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 リカバリ作業を終えた頃、着替えとヘアメイクの調整を終えた俳優が厨房セットに戻って来る。なにか声を掛けたい気持ちはあるものの、章太には、入れ替わりにセットを降りながら彼の表情を窺うくらいしか出来ることはなかった。  やり直しの撮影では、続木黒也は瓶を取り落とすことも、手順や台詞をミスすることもなく、一度できれいに撮り終える。けれど、その次のシーンでは長台詞を言い切れずに芝居を止め、撮り直しとなったり、彼の「調理(をしている振りをする)シーン」の動きをいつもどおり章太がやってみせて説明したにも関わらず、覚え洩らして工程をすっ飛ばしたりと、リテイクを重ねた。 (あれ、もしかして) (続木さん、具合いわるい?)  その段になって初めて、章太は続木黒也のようすがいつもと違うことに気付いた。背すじもすっと伸びているし、顔色も変わらない。だが、よくよく聞けば滑舌は怪しいし、常であれば音も立てないほど丁寧に扱う調理器具が、たびたびがちゃん、ごとんと鳴る。何より、カメラが止まるたび、彼はしんどさを耐えるように大きく息を吐くのだった。 (風邪……とか?)  本人が言わないだけで、すでにスタジオ内の全員がそれを確信し始めている。そして本人があくまでもやりとおす気でいるのなら、なるべく撮影時間を短く納めることでその負担を軽くしよう、との判断をディレクターが下したようだった。 「はいOKー! 次、シーン三十七、このまま厨房で、シェフ独白のシーン!」 「メイク入りまーす」  続木黒也の発した台詞に多少のよれや突っかかりがあれどもNGとはならず、撮影シーンは次に進んでゆこうとする。と。 「待ってください」  厨房セットの真ん中に立つ男が、一人、異を唱えた。張り上げなくともよく通る、意志を持った声音。現場中の目線を集めた彼は、その片手をしっかりと挙げている。 「すみません、今のシーンやり直させてください」 「続木君……、だが」 「俺の体調がわるいのは、ほんとすみません。それを叱られるならわかります。いくらでも叱られます。けど、万全じゃないものを世に出すつもりは、俺にはありません」 「……こんな言い方はずるいと思うだろうが、続木君、この番組はドラマとは違う。ドラマ仕立てだが、バラエティでもある。バラエティは、どんなトラブルも――出演者のちょっとした体調不良も、時には旨みとして許容できるものだ。それは妥協じゃない、質の違いだよ」 「けど、俺の芝居です」  俳優ははっきりと断言し、揺るがぬ瞳でまっすぐにディレクターを見据えた。その瞳にやや充血が感じられること以外、続木黒也の容貌にはなんの乱れもない。どれだけの意志の力で、自身の不調をねじ伏せているのか。  例えば、と彼は言い募る。 「今回、俺の体調不良を『許容』するために、どんな方法を取りますか。テロップでシェフは風邪引き中とでも入れれば、珍しい姿を見れたと、視聴者は喜んでくれますか? そういうものを旨みとして面白く見せることも、もちろん出来るんだと思います。バラエティの手法を否定はしません。……でも、俺の演じてきたシェフは、風邪引いて作った料理を客に出すなんて真似はしない」 「――」 「もう一度やらせてください。シェフは風邪なんて引いてない。彼が厨房に立つ以上、それは絶対だ」  わかった、とディレクターが頷き、現場にリテイクの指示を出す。……章太もついはっとするが、そういえば食材を扱うシーンではなかったため、自分の出番はないのだ。慌ただしいスタジオのようすを見ながらも、ほっと体の力を抜く。

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