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毒・6

「………」  理人の息を飲む音さえ聞こえそうだ。 俺は目の前にある悠吾の黒い瞳に取り込まれないよう、必死で虚勢を張っていた。少しでも気を弛めたら最後、悠吾の毒に脳内から侵されてしまいそうで怖かったからだ。 「つまり、俺には抱かれたくねえということか」 「少なくとも今は」 「俺は交じり合う気はねえ。ただお前を、俺の中に取り込めればそれでいい」 悠吾が初めに見せていた俺への紳士らしさは、今はもう欠片も残っていない。 「っ……」  毒と闇、黒紫の禍々しいオーラがより一層強くなる。それは敵意でも悪意でもない、普段から悠吾が周囲に放っているただの「意思」だ。悠吾は自分に絶対的な自信を持っている。それは善と悪などという単純な括りで縛られるものではなく、ただ単に「自分が楽しめるか、そうでないか」だけでしか考えていない、すなわち子供のように純粋な意思なのだ。  邪悪さも禍々しさも受け取る側の印象でしかなく、悠吾にとってはそれが普通なのだ。悪意のない邪悪さ――何よりも厄介な念である。 「俺も交じり合う気はありません。あなたに取り込まれるつもりも」 そんなものを背後に従えているなど気付いていないのだろう、悠吾本人は。 「なかなか度胸の据わった男だな。気に入った」 「どうも」 「――悠吾さん、そろそろ次の予定が」  俺達の背後に立っていた黒服の一人が冷静に言った。 「オヤジとの会合ですから、遅れる訳に行きませんよ」  悠吾の眉根に皺が寄り、俺は内心でホッと息をつく。黒服が腕時計を気にしているのを見た時から、時間稼ぎだけに集中して正解だった。 「クソ親父、またあいつのどうでもいい昔話を聞かなきゃなんねえのか」  悠吾の体が俺から離れた。同時に、ついさっきまで俺を取り込もうとしていた毒闇のオーラが、悠吾の体に吸い込まれて行くかのように消える。 「頭が良いな、煌夜。俺に時間制限があることを始めから分かって、計算してやがった」 「……始めからじゃない」 「少なくとも、そこで俺をブッ殺したいのに何もできねえでいる男とは大違いだ。なあ、社長」  理人が無言で立ち上がり、フロアの階段を下りて行く悠吾に頭を下げる。改めて見ると酷い顔だ。頭を下げているにも関わらず、その目は少しも悠吾を敬っていない。虎視眈々と主に噛み付く機会を狙う狂犬のようだった。 「煌夜」 「はい」  その狂犬の目のまま、理人が俺を振り返った。 「……すまなかった」 「別にどうということはないです。あんなセクハラ、蚊に刺された程度のダメージでしかない」  屈辱ではあったが、実際それほどのことはされていない。悠吾の手で肌に触れられたことよりも、あの毒闇のオーラに触れていたことの方がずっと精神的な負担が大きかった。 「理人の葛藤は分かってましたよ。あの場で怒りに任せて暴れなかったのは正解です」 「クソ、あの馬鹿息子。よりによって煌夜に目を付けやがった……」 「一時的なモンでしょ。あの手の人間は、すぐに興味の対象が他に移る」 「ああムカつく、お前を連れて来るんじゃなかったぜ」 「俺は行きたくないって言ったじゃないですか」  派手な頭の従業員がやってきて、理人が咥えた煙草の先端へライターの火を近付けた。 「お疲れ様でした、社長。悠吾さんだいぶ酔ってましたね」

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