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30 感情の昂り?
流石に開店したばかりで休憩室には誰もいない。でもあと三十分もすればバイトがもう一人やってくるだろう。俺は椅子に座りテレビをつけ、ぼんやりと画面を眺める。
翔は何しにこの店に来たんだ? なんで俺を探していたようなそぶりを見せたのだろう……考えながらペットボトルのお茶を口に含んだ。変に喉が乾く。さっきはカッとなって苛ついたけどもう落ち着いていたはずだった。
「あ……?」
不意にポケットに忍ばせていたスマートフォンが震えドキッとした。なんでこんな事くらいで動揺しているのか自分でもわからない。そっと取り出し画面を確認すると店に出ているはずの伊吹からのメッセージが入っていた。
『発情期の気があるから念のため抑制剤を飲んでおくといい』
端的な言葉。それでも俺には意味がわからなかった。発情期はつい最近来たばかりだ。ここのところは伊吹のおかげで、きちんとした周期でそれは訪れている。症状も劇的に軽くなった。薬漬けだった日々を思うとこれは信じられない程の回復だった。
「……まあでも店長がそう言うなら、飲んでおいた方がいいのかな?」
俺は鞄からいつもの薬を取り出し、そのままお茶で飲み込んだ。服用したものの、何となく納得がいかないまま休憩室で過ごす。ああ、もしかしたら突然現れた翔に対して俺が苛々していた様子を見て勘違いしたのかもしれない。カッとなって体温も多少上がっていただろうし……伊吹は俺の体調の変化や心の揺れ動きをかなり正確に察することが多いからきっとそういう事なのかな、と思うようにした。
「理玖さんおはようっす。あれ? もう休憩? 早くないっすか?」
やっとバイトの一人がやってくる。最近入った大学生だ。実治 という名は本名なのか源氏名なのかは俺は知らない。あまり自分のことは話さないけど人懐こくて愛想が良いから、日が浅くても客から人気のある男だった。
「うん、店長にちょっと休んでろって言われた」
「え? 大丈夫ですか? 顔色……別に悪くねえし。いや、理玖さん元気そうじゃね?」
「ああ、俺の苦手そうな客がいたから気を使って下がってろって言ってくれたのかもしれない」
「マジか! 何それ店長相変わらずカッコいいな!」
軽くお喋りをしながら実治の支度を待ち、俺も一緒に店に戻った。
抑制剤を飲んだのもあるけど、そもそも発情期は来ていない。何となく熱っぽく感じるのは先程の苛つきからきた感情の昂りなのかもしれないし、軽く風邪をひいたのかもしれないだけ。これは発情とは関係ないのだと自分に言い聞かせる。店内に入り、恐る恐る伊吹の顔色を伺った。伊吹は常連の客と楽しそうにお喋りをしている。俺は声をかけずに仕事に戻った。
「理玖……ちょっと」
少しして小声で呼ばれた俺はカウンターの奥にいる伊吹のもとへおずおずと進む。怖い顔をしている伊吹を見て緊張が走る。でもすぐにいつもの優しい笑顔で見つめてくれたから安心した。
「うん、大丈夫そうだな。具合は?」
「別になんともないです。てかちょっと熱っぽいかも……でも支障ないからラストまでやれますよ」
伊吹が俺の額に手をやり「熱はなさそうだけど」と首を傾げるも、俺の言葉に小さく頷く。
「辛くなったらすぐに言うんだぞ」
顔を寄せ頭を撫でながらそう言う伊吹に、心配し過ぎだ……と、心が擽ったくなった。「はぁーい」と明るく返事をしながら、俺は店内にいるはずの翔の姿を探した。
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