4 / 108

2.安心する場所と泣き虫太陽1

 最近、妙な友達が出来た。友達、と呼べるのかはわからない。後輩、知人、同居人の友達。呼び方は色々ある。  学校、アルバイト、自宅の三択しかない今の自分の慌ただしい生活。その中で、学校が始まる前の朝と夕方二回の花の水遣りの時間だけ、やけにゆっくりと時間が流れるようになった。  始めたきっかけは、学校の業務員として雇われていた年配の男性が体調不良で長期の休暇を取る、ということを耳にしたことだった。この学校は新一年生が入学すると、自分たちで花壇をデザインし、花を植えるという謎めいた行事がある。彼がいないと、花の世話をする人がいなくなる、という話を偶然職員室に行き、偶然聞いてしまった。偶然は重なるものだ。  人の良い大原はこれを放っておくことが出来ず、代わりを務めると言ってしまったのだ。初めの頃はまた余計なお節介をしてしまったと後悔したが、いざやってみるとそんなに悪いものではない。早朝の生徒のいない静かな校舎や、活気のある夕方の校舎など、今まで知らなかった学校の雰囲気を感じることがなんだか楽しく感じる。正直、大原は高校生らしい学校生活を送っていなかったので、自分がここの生徒であるということを感じられるこの時間が、嫌いではない。  部活に勤しむわけでもなく、生徒会や委員会に属しているわけでもない。放課後は毎日アルバイトをしているのでクラスメイトたちと過ごしたり、遊んだりもしない。虐められているわけではないが、特別親しいと言える友達もいない。広く浅く、誰にでも優しい奴で通っているのだ。  普段の忙しない生活の中、中庭にいるときだけ、時がゆっくりと流れているように感じた。ある日突然、その一人の時間が二人の時間に変わった。  賑やかで有名な下級生が現れたのだ。  クラスに友達が多くて、ムードメーカー的存在。部活に励み、部活の無い日は駅前で補導ギリギリの時間まで遊ぶ。ひっそりと、円の外から眺めているだけの自分とは違い、絵に描いたような高校生らしい学校生活を送っている、自分とは正反対の存在。  手伝う、と言われた時は驚いた。当初は社交辞令のようなものだろうと思っていたが、意外なことに彼は毎日中庭にやってきた。特に花が好きとか自然と戯れてみたいとか、そういう訳ではないように見える。自意識過剰と言われるかもしれないが、なんとなく自分に会いに来ているように感じたのだ。  一緒にいて初めて分かったこともある。誰の前でも明るく元気に振舞っていた彼のことだから、息をするように話すものだと思っていたが、案外そういうわけでもない。話す時は話を振ってくるが、話したくない時は、自分の隣で黙ってぼうっと花を見つめている。ずっと人前でムードメーカーを気取ることは、きっと疲れるのだろう。自分の隣で彼の気が休まるのなら、この沈黙も悪くないと大原は思っていた。  今日も中庭での仕事を全うするため、朝早く学校へ行く。いつも通り倉庫から道具を取り出し、花に水をやる。普段は大原が準備をしている間に早川が来るのだが、今日は来ない。公欠で陸上部の大会に出場すると言っていた。運動部の大会は朝早い。きっともう大会の準備やら何やらで忙しくしていることだろう。ひとりで中庭にいる時、考えるのはいつも彼のことばかり。もうそろそろ来るだろうか、と気付けばいつも彼のことを待っている。けれども今日は、いくら考えても彼は来ない。  いつもは割と好きな中庭での時間が、今日は異様なほどに長く感じた。    彼に会えない日はこんなにも張りがないものなのか、と思えるほどに一日が長く感じる。授業中に問題を指名されても上の空、朝と休み時間の日直の仕事を忘れるなど、先生やクラスメイトたちから大原らしくないと心配する声があがるほどだ。おかげで放課後まで日直の仕事をするハメになってしまった。ここ数日のバイトの無理なシフトのせいで疲れてしまっていたのだろうか。幸い、今日はバイトが休みだ。早く帰って早く休もう、と考えながら中庭に向かう。向かう途中、校門の前に大きなバスが停まっているのを見つけた。陸上部の部員たちが大会から戻ってきたのだろうか。  大原の予想は当たっていた。日直の仕事を終えて中庭に行くと、花壇に向かってしゃがみ込んでいる早川を見つけた。大会から帰ってきたばかりのためか、いつもの制服ではなく部活のジャージを着ている。こちらに背を向けているせいで、大原には気付いていないようだ。しゃがんで小さくなっている姿は、何だか元気が無いように見えた。 「早川!」  名前を呼ぶと、驚いたように背中を震わせ、こちらを振り返る。今まで見たことがない、何かをぐっと堪えているような顔をしていた。明らかに元気がない。 「…大会、ダメだったのか?」  元気のない原因であろうことを訪ねてみると、こくり、と力無く頷いた。 「…全然、結果出せなかった」  ぽつり、と張りのない声で言う。若干声が震えていて、泣きそうなのを我慢しているように感じた。期待の一年生、と言われ周りの注目を集めている彼には、かなりプレッシャーがかけられていたことだろう。落ち込んでいる姿を見ていると、何故か胸が締め付けられる。何か声を掛けてやりたいが、部活動に打ち込んだことがない自分には、きっと計り知れないほどの悔しさや悲しさを感じていることだろう。なんて声を掛けたらいいのかがわからない。  しかし、このまま放っておくことはできない。声をかけるより先に、体が動いた。気付いた時には彼の頭を撫でていた。 「早川が毎日頑張ってるの、俺は知ってるよ」  考えて考えて掛けた言葉にしては短すぎるし、当たり前のようなことを言ってしまった。頭を撫でるなんて子供扱いか、と思われるかもしれない。しかし、彼を前にするとどうしてもこのような行動をとってしまう。きっと弟がいたらこんな感じなのだろうと思ったが、弟のように思っている神崎に、このように接したことはあっただろうか。  彼はというと、少し驚いたように顔をあげ、しばらく大原を見つめていたが、急にその両目からぽろぽろと涙が溢れ出す。 「は、早川?!えっと、だ、大丈夫か?」  急に泣き出した早川を前に動揺を隠しきれない。何か失礼なことを言ったか、頭撫でられるのそんなに嫌だったのか、などここ数分の自分の行動がぐるぐると頭の中を巡る。  慌てて触れていた手を離すと、静かに泣いていた早川がその手を追いかけるようにガバッと大原に抱きついた。 「…部活のみんなも、クラスのみんなも、…っ、大原も、応援してくれたのに!」  どうしても勝ちたかった、と大原の胸に顔を埋めて泣いた。  きっとこの中庭に来るまで我慢していたのだろう。人気者はいつも明るく場を照らす存在でいなければならない。泣きたくても泣けない。人気者でいる事は疲れるのだ。  声を殺さず、感情も隠さず自分に縋り付くようにして泣く彼を見て、側に居てやりたいと感じた。彼が人気者で居なくても良い、安心できる場所に自分がなってやるべきだ。  震えながら泣いている彼の背に手を添えて、そっと引き寄せた。

ともだちにシェアしよう!