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26 「番う」ということ

 あの時、何故突発的に発情期が始まったのか……  伊吹は俺が服用していた薬の過剰摂取が原因なのではないかと言っていた。そして過剰摂取に加え、なにか発情(ヒート)を誘発させる他の要因もあったのかもしれない……とも。俺はあの時の発情の一因も考えたけど思いあたる節がなかった。伊吹から金輪際その薬を飲むのはやめろと強く言われ、それからは一錠も飲んでいない。検査をし、自分に合った薬を処方してもらい、今ではそれだけを飲んでいる。万が一また急な発情に襲われても今度は俺の側には伊吹がいる。その安心感は以前の比ではなく、もう薬に頼ろうなどこれっぽっちも思わなかった。そして発情が怖いものだとも感じなくなっていた。そう思えるようになったのも伊吹の押し掛け女房的な助けのお陰だ。心身共に健康に過ごせていた俺は、事実を追究する事もなく今では穏やかに生活をしていた。  伊吹のおかげで「寂しい」と感じることもなくなった。夜な夜なぬくもりを求めスマートフォンを眺め相手を探すこともない。ぽっかりと空いた寂しさの穴はそのままだけど、俺はもうそんなものは気にならなくなっていた。 「俺と(つがい)にならないか?」    ある時伊吹にそう言われた──  伊吹とはあの時以来、淫猥な行為はしていない。俺の発情期間には休みをくれ一人そっとしておいてくれた。薬のお陰で上手く発情と付き合えるようになり辛いとも思わなくなっていたから普通に凌ぐ事ができていた。発情期じゃない時は、伊吹は定期的に俺の様子を見に来てくれ、俺の物寂しい気持ちを察しては心地良い言葉とスキンシップで俺のことを肯定してくれた。  伊吹が俺に対して恋愛感情を持ってそう言ってくれたのではないことはちゃんとわかる。俺が伊吹をそういった目で見ていないことだってわかっているはずだった。あまりにも唐突に、仕事後の何でもないひと時にさらっと言う伊吹を見て、俺は驚きのあまり飲んでいた缶ビールを口にあてたまま固まってしまった。 「え……なんで?」  伊吹の言葉に躊躇いは勿論あったけど、Ωである自分を認めてくれ、必要としてくれた……そう思うだけで俺は嬉しくて泣きそうになる。 「なんでって。そうだよな……理玖が良ければ、の話だけど。俺は理玖となら番になって生涯を共にしてもいいと思うようになったんだ」 「でも……嬉しいんだけど待って。番うってそんな簡単に口にしてもいいものなの?」  伊吹の言う通り、番の誓約を交わすということはお互いが「一生涯を共にする」という意味がある。Ωにいたってはその誓約の恩恵を受け、発情も番であるαのためだけのものになるし、精神的にも肉体的にも格段に楽になる。伊吹の申し出は俺にとっては願ってもない事だった。ただそれ故に強制的に番を解消されてしまえば心身共に酷いストレスを負い、二度と他の者と番う事ができなくなってしまう。  αと番う、ということは一般的な婚姻のそれとは重みが違う。Ωの俺にとっては決して簡単なことではない。恋愛感情もない相手に躊躇無く「番になろう」と言えてしまう伊吹の心情がわからなかった。

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