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3.居場所と帰る家1
大原に連れてこられたのは、学校へ向かう道とは逆方向の駅の出口。そこを出てほんの少し歩いたところに目的地があった。古いビルの一階にひっそりと佇む小さな喫茶店。中に入るとカランカラン、とドアに付いている古いベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
「あ、やっと来たなー。こっちこっち!」
時間帯のせいか、中はガランとしていた。今時珍しいレコードが、ひと世代ほど前の洋楽を奏でている。
店にはテーブル席とカウンター席があり、カウンターを挟んだ向こうにはここのスタッフであろう制服に身を包んだ男性が一人。入り口から遠い、店の奥のカウンター席の方から、早川たちを呼ぶ声が聞こえた。
「おっせーぞお前ら〜!」
「…急に呼んだから、仕方がないだろ」
ここに早川と大原を呼んだのは岸田と神崎の二人。先程、大原と話していた電話の主は岸田だったのだ。
大原と早川は二人の隣に並んで座った。テーブル席が空いているのに、カウンターに男子高校生が四人並んで座る。少し奇妙な光景だ。
「ナゴ、飲み物どうする?いつものでいいか?」
「ああ、それで。早川はどうする?」
「え、えっと…」
テンポの速い注文に付いていけない。どうやら、この三人はスタッフと親しいようだ。先に来ていた岸田と神崎なんておかわりを強請っている。岸田はともかく、大人しい神崎が話しているということが、相当親しいという証拠である。普段喫茶店なんて来ない早川は、とりあえず自分が一番好きなメロンソーダを注文する。
「アイス好き?」
「え、好きですけど」
「了解」
出てきたのはバニラアイスの乗ったクリームソーダ。夕方とはいえ、暑い中を急いできたので、火照った体にはとても魅力的に見える。
「これ、おまけな」
上に乗ったアイスを指差して、人懐っこい笑顔でスタッフが言った。金髪でピアスをしている彼は高校生である早川から見て少し怖いが、さり気ない気配りや飄々とした接客に大人らしさを感じ、素直にかっこいいと思った。しかし、所々の仕草が何となく岸田に似ているように感じる。岸田が成長して大人になったらきっとこんな感じになるのだろう。
「あ、ずりい!俺もアイス食べたいよー!」
「お前さっき食ったろ」
ゴネた岸田に呆れたようにスタッフが言う。二人が話しているのを見ていると、話し方や仕草が似ていて変な感じがする。気のせいかもしれないが、声や顔まで似てきた気がする。話し合いの結果スタッフの方が折れたのか、早川のと同じクリームソーダが岸田の前に現れた。同じタイミングで、コーヒーフロートが神崎の前に出てきた。
「お前には炭酸なしのこれな」
「…ありがとう」
どうやら、炭酸飲料が苦手な神崎のために別のものを用意してくれたようだ。にこり、と小さく笑って神崎が礼を言う。早川はこれに驚いた。大人しいを通り越して、無愛想な神崎が笑うところなんて見たことがなかったからだ。ずっと顔が整っているのに無愛想なのが勿体ないと思っていたが、やはり笑った顔も絵になる。イケメンは羨ましい。
「ほい、ナゴお待たせ」
「ああ、ありがとう」
最後に大原の前にカフェオレが出された。いつもの、というのはカフェオレのことだったようた。そんなことより、早川には先程からずっと気になっていることがあった。
「なあ、その、ナゴってなに?」
大原とちょうど近くにいたスタッフに尋ねると、スタッフが少し驚いたような顔をした。
「何って、こいつのことだよ」
「え、なんで?」
「なんでって…おいナゴ、またお前言ってないんじゃないのか?」
「……そうかも」
大原に詰め寄るスタッフに、どこか気まずそうに明後日の方向を見る大原。早川には全く話が読めないが、大原には彼自身の話をしないという癖のようなものがあり、今回もそれが原因で、話が拗れているようだった。
「ごめん早川。俺の名前、なごたろうって言うんだ」
大原が制服のジャケットからペンを取り出し、紙ナプキンに"永太郎"と書いた。
大原永太郎。これが大原のフルネーム。
読み方すごいな、とか変わった名前だなとか思うことはいくつかあった。しかしそれよりも、彼の名前を知れた嬉しさの方が上回る。名前の書かれた紙ナプキンを見ながら、口角が上がりそうになるのを必死に堪えた。
「それより、ナゴが友達を連れてくるなんて珍しいな」
「そんな言い方するなよ、友達居ないみたいだろ…」
「あはは、悪いな」
名前は、とスタッフに尋ねられる。
「早川くん、か。聞いたことあると思ったら、陽介と光の友達じゃないか」
「え、俺のこと知ってるの?」
「ああ、弟がいつも世話になってる」
「弟?」
早川はこの中で兄弟がいる人物を一人しか知らない。以前に大原から聞いた、神崎が懐いているという珍しい人物。
「岸田の兄貴?!」
どうりで似てると思った。驚いた様子の早川に、大原と岸田の兄は笑った。
「そんなに驚かなくても」
「いや、楽しい反応を見せてもらったよ」
「いや、だって!岸田とちょっと似てるけど背高いし、岸田よりかっこいいし…」
「おい聞こえてるぞ!!背はこれから伸びるんだよ!!」
「落ち着けって…」
ぎゃんぎゃん騒ぎ出した岸田を神崎が宥める。しかし神崎では力不足で、終いには岸田が大原に身長をわけろと無茶振りをし、大原まで巻き込まれる結果となった。岸田に火をつけた張本人である早川は見て見ぬ振りをし、岸田の兄と話を続ける。
「岸田の兄貴ってことは、同じところ住んでるの?」
「いや、俺はもう社会人になって暫く経ったから出たよ。たまに遊びに行くけど」
「え、なんで出たの?学生しか入れない下宿とか?」
「そういうわけじゃないけど…俺らってちょっと訳ありなのは知ってる?」
ぶんぶんと首を横に振る。訳あり、というのはどういうことなのだろうか。学校生活で見ている彼らは自分と同じで至って普通に見える。
首を傾げる早川を見て、知らないか、と優しく笑いながら岸田の兄は言った。
「重く受け取らないでくれよ?」
「どういうこと?」
「これを聞いても、今まで通りあいつらと仲良くしてってこと」
「うん、わかった」
「俺らが言う下宿は、児童保護施設と同じ」
岸田兄弟は幼い頃に育児放棄。神崎には父親がいるが、事情があって一緒に暮らせない。大原の親は、彼が幼い頃に亡くなった。
今彼らが下宿と呼んでいるところは、一般的な下宿ではない。何らかの事情で施設に居ることができなくなった未成年を引き取り、彼らが大人になるまで面倒を見てくれる人がいるらしい。その人が管理している下宿で、彼らは日々協力しながら暮らしている、と岸田の兄は言う。
早川はこの話に衝撃を受けた。自分と変わらないと思っていたこの男子高校たちは、きっと想像を絶する苦労をしてきたことだろう。しかし、そんな苦労を一切見せない。今だって、自分の隣でくだらない喧嘩を繰り広げている。
「俺らにとって辛いことは、特別扱いされることなんだ。普通の人から見たら俺らは不幸かも知れないけど、俺らはこの生活が不幸だとは思ってない。同情されたり、可哀想だと思われることが、一番辛い」
だからこれを知っても、今まで通り接してくれ、と岸田の兄は言った。
喫茶店での時間はあっという間に過ぎた。特に何かしたわけでもないが、毎日部活で忙しい早川にとって、かなり久々の寄り道だったので非日常的を味わっている感じがした。十八時から、ここの喫茶店はバー営業になるらしい。未成年は帰れ、と岸田の兄に店を追い出された。
「あれ、神崎は?」
一緒に店を出たはずの神崎が見当たらないことに気づき、早川はきょろきょろと彼の姿を探す。
「あー、うん、あいつはいいんだ」
「え、置いて行ったら可哀想だろ」
心配する早川をよそに、いつものことだと岸田は神崎を置いて駅に向かおうとする。大原も特に何も言わないので、これが彼らのいつもなのか、と少しだけ疎外感を感じた。
「光は兄ちゃんのトクベツだからさ〜」
「とくべつ?」
「今度本人に聞いてみろよ」
俺からは言えねーや、と岸田は言った。今度は早川で遊んでいる様子ではない。彼のどうでも良さそうな口ぶりからして、大した事でもなさそうだ、と早川は思った。思い出したら神崎に聞いてみよう。
「あ、ナゴ。俺これから出掛けるから〜」
「え、今からか?」
「うん、今日はちょっと帰り遅いかもなあ」
「あーライブハウスか…まあ朝にならないようにな」
にやにやと楽しそうに岸田が言う。大原は呆れていたが、その様子から今回が初めてではないということがわかる。岸田は学年で遊び人だと噂されている。一緒にいる時はそのように見えなかったため、ただの噂だと思っていたがどうやら事実らしい。岸田は音楽もやっているし、夜中のライブハウスに通っていてもおかしくはない。夜遊びなど縁がなく、純粋な高校生をしている早川には想像が出来ない世界だ。
「まあそういうことで!じゃあな!」
そう言って駅の改札を潜っていった。きっともっと栄た駅で夜を越すのだろう。
「あれは朝まで帰ってこないだろうなあ」
どうやって誤魔化そう、と溜息をつきながら大原が言う。
「やっぱり門限とかあるの?」
「明確にあるわけじゃないけど、高校生だし一応十時かな」
「え、絶対あいつ帰ってこないじゃん」
「陽介はそうだろうけど、たぶん光も朝帰りだな」
「え、神崎も?」
交友関係が広く遊び好きな岸田はともかく、大人しい神崎が朝帰りなんて想像出来なかった。今日は彼らが暮らしている下宿の家主が出張で家に帰ってこないらしい。即ち、今日が夜通し遊べるチャンスだと言うことだ。
「じゃあ大原も遊べばいいじゃん」
「そんな遊べるところないだろ?」
「うーん、そうだな…じゃあ俺ん家!行こう!」
思い立ったら即行動。早川は普段部活三昧なせいか、今日という日が楽しくて遊び足りない。それに大原も暇そうだ。遊ぼう遊ぼうとぐいぐいと腕を引っ張る。
「いいのか?早川、明日部活は?」
「ない!休み!あ、大原バイトある?」
「いや、明日は昼過ぎからだから…」
「じゃ、余裕だな!」
家に友達を呼ぶなんていつぶりだろうか。夜は何をしようか。トランプか、ゲームか、映画鑑賞もいいかもしれない。などなど、夜のことを考えると楽しみになってきた。
駅の改札をくぐり、ちょうど到着した電車に、大原の手を引きながら乗り込んだ。
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