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焦り・6
ぐったりとしたままウェルターに抱えられている煌夜。悠吾がその頬に触れ、唇を指でなぞりながら理人に言った。
「五十億。……社長、次は百億か? 天井は無しだ、幾らでも付き合うぜ」
客席からこの日一番の歓声が巻き起こり、尚政は悔しさに歯を食いしばりながらそれでも理人を押さえ込んだ。敵わない。この男には誰も敵わない。
理人は悔しそうな顔で自分を見下ろす尚政を見てやり切れない気持ちになり、眉間に皺を寄せた。辛気臭い顔してんじゃねえ――言いたくても、言葉が喉を通って出てこない。
「社長」
ステージの上、悠吾が煌夜の唇を差し込んだ親指で割り、無理矢理に口を開けさせた。
「俺はお前に恨みがある訳でも、この青年に執着してる訳でもねえ。ただムカつくのさ。愛する男のために自分はどうなってもいいって、アツくなって突っ走る直情型のお前がな」
理人の耳には殆ど聞こえていなかった。
……背中をつけたフロアの床が、小刻みに揺れている。
「俺はそういう熱血バカを徹底的に絶望させるのが好きなんだ。世の中、勢いだけじゃどうにもならねえ。悔しくても俺を殺したくても、現に彼は俺の物だ」
……そうだ。この有り得ない状況に忘れかけていたけど、一階と二階は今日も通常営業で開けているんだった。いや、通常ではない。今日は今年最後の大晦日だ。カウントダウンもやると言っていた。そのせいでいつもより客のテンションが高いのか。
「五十億の唇と舌を味わうとしよう」
だからといって、一階の熱気が二階を通過し、ここまで届くことなどあるだろうか。しっかりと背中に感じるビートは、確実に先ほどよりも強くなっている。
「………」
違う。
これは音楽ではない。若者達が音に合わせて狂ったように踊っている振動でもない。
これは――この振動、そして耳朶に響く騒音は。
「イエェェッ! ハッピィーニューイヤアァァ――ッ!」
「っ、……?」
今にも触れる寸前だった悠吾の唇が、咄嗟に煌夜から離された。
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