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1.中庭の彼と悪戯な風3

 朝が早いと、睡魔は昼にやってくる。 「…最近、寝すぎ」 「前から居眠りしてたけど、最近は特に酷いな。おい起きろよー、飯食おうぜー」 「んー…?」  ゆらゆらと体が揺れる感覚に、意識が徐々に浮上する。気付いたら目の前に二人のクラスメイトが立っていた。 「お、起きた起きた!早く行かないと弁当売り切れちまうぞ」  ゆらゆらさせてた犯人は、賑やかな早川に負けないくらい更に賑やかで小柄な男子生徒、岸田。その隣に立つのは、驚くほど顔立ちの整った無口な美少年、神崎。最近早川がよく連んでいる仲の良いクラスメイトだ。 「え、何で?俺弁当持ってるよ」 「いや、お前今日親いないから弁当ないって言ってたじゃん!だから起こしたのに!」 「…うわ、忘れてた!!お前らは?」 「俺らはもう買った」  いつでも食える、と神崎と岸田は二人ともそれぞれ弁当を持っていた。 「マジかよ!!なんで置いてくんだよー!」 「いや、寝てるお前が悪いだろ!!」  全く岸田の言う通りだった。いつも購買弁当のこの二人に言えば忘れないだろうと高を括っていたが、どうやら心地よいお昼寝タイムのせいで忘れてしまった。  思い出してからの早川の行動は早い。勢いよく立ち上がって、ガタンと椅子も勢いよく倒れた。そんなことお構いなしに、走って教室を出て行った。 「あ、おい気をつけろよ…っても、もう売り切れる時間だし買えないだろうなあ」  いつも購買弁当派の岸田は知っている。弁当は昼休み開始五分で売り切れることを。しかも、購買は一階にあるので、四階に教室のある一年生は不利だ。残酷なことに、時間は待ってはくれない。  そんな事実を知らない早川は、いつも通り嵐のように階段を駆け下りていく。 「危ないよ、早川!」 「ああ、ごめん!」  昼休みの廊下や階段は、行き交う生徒たちが多い。そのため、廊下を走るには一番危険が多時間帯になる。廊下を走るのはやめましょう、という貼り紙が目に入り心が痛んだが、今はそれより昼飯だ。階段を駆け下り、廊下の角を曲がろうとしたところ、お約束と言わんばかりに、人と衝突した。 「うわっ!?いってぇー…」  吹っ飛ばされて尻もちを着いたのは早川の方だった。あれだけ走って衝突したのに、相手の体幹は自分より上だったようだ。素直にすごいと思う。しかも悪いのは百パーセント早川だが、大丈夫かと手を差し伸べてくれたのだ。なんて優しいのだろうか。  「すいません、ちゃんと前を見ていなくて…って、早川じゃないか」 「あ、大原!」  ぶつかった相手は今朝会ったばかりの大原だった。本当に前を見ていなかったのか、大原も衝突した相手が早川だったことに驚いた様子だ。  早川は差し出された手を握って立ち上がった。 「怪我はないか?」 「うん、大丈夫!こっちこそごめんな、早く弁当買いに行きたくて…」  「弁当?購買なら、もう売り切れてたぞ」  さっき俺が買ったときがラストだったと大原の手にはパスタがぎっしり詰まった弁当とスタンダードな唐揚げ弁当、なぜか二つ。早川はがっくりと肩を落とした。 「ま、マジか…」 「…よ、よかったら、一ついるか?」  あまりに落ち込んでしまった早川を見かねた心優しい青年大原は、持っていた唐揚げ弁当を差し出してきた。 「え、それ誰かに頼まれたやつじゃないの?」 「いや、俺よく食うから、一つじゃ足りなくていつも二つ買うんだ…」  少し恥ずかしそうに大原が言う。それだけ図体がデカければ胃袋もデカくて当たり前だ、と早川は頭一つ分上にある彼の顔を見上げた。 「それなら尚更悪いよ!腹減るよ!」 「いいよ。不思議なんだけど、早川が困ったり落ち込んだりしてるのを見ると、放っておけないんだ」  だから受け取れ、と無理やり早川に唐揚げ弁当を押し付けると、階段を駆け上がっていった。 「じゃあ、またな」  無理やりにでも渡さないと早川は遠慮すると思ったのか、階段を駆け上がりそのまま二年生の教室の方へ行ってしまった。 「大原!ありがとな!」  聞こえているかどうかは分からなかったが、大きな声で早川は礼を述べた。また借りができてしまった。大原にはいつも助けられてばかりだ。  弁当を持って教室に戻ると、岸田が驚いた様子で早川に言った。 「まだ弁当残ってたんだな、奇跡かよ」  無口で感情がわかりにくい神崎も驚いている様子が伝わった。そんなに購買の弁当争いはシビアなのか。 「いや、これは先輩…というか、最近仲良くなった二年生から貰ったんだ」 「あー、あれだろ、えーっと…あいつの苗字なんだっけ?」 「大原」 「あ、そうそう!大原!」  うーんと考えても思いつかなったのだろう、神崎にパスを投げる。神崎からはいとも簡単に答えが出てきた。 「え、なんで大原のこと知ってんだ?」  学年も部活も一緒ではないはずなのになぜ大原のことを知っているのか。そんなことを考えていたのが顔に出ていたのだろうか、岸田はにやにやとしながら楽しそうに言った。 「ひ、み、つ!」 「ええー、何でだよ!」   男にそんなことを言われても可愛くねえぞって笑いながら付け足したら、岸田は本気で教えてくれなかった。どうせ放課後に大原と会うのだから彼に聞けばいい、と思っていたが、午後の授業は長い。今日の午後はもやもやした気持ちで乗り切らなければならないようだ。 * 「一年の岸田と神崎?ああ、知ってるよ」   やっと放課後になって大原に尋ねると、あっさりと教えてくれた。岸田があれほど答えるのを渋っていたので、なにか秘密があるのかと思っていたが、そうでもないらしい。早川は岸田に遊ばれただけ。 「何で知り合いなの?学年違うし、岸田と神崎は軽音部で大原は帰宅部だし…接点無いじゃん」  目立ちたがりの岸田は軽音でボーカル兼ギターをやっている。陽キャラの鏡のようなポジションだ。神崎はもともと楽器が得意なようで、岸田に引っ張られるように入部して、今はキーボードを担当しているらしい。  全く接点のないあの2人と、大原に面識がある事がなぜか少し気に食わなかった。子供の時、大事なおもちゃを独り占めしたかった時と同じような、そんな変な気持ちになる。  花壇の水やりは一通り終わり、最後の仕上げに大原が如雨露で水を撒いていた。早川はその隣で見ているだけ。如雨露は倉庫に一つしかないので手伝えない。 「接点?ああ、言ってなかったっけ?」  どうしてそんなに人の事情なんて気にするのかと言われるかもしれないが、岸田に勿体ぶられたせいで気になって仕方がないのだ。 「俺とあの二人は同じ家…というか下宿?みたいな場所で暮らしてるんだ」 「え?そうなの?」  初めて知った事実。大原と神崎と岸田が同じところで暮らしている。大原は出会って間もないから知らないのも仕方ないが、あの二人が一緒に住んでいるなんて、今まで一度も聞いたことがない。  実家暮らしの早川には予想が出来ない暮らしだが、友達と暮らせるのは楽しそうで結構羨ましい。 「神崎と岸田って、学校でも常に一緒にいるけど、あいつら家でも一緒にいるの?」 「え、神崎と岸田…陽介の方だよな?」  岸田のことを陽介の方、と呼んだことに違和感を覚える。クラスメイトの岸田の下の名前は陽介で合っている。じゃない方の岸田でもいるのだろうか。 「神崎なら陽介より悠介…岸田に兄がいるんだけど、そいつとべったりしてるなあ」 「べったり?」 「うーん…神崎が岸田兄に懐いてる、感じかな」 「え、神崎が?想像できねえや」  無愛想と人見知りを絵に描いたような神崎が懐くという人物は、正直すごく気になった。分け隔てなく人と仲良く出来ることに自信がある早川も、神崎と今のように友人関係になるにはかなり時間がかかった。ここ最近やっと神崎からも声を掛けてくれるようになったのだ。岸田の兄は、コミュニケーション能力の塊か、よっぽど人の顔色を気にしない遠慮の無い人物なのだろう。 「つーか懐くって、動物かよ!」 「ちょっと小動物っぽくないか?神崎は幼馴染みみたいなもんなんだけど、昔からあの超人見知りは変わらないんだ。心を開いてくれるまで時間がかかった」 「あー、俺も!最近やっと俺のこと友達として認識してくれたと思うんだよな〜」 「まあ、根はいい奴だから仲良くしてやってくれよ」  まるで弟を心配する兄のようだと思った。幼馴染みで今も一緒に暮らしていると言っていたから実際兄弟のような感覚な近いのだろう。一人っ子の早川にはよくわからない感覚だ。  授業が終わってからしばらく経つと、帰宅する生徒、部活動の準備をする生徒たちの声で外が賑やかになる。今日もそろそろ、早川は部活に向かわなければならない時間だ。 「あ、明日の朝俺いないや!」  明日は陸上部の秋の大会がある。毎年九月の下旬にあるこの大会は一年生にも出場できるチャンスが訪れる。早川もこの秋大会から出場することになったのだ。 「夕方は学校に道具置きに来るからいるかもだけど…」 「いや、いいよ。きっと疲れるだろうし、無理することないだろ」  大原は気遣ってそう言ってくれているが、早川はこの二人で過ごす時間が好きなのだ。どんなに疲れていてもこの夕方の時間に間に合えば、きっとここに来るだろう。  どうしてこれほどまでに好きなのか、まだ答えは出ていない。

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