫
常葉風月
「下の名前は『薫風』でそろっていますね」
「うん。母の言葉の、風の方を拝借しました」
名字に目を向けてみる。こちらは、元の名前の逆になるようにつけたのではないだろうか。
「名字は、新葉の逆にしたのかなと思います。『新葉』が、若葉の瞬間だけのことだとして、『常葉』は、常に葉っぱが青い種類の木のことかなと」
「お見事。常緑樹といいます。作家たるもの、年中同じ調子で書けないと困っちゃうからね」
先生は、太ももに両ひじを立て、手のひらに顔を乗せた。
「さて、最後のその『月』はどこから来たでしょう?」
これがよく分からない。
自信はないけれど、風月と聞いたらこれしか浮かばなかったので、思いついたままに答えてみた。
「五月人形の風月ですか?」
「ぶっぶー。いくら伝統があるとはいえ、一般企業の屋号を自分の名前には使いません」
ハズレ。
誕生月だし、少し期待してもいいかと思ったのだけど。
そのあともしばらく腕を組んで考えていたけれど、答えはどうしても分からなかった。
「……分かんないです。降参」
「降参ね」
うれしそうな先生は、本棚から辞書を取り出してきた。
ぱーっとめくり、こちら側に向けて置く。
【風月の才に富む】
自然の風物を題材に詩歌・文章を作ること。また、文才のあること。
「縁起がいいでしょう?」
「なるほど。文才のあるお母さんが『薫風』というキーワードを出して、それを受け継いだ先生が『風』の字から縁起の良い慣用句を持ってきたということですね」
「照れるね」
要するに、上も下も、作家として長く食べていくためのゲン担ぎということだ。
先生は、浮かない顔の僕にじーっと目を合わせてきた。
「名前の由来当てられなかったの、気にしてる?」
「まあ、はい。当てるのが担当のひとに紹介してもらう条件でしたし」
先生は小さく「ふむ」と言って、冷蔵庫に向かいながら言った。
「まあいいでしょう。ちゃんと調べてきたし、母のつぶやきからぱっと見てあれだけのことが読み取れたのだから、及第点。それに、ここのところ、急に文章力が上手くなったしね。編集に紹介しても問題ない」
「えっ? ほんとですか?」
さきほどまでの怒りはすっかりどこかへ消えて、もう、天にも昇るほどうれしい。
「ありがとうございます」
大きく頭を下げて礼をする。
お目当てのブルーベリー&チョコレートパフェを探り当てた先生は、機嫌良さそうにソファに座った。
「あした、泊まりにおいで。言い訳はそうだなあ……」
言いかけた先生の言葉をさえぎった。
「いえ。この間母が『泊まるなら、連絡さえくれれば、理由まで書かなくてもいいよ。遊びたい年頃だもんね』って言ってくれたんです。帰ってきてタバコ臭いとか二日酔いみたいなこともないし、お金遣い使いが荒くなるとか服装が派手になることもないから、まじめな友達だと思われてるみたいで。だから心配もしてないし、いいよって」
先生はパフェを口に運びながら、うんうんとうなずいた。
「それは何よりだ。なら、夏休みに旅行も可能かね」
「え?」
「城崎温泉。行ってみたいと思いつつ行ったことがないんだよ」
照れているのか、パフェから目を離さない。
「はい。聞いてみますけど、多分大丈夫って言うと思います」
「じゃあ、良い宿を見繕っておくよ」
言いながら先生は、ブルーベリーを落っことした――露骨にうれしがっていて、可愛い。
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