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それがどんなにイレギュラーなものであろうと、とりあえず向かうべき方向さえ決まれば、スタジオ内の空気はぐっと明るく前向きなものに変わる。
章太は一人、そっと安堵の息を吐いた。
なにやら鬼気迫るようすで猛然と電話を掛け続けている瀬野をその場に置き、黒也は軽い足取りで厨房セットの中まで戻ってくる。
「続木さん、あの……これわかってないの、オレだけかもしれないんですが」
「うん?」
「那須高原って、なんの話ですか?」
「ああ、うん。俺がBSの方でやらせてもらってるレギュラー番組があるんだよね、それこそデビューしたての頃から続いてるやつでさ。俳優仲間七人が何人かずつの持ち回りでやってるから、俺も毎週出てるってわけでもないんだけど……それの年一恒例企画で、七人全員そろって旅行しようっていうのがあって。今日の午後から二泊三日、俺はそっちのロケに行くんです」
「えっ……た、大変じゃないですか」
「うん。主に、瀬野さんの胃がね。ああ見えてものすごい心配症なんだよ、瀬野さん。妥協するってことも知らないし」
「……瀬野さんもですけど、続木さんも、です」
聞きかじったかぎりでは、そうとうの強行スケジュールを自ら提案していた気がする。
(しかも、笑顔で……)
もしかして、彼はいつでもこんなふうに「ちょっとした無理」を引き受けてしまうんだろうか。だとしたら、瀬野マネージャーが気を揉むのも道理だ。
(前たしか、ごはんの食べ方もわからないって言ってたんだよな……)
役者として秀でている分、生活能力というか、自分の健康を大事にする能力は欠落しているのかもしれない。そう考えたらますます不安になってきて、章太は黒也の顔をじっと見つめた。……今のところ、クマ一つない綺麗な顔だ。
「俺のこと心配?」
「──」
唐突に訊かれ、章太はえ、と瞬きをする。……心配?
「それは、はい……。あの、あんまり無理をしてほしくない、です」
「俺もめちゃくちゃ心配した。章太のこと」
黒也の声のトーンがすっと落ちて、急にスタジオ内の喧噪が大きく響き出したような気がした。その反面、彼の紡ぐ言葉のひとつひとつが、章太の心にそっと寄り添ってくる。とても、近くに。
「瀬野さんに連絡来た時、今回のトラブルは章太が原因って言ってるみたいに聞こえたんだよな。現場の空気がどうなってるかもわかんないし、章太は自分のこと守るの下手だし、俺が行って風よけになんないと、って」
「え……?」
風よけ。……章太のために?
(なんで)
「そしたらめちゃめちゃほっとした顔で『大丈夫』って笑ってるから、そんなんもう、ああ良かったーって俺もすごい安心するだろ。しかも、ようやくちゃんと章太の笑顔が見れた」
「……え、笑顔って、べつに」
そこまで仏頂面をしていただろうか、と、章太はにわかにひやりとしてしまう。確かに特別にこやかな人間ではないけれど、それでも人並みに愛想は良くしていたつもりなのに。
「ずっと見たかったんだよな。だから、いまの俺は無敵。なんにも無理はしてないよ」
ふんわりと目じりを溶けさせた、それこそとろけそうに優しい笑顔で、黒也はそう言う。なんだか本当に、今日の彼は目に痛むほど眩しい。
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