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2.安心する場所と泣き虫太陽2

 大原の前では、何故か弱い自分が出てきてしまう。本当は泣き虫で弱虫で、自分に自信がない。幼い頃からよく泣いていて、それをいつも揶揄われていた。自分の嫌な部分を全て忘れられるのが、思いっきり走っている時だけだ。いつも自分を揶揄っていた奴らも、かけっこでは圧倒することがきた。自分が走っているとみんなが注目してくれる。走っている時だけは自分の嫌な部分を全て忘れて、強くなれる気がした。  高校生になってまでこのままでは駄目だと思い、明るく元気に振る舞った。結果友達も増えたし、部活でも期待され、学校の注目の的になった。  楽しいし嬉しいことばかりだったが、心休まる時間が無かった。今は明るい人気者だが、根はネガティブで弱虫のままなのだ。困ったことに、生まれ持った性格はそんな簡単に治らない。今日の大会も、本来のメンタルの弱さのせいで、結果が出せなかった。いつもの練習どおりうまくやれれば余裕で決勝に進める記録を持っていたはずなのに、現実はそううまくいかない。結果は予選敗退だった。応援してくれた先生やクラスメイト、試合に出れなかった同じ部活の一年生たちに見せられる顔が無い。自分が情けない。こいつは結果が出せないやつだと呆れられたかもしれない。  マイナス思考がぐるぐると頭の中を駆け回る。気分がドン底に落ちているとき、大原の顔が浮かんできた。何故だかわからないけれど、大原の隣は落ち着く。隣に居てくれるだけでいい。自分を安心させてほしい。大原に会いたい。    大会が終了し、学校に戻る。大会で使った道具の片付けを終え、そのまま部活動は終了し、解散した。他の部員たちが真っ直ぐ校門に向かう中、早川は中庭に向かった。いつも通りなら大原が水遣りを終え、帰り支度を始める時間だ。まだ会えるかもしれない、と思い駈け足で向かう。しかし中庭に着いたら、そこには誰もいなかった。もう帰ってしまったのだろうか、と肩を落とす。今日は放課後に何か予定があって早く帰ってしまったのだろうか。  早川は大原が放課後にアルバイトをしている、ということしか知らない。何のバイトをしているのか、どこで働いているのかも知らない。仲は良いはずなのに、よくよく考えると、彼について知らないことが多かった。何組なのかも知らない。中庭で会うだけで、連絡先も知らない。そもそも、下の名前も知らなかった。もしかしたら仲が良いと思っているのは自分だけかもしれない。大原は自分に興味がなくて、こんなに相手のことを考えているのは自分だけかもしれない。気分が落ちている時は、関係のないこともどんどん悪い方向に考えてしまうのが、早川の昔から治らない悪い癖だ。考えすぎて泣きそうだった。今日はもう大原は来ないかもしれない、と思ったが、一応花壇の様子を確認した。土は花が可哀想なくらい乾いていた。 「早川!」  今一番求めていた声が聞こえた。今日はもう会えないと思っていたのに。  大原の姿を見て、大原の大きな手に慰められ、安心しきった早川は大原に抱き着きながらわんわん泣いた。泣いている間も、大原は優しく慰めてくれる。男が男に抱きついて何しているのか、なんて思われてしまうかもしれないが、今はこうしたかった。大原の胸に飛び込みたかった。彼に触れていると、不思議なくらい心が落ち着くのだ。  今日の大会の悔しさと、自分の不甲斐なさ。全て吐き出すと、気持ちが軽くなったような気がした。  時間がたち冷静さを取り戻すと、とたんに恥ずかしさがこみ上げてきた。男子高校が男子高校の胸で大泣きしている。側から見たらなかなかアレな絵だ。いくら相手が大原でも、泣いた後の顔を見られるのは恥ずかしい。顔を上げるに上げられなくて、ずっと抱きついたままの状態が続いていた。 「早川、落ち着いたか?」  早川が羞恥心と葛藤しているせいで静かなことを知ったこっちゃない大原が、心配そうに声を掛けてきた。こんな時も、大原は優しい。だが、いつまでも抱きついているわけにもいかない。ゆっくりと離れる。 「ん、もう大丈夫。ありがとう」  いつまでも心配をかけるわかにはいかない。そう言って早川は大原のもとを離れ、水道でばしゃばしゃと勢いよく顔を洗った。冷たい水を被れば、顔が引き締まり泣き顔を隠せる筈だ。顔を洗った後、もう大丈夫の意味を込めて精一杯の笑顔を大原に向ける。 「うん、やっぱり早川の笑った顔が好きだ」  好きだ、なんて言われると思っていなくて動揺した。タラシかよ、突っ込んだら、大原は楽しそうに笑っていた。動揺がおさまらないのか、しばらく胸がうるさくて鳴り止まなかった。  何とか動揺を隠しながらいつも通り花の水遣りを終える。今日は大会だったため、放課後の部活動がない。どうやら大原も今日は急いでいないようで、初めて一緒に帰る流れになった。しかし、隣に並びながら歩いて校門を出たところで大原の携帯が鳴り出す。早川に一言断りを入れてから電話に出た。相変わらず丁寧で大原らしいな、と早川は思う。 「どうした…え、今から?」  どうやら誰かから呼び出しを喰らったらしい。せっかく一緒に帰っているのに、と早川は口を尖らせる。  すぐにはっとした。他人に大原を取られてしまったような気がして、寂しくなったのだ。大原はただの友達で、早川のモノではない。今日だって特に約束はしていないから、ここで別れてそれぞれ帰ってもおかしくない。しかし、早川はそれが嫌だったのだ。自分と一緒にいるのにこれから彼がどこかに行ってしまいそうで、胸がちくりと痛んだ。 『…いいじゃん、今日はあの人仕事でいないから飯ねーし。食ってこうぜ!どうせ今ひとりだろ?』  大原の電話から洩れて聞こえた明るくてトーンの高い元気な声。ほとんど毎日聞く、かなり聞き覚えがある声だ。 「どうせって…まあ、いいや。実は今、早川といるんだ」  自分の名前が出てびくりとする。名前が出る、ということは相手は共通の知り合いだろうか。大原と早川の共通の知り合いは、今のところ二人しかいない。 「なあ早川、今日この後暇か?」  たぶんあいつからの電話だろうな、と考えていると、大原が一旦電話をやめて、早川に声を掛けてきた。これは何か誘われる流れだ。もちろん、この後は何もないので、すぐにオッケーの返事を返した。

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