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・二人の初夜 -01

 この部屋の冷凍庫に、なぜか常備してあるホームサイズのバニラアイス。中身が心許なくなると箱が二つに増えているから、たぶん家主は意識して切らさないようにしている。  そして本日のリクエストデザートは、それをたっぷり使ったトライフルだ。  章太はガラスの器にカットフルーツやコーンフレーク、生クリームなどを盛り付け、最後の仕上げにバニラアイスを乗せるべく、冷凍庫の扉を開く。と。 「章太。これ、見たんだ?」  リビングの方から、黒也が訊ねた。「え?」と章太が遅れて顔を上げるまでの間に、黒也はキッチンカウンターのすぐ近くまで歩いて来ている。「これ」と彼が振るのは、ブルーレイディスクのパッケージだ。 「あ、はい」  アイスの蓋を開けながら、章太は頷いて返した。そうしてから、ふと不安の影が頭をもたげる。 「あの、オレ、今日は教室の方が早上がりだったんです。それで、夕方にちょっと時間があって……部屋にはいつ来てもいい、部屋の中の物は自由にしていい、って言ってもらってたので、普通に甘えちゃってすみません……」  ブルーレイのタイトルは、真夏頃に公開されていた映画。黒也の出演作だ。ところが、作品はなんだか意外なくらい上映館も、上映期間も限られていて、そうと気付いた時には、章太がどうしても予定を空けられない日の上映しか残っていなかった。 (オレにとっては、『タカト』以来の映画館での続木さんになるはずだったんだけど……)  そうして見そびれたことは、黒也も知っている。だからリビングのテーブルにパッケージを見つけた時、つい、これは自分のために用意してあるんだろう、と思ってしまったのだ。 「いや、いいよ。全然いい。ただ、俺といっしょに見た方が確実かもなって思ってたからさ。でも章太が大丈夫だったんなら、それでいいんだ」 「……?」  黒也の不思議な言い方に、章太はちょっと眉間を寄せた。どういう意味か、わからない。黒也は一人、なぜだか安心したみたいに苦笑している。 「わかんないって顔してるなー」 「はい……」 「それなら、ほんとに平気だったんだな。良かった。……一人で見たことを気にしてるわけじゃないから、章太ももう忘れていいよ」  黒也は言うと、そこでこの話は終わり、とばかりに、「出来た?」と訊いて章太の手元を覗き込んでくる。  そのやりようはとてもさりげない。  だから、章太が彼の真意に気付けたのは、二人のトライフルが半分くらい減った後だった。 (あ) (そっか。以前にオレ、昔見たAVがトラウマだって言ったから……)  映画は、男性同士のカップルを描いた恋愛物。二人ともお互いに憎からず想っているけれど、片方に大きな秘密がある、というストーリーで、黒也はその「秘密」に大きく関わる役を演じていた。  有り体に言えば、主役の男性はとんでもないドMであることを隠している。黒也は、その彼が望むままに手酷い性交をする、サディストの役だ。  男同士とはいえ、全裸で絡み合う姿がしっかり映されていたし、ストーリーの根幹に関わる描写だから、シーン自体も長かった。それを章太が見るのはきついかもしれないと、黒也はそんなふうに気遣っていてくれたのだろう。 「……あの、さっきの映画の話、してもいいですか?」 「ん? うん」  章太が訊くと、黒也はいつもの表情で頷いた。とはいえ、前触れもなく突然「ありがとうございます」と伝えるわけにもいかない。どう切り出せばいいのか、少し迷う間に、黒也の方から話を差し向けてくれる。 「主人公の性癖自体特殊だし、俺の役もけっこう暴力的だったよな。章太、びっくりした?」 「あ、びっくり……というか、オレ、……たぶん初めて、人間の体ってこんなに綺麗なんだなあって思いました」 「綺麗?」  意外な言葉を聞いた、と言いたげに目を丸くして、黒也は瞬きを繰り返す。章太は慎重に頷いた。 「はい。なんだか、彫像みたいだなって……映画だから、映像が綺麗なのは当然なのかもしれないんですけど、ただすごく、すごく綺麗だなあって」  自分の感じたことを、どうすれば上手く言葉に出来るんだろう。胸の中のもどかしさを少しずつでも吐き出そうと、章太は頭をフル回転させて言葉を探す。あの映画を──そこに映された黒也の裸体を観て、いやな気持ちは一つも覚えなかった。それだけは確かだ。 「なんか、オレは全然詳しくないですけど、アートとか、宗教画……って言うと大げさなのかな、でも、そんな感じで、肌が光ってるというか、神々しいって言うか、……同じ人間じゃないみたいだなあって、思って」 「……ふうん」 「かなり生々しかったはずなのに、ほんとに、ただすごく、綺麗でした……」  こちらの話を聞く黒也の表情がまったく芳しくないことに気付いて、章太の声も尻窄みになってしまう。  なにか、良くない言い方をしただろうか。 (……映画としては、あのシーンを『綺麗』って言っちゃだめなの、かな……)  秘密を暴かれる、後ろ暗い悦び。描かれている感情は決して綺麗なものじゃない。主人公が行きずりの男に身を任せて、快楽に没頭するシーン。黒也の演じた男も、むしろ悪意に近い感情を持って相手の性癖を暴きにかかっていた。  ひどい言葉で相手を詰り、実際に手さえ上げながら、露悪的に笑む。黒髪を長めに垂らした黒也のビジュアルは、滴る色気が目に見て取れそうなほど艶っぽく、まるで相手の魂を貪り喰らわんとする悪魔みたいだった。

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