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・二人の初夜 -03

 どうして、そんなこと言われなくちゃならない? 「つ、……っづきさんは、オレのこと、ぜんぶ……っ」  ぜんぶ、まるごとを知ってるわけじゃないのに。  今のいままで何の感触もなくなってた手のひらに、ガラスの器の冷たさを感じる。冷たいって思うのは、自分に熱があるからだ。手のひらに、ちゃんと熱がある。  小さくても、火は灯ってる。 (ここに)  だけど、それをどう伝えればいいんだろう。言葉はきっと、届けられない。少なくとも今は絶対に無理だ。  章太は自分の声をどんな形にするべきか逡巡して、器の中のトライフルに目線を落とす。ゆるり溶けたアイスと、ブルーベリー。 「だったら、章太からキスして」 「っ……」  なんの温度もない、諦めたままの声音で、黒也が言った。章太は反射的に顔を上げる。  二人の目が合っても、黒也が笑むことはない。 (……別人、みたいだ)  なまじ顔が整いすぎている分、黒也に無表情でいられると、本当に何を考えているかわからなかった。  見つめ合ったままの瞳に、瞬きの続きみたいに簡単に、すとっと両の瞼が下ろされる。そうして、黒也はなんにも期待していない声で、言うのだ。 「章太がしたいようにしていいよ。俺に、俺のこと好きって教えて。その舌で」 「──」  章太はトライフルの残りをテーブルに置いて、ソファの座面に手をつく。片手じゃ少し距離が足りない。もう片方の手をさらに黒也の近くにつけて、両手で本革の表面を温めながら、息を止めた。  そうっと、唇を重ねる。 (……オレからするの、初めてだ)  慣れてきたはずのキスなのに、自分からするというだけで、ぜんぜん感覚が違う。心臓がばくばくしていて、黒也の唇の感触なんてわからない。 (こ、これど、どうやって……口)  口を開けてもらうには、どうしたらいいんだろう。黒也にされた時のことを思い出したいのに、テンパった脳みそはなんにも意味のあることを考えついてくれない。章太はすぐに呼吸も苦しくなって、唇を離した。 「……っ」  目を開けても、世界はなにひとつ変わっていない。黒也はキスする前とまったくおんなじ無表情をしていて、瞼を持ち上げてくれそうな気配もないままだ。 (そういえば、最初) (オレは、これがキスだと思ってた)  もちろんディープキスの存在を知らなかったわけじゃないけれど、……さっき黒也が言ったように、「自分がするもの」だとは思っていなかった。今までの人生で恋人を持ったことがないから、具体的にあれこれ考えることもなかったし、セクシャルなことはひとまず自分とは無関係なものだと思い続けてきたのだ。 (恋人……)  想いを込めて、唇を重ねて。とても絵になるハッピーエンド。世界的に有名なプリンセスの出てくる映画みたいな、綺麗なキス。  それだけじゃないことは知っていても、そんな想像しかしてこなかった。これまでの女性への片想いは、ぜんぶ……。 『章太って、ゲイ?』  いちばん最初に、黒也から訊かれたことを思い出す。 (わからない。けど)  章太はもう一度、そっと息を止めて、黒也と唇を重ねてゆく。自分の口をちょっと開けて、舌先を伸ばす。  柔らかな唇の奥、つるりとした歯の感触に触れると、黒也はあっさり口を開けてくれた。章太は「……ん、」と息を継いで、もっと舌を伸ばしてみる。自然に、首の角度が変わった。 (オレは、黒也に抱き締められるのが、好きだよ)  黒也の腕の中は、ひどく安心する。……けれど、本当は同じくらい、そわそわもする。もっと、もっと、と、自分の中に声がするから。 (壊されたく、なるんだよ)  もっときつく抱き締めて。もっと。この体を壊すくらい。  自分なんていらない。  黒也の体温に溶けて、おなじものになりたい。 (……そういうの、おかしい)  おかしい、駄目だ、なんてブレーキを、もし、掛けなくてもいいんだとしたら。 「しょーた」 「ん……」  気付けば、長いキスが終わっている。ちゃんと自分がリード出来たのか、それともやっぱり黒也に翻弄されてしまっていたのか、キスに夢中になりすぎていてわからない。たぶんもうどっちでもいい。  章太は変わらずくらくらするような気持ちで、ゆっくりと目を開けた。ほとんど額を合わせるような近くに黒也の顔があって、視界はまるで用をなしていない。だからまた、目を閉じた。……自分の首の後ろには黒也の手が置かれていて、そこから伝わる熱のせいで、頭の中がぐちゃぐちゃになっている気がする。  至近距離の恋人は、ほとんど聞こえないくらいの囁き声で言った。 「……しよ?」

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