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・二人の初夜 -06
「続木さ」
「……章太、スマホ取れる?」
ふいに問われて、章太は「はい……」と答えながらベッドサイドへ手を伸ばした。少しだけ背を浮かせて、指に当たった冷たい感触を掴み取る。
それを黒也へ渡すと、彼は「ありがと」と受け取った。そうして、「んー」と声をこぼしつつ、何やら手短に操作する。
「あ。やべ、送っちゃった」
「え?」
「章太宛て。誤操作だから、後で見ても気にしないでいいよ。で、はい」
黒也が手探りでスマートフォンを差し出した。章太はそれを受け取る。言葉どおり、章太宛てのメッセージアプリの画面だ。そこに送信済みの新規メッセージがひとつ。
加賀見玄哉。
「本名」
「えっ?」
「俺の、本名がそれ。それで『くろや』って読む。かがみくろや」
淡々とした黒也の声が、じんわり、遅れて脳に染みこんだ。本名……。『続木黒也』ではない、名前。
「あっ、え、本名だったんですかっ?」
「ん? うん。……ん?」
「あの、どちらかと言うと、芸名なのは『黒也』の方かと思って、ました」
章太が言うと、黒也は機嫌良く笑い声を零す。
「うん。そりゃ瀬野さん、まんま「あからさまに芸名っぽい漢字にするか」って言って考えてたもんな」
「瀬野さんの命名なんですか?」
「瀬野さんと、社長な」
軽く答えた黒也は、弾みを付けて体を起こした。章太の方へは目線を向けずに、ベッドを降りる。そうして足下の暗がりからバスタオルを拾い上げると、それを腰に巻き、そのまま扉へ向かって行こうとするのだ。遠ざかる広い背に、章太は慌てて声を掛けた。
「ど、こに行くんです……か?」
「トイレ」
シンプルな三文字を答えて返した後、黒也は首だけでこちらを振り向く。その片手は、すでにドアノブに掛けられているようだった。
「ほんっと予想どおり、なんにもわかってませんって顔してるな……」
「? トイレは、止めません……けど……」
もっとちゃんと話したい気持ちはあるものの、それこそ幼いこどもではないのだし、数分の退室を待てないわけじゃない。章太が言えば、黒也は大きな溜息を吐いた。
「俺はこのままだとまた章太を襲いかねないから、抜きに行くんです。追ってきたら押し倒すからな」
「!」
黒也の声はいつもどおりに柔らかくて、こちらを責めるような響きは持っていなかった。なのに、どうして胸が痛んだんだろう。
章太はその理由を、「待って」と発した後に理解する。
「待って、黒也……っ」
すぐにでもベッドを降りて黒也を引き留めたかったけれど、腰を上げた瞬間、ローションがとろりと垂れ落ちる感覚がして、それは無理だとわかった。だからせめて、声を強める。
「そんなの、だめ、だから……!」
「……あのさ章太。それ正直、さっきも聞い……」
「だってオレ、黒也に襲われたなんて思ってない。そんな言い方、絶対にだめだ。ぜんぶ同意だし、ぜんぶ、オレもしたいことだ……よ……」
半身だけこちらに振り返った黒也の瞳が、濡れたみたいに光る。章太はこくりと、唾液を飲んだ。
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