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・二人の初夜 -02

「俺としてはさ、章太」  沈黙をやんわりと割いて、黒也が言う。 「キレイってより、エロいって言われたいんだけど」 「え……、エっ!?」 「そこ驚く? 俺はいま、誰よりも章太にエロいって言われたいよ」 「…………」 「引かれるとふつーに傷付くな」  黒也は他人事のように呟くと、銀色のスプーンをガラスの器の中に放って、ぐっと章太の方へ身を乗り出す。 「俺がキスする相手、世界中で章太だけだよ?」  演技を除いて、という意味なのは、章太にもわかる。わかるけれど、どう答えればいい? (オ、オレもです……とかじゃ、意味不明、だし)  戸惑ううちに、痺れを切らしたらしい黒也が唇を塞ぎに来る。伸ばされてきた舌先に残る、バニラアイス。その冷たい甘さがこちらの舌の上でじわっと溶けるのに、堪らない気持ちになった。くちゅりとさらに掻き混ぜられて、章太は小さく喘ぐ。 「ん、っ……」  黒也とのキスにはだいぶ慣れたけれど、まだ上手く息は出来ない。気付けばいつも、頭も胸もくらくらしてしまっていて、離された後の濡れた口の端に、黒也の親指がそっと押し当てられているのだ。 「……章太が何もかも初めてサンだから、俺もこれでも、かなりゆっくり進めて来たんだけどさ」  零れた唾液を親指で拭い取ってくれながら、黒也はどこか突き放すように言う。 「章太はきっと、俺相手に『その気』になんないんだよな。さっきので、それがわかった」 「え?」 「俺のこと、自分とセックスする相手だと思ってないだろ」 「……」 「俺がほかの男としてる映像見ても、嫉妬するどころか、暢気にキレイだなあなんて言ってくれちゃうんだもんな」 「で、でも、それは……だって、演技で」 「演技だよ」  黒也の声は、当たり前のことをわざわざ噛んで含めて教えてくれる人みたいに、やや嘆息混じりだ。 「俺も相手も、それが仕事だからやってる。個人的な感情なんか何にもない。けどさ、あの男に触ったのは俺のこの手だし、抱き合ったのは俺の体なわけ。それでも、取られたって思わない? ちょっとも? だとしたら、章太は俺のことを好きじゃないよ」 「っ……」 「俺のこと、『自分のものだ』って想ってくれてない」  章太からの反論を待たず、黒也が言葉を重ねる。それはなんだか、重たい曇天から落ちてくる雨粒みたいな独白だった。 「独り占めしようとする気もない。触りたいとも、抱き締めようとも思ってない。俺のことを見てくれてるけど、見てるだけ。そしたら俺はいつまで待っても、章太のものになれない。章太以外の、みーんなのものだ」 「好き、です……っ」  どうして、こんなふうな言い合いをしてるんだろう。気付いたら、冷たい塊が胸を、喉を、ぎゅっと塞ぐように迫ってきている。章太はきつく圧迫されてしまっている胸郭から、その一言を絞り出した。  どうしても、この想いだけは疑われたくない。──てのひらの小さな灯りで、たったひとり、照らすひと。 「オレは、……続木さんのことが、ほんとに」 「そう。ありがとな。でもさ、章太が『好き』なのは、俳優の続木黒也サンだろ。いつも画面の向こうに居る。スクリーンの中に居る。──章太の隣には、いない」 「そんなこと……!」  胸の中の冷たい塊が、かっと温度を上げて、悔しさに変わったような気がした。

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