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 続木黒也は、どうやら眠ったようだった。  その寝顔を見る以外、なにもすることがなくなってしまうと、章太の胸中にはじわりと不思議な気持ちが湧き上がってくる。 (続木さんって、あの『続木黒也』なんだよなあ……)  年下の従妹や、同じ料理教室に勤める先輩講師、それからもちろん生徒さんの中にも、彼の名前でぱっと華やいだ表情を見せる女性はたくさんいる。その『続木黒也』だ。どうしていっしょの部屋に居て、あまつさえ寝顔なんぞをたっぷり眺めてしまっているんだろう。 「……」  こんな状態でも、俳優の顔立ちは鑑賞に耐えうるレベルをキープしている。普段涼しげな容貌を見せていることが多い分、上気した頬には、なんだか得も言われぬ色気まで見て取れてしまうのだ。苦しそうではあるのに、それさえ絵になる。 (なんか、すごいな)  自分たち一般人とは、持って生まれたものが決定的に違う。彼は本当に、立つべくしてカメラの前に立っているのだろう。  昔、振り向いてくれない好きな子が続木黒也の大ファンを公言しているからと「どうせ一皮抜けばただの人間。自分と変わらない」、そんな安い文句でクサしてみせた知人がいたけれど、とてもじゃない。こんな存在、たとえ泥の中に落としたって輝きはそのままだ。 (体の中に、『星』を持ってる)  それはきっと、大勢の「誰か」にとってのポーラ・スター。  決して墜ちてはいけない光。  章太は、続木黒也の出演作を一つもまともに見たことがない。それでも、この星が消えたら心はざわつくだろうな、と思った。正面切ってドラマですとは言わないくらい設定のゆるやかな「オーナーシェフ役」の演技であっても、彼のそれはとても魅力的だ。どこにもよけいな力みを感じさせない自然体のまま厨房に立ち、気付いた人をつい微笑ませてしまう茶目っ気も見せながら、「元一流シェフ」という隠し設定がキャラクターの血肉として息づいて感じられるほど堂に入っている。  直前のリハーサルまで章太の実演を「へえ~!」と物珍しそうに眺めていても、いざカメラが回れば、彼はもう何年も一流ホテルの厨房でこれをやっていた、という空気感でこなしてしまう。  撮影直後のチェック用画面でそれを見るたび、章太は子供のような気持ちになった。調理工程として不自然なところはないか、きちんと確認はしつつも、内心で何度「すごい……!」と感嘆したかわからない。  実際には一から十まで章太が作ったただの揚げものでも、画面の中、続木黒也演じる「オーナーシェフ」が油から上げてみせるフリッターは、とてつもなく美味しそうに見えた。このレストランに行ってみたい、この料理が食べたい。そんなふうに心動かす力が、彼の演技にはあるのだ。  その輝きを待ち望んでいる人は、章太には思いも及ばないくらいたくさん、たくさんいる。 (だから、どうか早く元気になれますように)  無力な身として精一杯の祈りを胸の内で唱える頃、楽屋のすぐ外に靴音が止まる気配がした。  どうやら、マネージャーのお戻りだ。  ということは、ひとまず自分の役目も終わる。章太は俳優の寝顔から視線を引き剥がし、ゆっくりと開かれていく扉の方へと、それを向けた。

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