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「遥様は兄がお嫌いですか?」  湊が唐突に話しかけてきた。夕食でパスタ、アラビアータを食べていた遥は思わずむせた。 「あ、申し訳ございません。お水をどうぞ」  遥は水を飲んで深呼吸する。  いざ湊が世話係についてみると、兄弟でこうも違うのかと思わされた。  今まで何をやっても隙のない――遥が喉が渇いたなと思ったタイミングで、茶を入れてくれる桜木と「茶を煎れてくれ」と言わなくては通じない湊。  後者の方が当たり前で、桜木は勘がよすぎて時に不気味ですらある。  だから遥と桜木の緊張感に満ちた空間に、ごく普通の感覚の湊が来たことで遥は少しほっとしていた。  加賀谷のための夜の仕度をさせること一つをとっても、桜木は始めから容赦がなかった。表情をほぼ見せずに抵抗する遥を床に押さえ込んで浣腸の薬剤を注ぎ込んだ。  湊は兄の手ほどきを受けたし、既に慣れた遥を相手にしているのに、説明書を読んで確認したり、顔を赤らめたりするので苦笑いが浮かんで来る。  まあ、その分親しみも湧くけどな。  そして、いきなりの質問が「桜木が嫌いか?」である。 「別に。あいつだって仕事だろう?」 「それは確かにそうなのですが……」  湊が何と説明したらいいか困っているようだ。 「兄にとって隆人様は特別な存在なのです」 「犯罪に手を染めても?」 「はい」  皮肉のつもりが、まともに肯定されて目を丸くした。湊はそれに気がつかなかったようだ。 「隆人様の御為(おんため)なら命をも投げ出す人なのです」 「湊」  現れた桜木の声に遥も湊もびくっとした。桜木が湊を軽くにらんでいる。 「そのようなこと、遥様にお聞かせすることではないだろう? 遥様、失礼いたしました」  湊が首をすくめた。そう言われるとかえって興味が湧く。 「訊いちゃいけないのか」  桜木はしばらく黙っていたが、重い口を開いた。 「隆人様は私どもの命の恩人なのです。これでご勘弁ください」  遥は桜木の眉間の皺を見て何気なく言った。 「そんなにあいつを崇拝しているのなら、お前が凰になった方が面倒が起きなくて幸せだったんじゃないのか、俺にとってもお前にとっても」  その瞬間、湊は口を開けてぽかんとし、桜木はわずかに泣きそうに顔を歪めて顔を赤らめると身を翻して覗き部屋へと無言で帰って行ってしまった。  どうやら桜木の地雷を踏んだらしい。どんな種類の地雷かはわからない。 「みーなーとー」  遥はまだぽかんとしていた湊に恨みがましい声をかけた。 「俺、なんかまずいこと言ったらしいぞ」 「いえ、あの」と湊が口ごもる。 「何だ」 「遥様は途方もないことを思いつく方だなと思いまして」  遥はじろりと湊を見る。 「馬鹿にしているのか?」 「いえ、もしそれができたのなら、ある意味では幸せだったのかもしれませんし、別の不幸を招いたかもしれません」  微妙な言い方をした湊の表情も辛そうになったので、それ以上突っ込めなくなった。  遥はフォークを手に取った。  その後、湊が口を挟むことはなく、遥は夕食を終えた。

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