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・黒也が章太のヘアケアをしている話 -01

 なんだか、すっかり贅沢を覚えてしまった気がする。  濡れ髪のままバスルームから出ると、リビングのソファには、もろもろの必要品を揃えた黒也が準備万端で待っている。章太はソファに背を付けるかたちで床に──より正確に言えば、床に敷かれたラグの上に、足を投げ出して座った。  背後のソファに陣取った黒也は、まずは丁寧な手つきでタオルドライをしてくれ、その後でヘアオイルを髪全体に馴染ませる。そうして下準備を整えてから、ようやくドライヤーを手に取った。 (すごく……眠く、なる……)  もともと人に頭を触られることに抵抗はない性質だ。ましてそれが黒也の手ともなれば、与えられる心地良さは倍増どころの話じゃなかった。章太は付けっぱなしのテレビ画面を目で追いながらも、ふわふわと浮遊する意識と戦う。  さっき浴室で使わせてもらったシャンプーも、いま、髪に付けてもらったヘアオイルも、ぜんぶ黒也の香りがする。……ここは黒也のマンションだから、当然だけど。  自分がよく行くドラッグストアでは絶対に見掛けない類の、たぶんとても値の張るシャンプー。香水かと思うくらいに、上質な香りが立つ。ちゃんと香るのに、それをきついにおいだと感じたことはなかった。  章太にとっては、いまやこれがいちばん安心する香りだ。 「はい、終わり」 「ん……んん」  ドライヤーの音が止んで、最後にやわらかな手櫛で髪を調えてもらう。章太は落っこちそうな瞼をどうにか持ち上げ、黒也に礼を言った。 「あり……がと、くろや」 「どういたしまして。って言うか俺ずっと気になってるんだけどさ、章太」 「……え?」  ドライヤー片手に鼻歌混じり、自分と同じくらいリラックスしていたはずの黒也が、やや神妙な口調になる。章太は背を返して、ソファ上の黒也を見返った。 「章太が普段使ってるシャンプー、何?」 「え……と」  それはそんなに真面目に訊かれなきゃだめなことなんだろうか、と戸惑いつつも、章太はありふれた商品名を答える。……途端、黒也はがっくりと頭を落としてしまった。 「えっ?」 「……そりゃ、そりゃ俺がどんだけ丹念にケアしてても次に会う時にはぱっさぱさになってるはずだわ……」 「え、あれ? ごめん、なさい?」 「章太それ、まじで小学生の頃から使ってるだろ」 「あ、うん」  垂れた前髪の隙間にようやく目が合う黒也は、はああ、と嘆息し、さらに項垂れてしまう。 「あの、オレほんとにこだわりがないから……」 「いや、いいよ。いいんだけどさ。中学とか高校くらいん時、さすがに家族シャンプーからは卒業したくなんなかった?」 「うん。そういうのあったよ。あったけど……あ、当時すごく人気あったアイドルがCMしてたやつ、オレも憧れて買ってみたんだよ。けど、ぜんぜん肌に合わなかったみたいで、首周りとかがかぶれて真っ赤になっちゃって。なんかすごくスースーする使用感も、あんまり好きじゃなくて……その時に、オレはやっぱりいつものやつしか合わないのかな、って思ったから」 「でも今は、俺のやつ普通に使えるじゃん」

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