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遥は加賀谷の方を振り向いた。加賀谷は遥の全身に視線を注いでいる。
ベッドの上の畳紙などを持って、基たちは加賀谷に頭を下げながら静かに寝室を出て行った。加賀谷は何かねぎらいの言葉をかけているようだった。
寝室のドアが閉められた。
ゆっくりと加賀谷が近づいてきた。
加賀谷も遥と同じように袴姿だった。だが、こちらは黒の着物に細い縞の袴を身につけている。
遥の目の前に加賀谷が立った。
遥は自分を見下ろす男の目を静かに見つめ返す。
「それは、婚礼衣装だ」
加賀谷はそう言った。
遥は苦笑し、視線をそらす。
(俺が花嫁ってことかよ)
(男に打ち掛けは着せられないものな)
皮肉っぽい笑いを何とかかみ殺そうと遥は歯を食いしばる。
その頬に加賀谷の手が触れた。
遥が顔を向けると、加賀谷に口づけられた。軽く唇だけを合わせるキスだ。
それから、加賀谷の胸に抱き寄せられた。その胸は広く厚い。
抱擁の中で問われた。
「催淫剤を、使うか?」
「いらない」
即座に答えた遥に加賀谷はどんな表情をしただろうか。抱きしめられている遥にはわからない。
「わかった」
加賀谷がそう答えた。
(この男は何か言うだろうか)
遥は考えていた。
(何か言われたら、俺は動揺するだろうか)
昨日のように取り乱しはしないという自信はあった。
しかし、加賀谷は何も言わない。ただ、遥の体を抱きしめ、確かめるようにさすっているだけだ。
遥は目を閉じた。
この男の手でもひどく安心できるのが不思議だ。
この男には家族がある。財産もあり、桜木たちのような忠実な部下にも恵まれている。
何でも持っているのだ。
抱えきれないほどのいろいろなものを持っていながら、遥からあらゆるものを奪ったのだ、この男は。
遥には、何もない。
体すら、自分の思うままにはさせてもらえない。
何という立場の差なのだろうか。
(でも俺は意思を持った人間だ)
(意思だけは俺のものだよ)
遥は深く息を吐いた。
加賀谷が遥を抱く力を緩めた。
遥は加賀谷から身を離す。
「披露目の次第を説明しておく」
遥はベッドに腰をかけるよう、促された。
「披露目の進行役として披露目司 という者が流れを取り仕切る。披露目が始まった時点で、私は舞台の上、お前は舞台正面のふすまの向こうだ。ふすまが開けられたら、お前は舞台下まで歩いてくる。基と洋がお前の前後に立つから、歩調はそれに合わせればいい。それから、お前を凰とすることに対する異議があるかどうかを披露目司が分家衆に問いかける。まず異議は出ないだろう。本当にお前は私以外の相手を知らないのだからな」
遥は思わず唇を噛んだ。
「お前を凰となす事を分家衆が認めた後、披露目司はお前に問いかける。お前が私を守護する気があるかと。その時、肯定するのならば『応 』と言え。いやならば『否 』だ」
遥は黙って加賀谷を見上げる。
この男は何を言っているのだろう。
加賀谷は静かに遥の目をのぞき込んできた。
「これが本当に最後の選択だ。ここでならば、まだ何とかできる。『否』と答えれば司に理由を問われるから、すべてが自分の望んだことではないこと、私を拒絶することをはっきり告げろ。中途半端な表現では駄目だ。罵っていい。それが唯一お前を救う道だ」
遥は顔を背けた。
加賀谷の言うことがすぐには飲み込めなかった。
説明は淡々と続く。
「逆に『応』と答えた場合、この場で鳳とつがいであることの証立てをするか否かを問われる。ここではもう拒否はできない。拒否するのならば二心 ありと見なされて――」
加賀谷が言葉を切った。
遥は加賀谷に視線をもどした。
「制裁としてまわされるんだろう?」
「その通りだ」
遥は皮肉っぽい笑みを浮かべながら、視線を逃がす。
加賀谷が何かを振り払うように息を吐き、言葉を続けた。
「証だてをすることを認めたら私がお前を招き寄せるから、舞台へ上がれ。後は何も考えるな」
遥は肩をすくめる。
「それは、俺があんたに捨て身で恥をかかせるというシナリオは考えていないということか?」
「皆の前で私に犯され、更にあえて失敗して見せて、他の者達にも犯されるということを言っているのか」
「ああ。そう言うのもあるんだよな」
「そうだ。お前が私のものでないと――私とでは上り詰めることなどできないとなれば、そうなる」
遥は自虐的な笑いをこぼした。
「遥」
加賀谷が何か言おうとしているのを察し、遥は首を振った。
「何も言うな。ききたくない」
拳を握りしめる加賀谷の手が見えた。
あの手にも、つかめないものがあると遥は気づいた。
遥は加賀谷の顔を仰ぎ見た。加賀谷も遥を見下ろしている。
(あんたの描いたとおりの筋書きにはのってやらない、絶対に)
遥はふいと横を向いて笑った。
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