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・黒也が章太のヘアケアをしている話 -02

「うん……。そういえば、そうだね」  言われてみると、確かにそうなのだ。章太が素直に頷くと、やっと顔を上げてくれた黒也からは、「呆れた」と文字で書いたような表情を向けられてしまう。……シャンプーの銘柄が、そんなに大事なんだなあ。本当にそこに頓着してこなかった章太の目には、黒也の落胆振りこそ大仰に見えた。 (でも、そっか。当たり前か)  黒也にとっては、自分自身の容姿も大切な売り物の一つだ。どんな衣装も着こなせる見栄えの良い体型を維持するために、ランニングや筋トレ、ジム通いを欠かさない。肌荒れを起こせばメイクさんの手を煩わせるだけだから、と言って、自らスキンケアをする日もある。  それこそ頭のてっぺんから足の爪の先に至るまで、黒也の全身には、きちんと手が掛けられているのだ。 「あの、だったら、黒也がオレに、シャンプー選んでくれれば……」 「ならもう、俺のやつ使う?」  二人の声がかち合って、二人とも目を丸める。たぶん、おんなじこと言った? 章太はすぐにそれに気付いて、ふわりと吹き出した。 「なんか最近、黒也とオレの思考、似てきてる気がす……って、えっ?」 「よし。ちょうどストックあるから持って来る。ちょい待ってて」 「えっ黒也のやつって、えっ待って、やだよ! あれ絶対高いのに!」 「心配しなくても、章太から金なんか取りませんー」  持って来なくていい、と訴える章太の声をさらりと聞き流し、黒也はほどなく両手に大きなボトルを携えてリビングまで戻った。しかもどうやら、ヘアオイルのおまけ付きだ。 「俺と章太の髪質もちょい違うから、ほんとはちゃんと章太の髪に合うタイプが良いんだけどな。まあ間に合わせってことで、とりあえずこれ。次の時には、章太用のやつを用意しとくよ。で、さすがにもうオイルの使い方はわかるだろ?」 「いいいいらない! 受け取れません! 無理だから!」 「基本は髪を乾かす時と、スタイリングの前。ドライヤー使う前、って覚えといて。あと付けすぎ注意で」 「聞いてってば!」 「章太まじで自分の容姿にこだわってないけどさ、生徒さんは女性が多いんだろ? 女の人はいろんなとこよく見てるもんだし、高橋先生の髪がつやっつやのさらさらになったら、生徒さんも今よりもっと気分良くレッスン受けられると思うけど?」 「う。せ、正論は、……ずるくない?」 「あと俺も嬉しい」  するりと差し出される本音と、はにかんだみたいな笑顔。それは、本当にずるい。章太は返す言葉を飲んでしまいながら、黒也を見つめた。彼の表情からやわらかな光が零れて、自分の胸の中にまっすぐ届く。好き、だなあ。その気持ちが、また深くなる。……こんなのもう、白旗を揚げるしかない。 「ん」  章太はその気持ちのまま、黒也へ向けて、自分の両腕を大きく広げる。「ん?」とすぐに気付いてくれた恋人は、どこかくすぐったそうに笑みながら、こちらの腕の中におさまりに来てくれるのだ。 「うん……」  お互いの吐息が近くなると、どうしなくても、キスになる。ひとしきり甘い舌を堪能してから、ゆっくりと唇を離した。黒也が笑う。 「ありがとう、のキス?」 「好きだよ、のキス。だよ。……ありがとうはちゃんと、言葉で言うから」 「了解」 「ありがと。くろや」 「うん」 「……オレ、ほんとに貰ってばっかで、どうしようかな……」  すっかり自分の居場所になってしまった黒也の胸の中で、章太はこっそりと呟いた。相手に聞こえていても、聞こえていなくても、どちらでも構わないと思っていたけれど、黒也はちゃんと耳にしていたみたいだ。 「『貰ってばっか』でいいよ。そう言われるだけで、俺愛されてるなって気分になる」 「え?」 「章太はさ、俺がどうして『そうしたい』のかをちゃんと考えて、理解しててくれるだろ。だからいつも、いつでも、まっすぐに『ありがとう』なんだよな。……俺の経験上、『なんにもしてくれない』って言い出したら、それこそ関係の危機ってやつです」 「です、か?」  あまりピンと来ないまま復唱する章太に、それが表情からわかったんだろう、黒也はふわっと吹き出しながら「です」と頷いてみせた。恋愛の経験値で言えば、黒也の方がはるかに高い。章太はそうなのか、と納得するほかなかった。 「それに俺も、章太にいろんなことして貰ってるよ。だから、おあいこ」 「おあいこ、かあ」 「不服ですか?」 「ううん。ずっと『おあいこ』なのがいいなって、そう思って。上手く言えないけど……、荷物をね、二人で分け合うみたいに」  長い道を、持ち合いっこで歩んでゆく。そんなイメージを伝えたくて言葉を探したら、章太の目線の先で、黒也はすっと平たい筆を引いたみたいに表情を消してしまった。章太は瞬く。 「え、あれ?」 「章太」  紡ぐ黒也の声音は、びっくりするくらい、あったかい。  それは静かな、笑み混じりの。 「今の、プロポーズですか?」

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