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3.居場所と帰る家2

「ただいまー!母さん、友達連れてきたよ!」 「お、お邪魔します」  親がいるなんて聞いてない、と大原は内心驚いた。よくよく考えれば、自分と違って早川の家は一般家庭だ。親が居て当たり前なのだ。 「駿ちゃんお帰り。あら、お友達もいらっしゃい」  わざわざリビングから玄関まで出迎えてくれた早川の母親にぺこりと頭を下げる。 「お腹空いたでしょ?もっと早く言ってくれればちゃんとした物を作ったのに〜」 「いえ!急に来た俺が悪いですし、お構い無く!」 「しっかりしてる子ね〜。いつも駿太が迷惑かけてない?」 「母さん、いいから!一旦部屋行って着替えて来るから!」  早川が照れくさそうにして、あっちに行けとばかりに母親の背を押す。ごゆっくり、と言い残して彼の母親はリビングに戻っていった。煙たがられても、嫌な顔一つしないのは、早川の行動が照れ臭さからくるものだとわかっているからだ。これが、親子というものなのだろうか。  行こう、と手を引かれ階段を上る。外から見てもすぐわかるほど広い一戸建ての早川邸。早川の部屋は二階にあるようだった。もちろん、彼の部屋も広かった。セミダブルのベッドに大きな学習机。テレビもある。 「部屋、広いな。テレビもあるんだな」 「そう?大原の部屋はテレビ無いの?」 「ああ、テレビはリビングか光の部屋にしかない」  下宿にはもともと、リビングにしかテレビがなかった。悲しいことに、毎日のようにチャンネル争いが勃発する。神崎はその争いが面倒になったのか、いつのまにかテレビを自分で購入していた。だからリビングか神崎の部屋にだけある。  部屋着、と言われて渡されたシャツとハーフパンツ。予想していたが、やはりサイズが合わない。シャツは肩周りがパツパツなうえ、丈が足りなくて腹が見えてしまう。その大原の姿を見て早川はげらげらと笑い転げていた。 「あはは!やっぱり無理かー」 「悪いな、背が高くて」 「うわ、腹立つわあ。うーん、父さんのやつなら着れるかな」  探して来る、と言って早川は部屋から出て行く。  一人部屋に残された大原は、部屋を見渡した。きっと幼い頃から使っているであろう年季の入った学習机、主に漫画が詰まった大きな本棚、テレビに繋がれたらゲーム機、額に入った家族の写真と陸上大会の賞状。この部屋には、今の大原が持っていない物ばかりがある。先程早川が漁っていたクローゼットの中には、小さくて着れなくなった服や、幼い頃に使っていた玩具など、もっと多くの思い出が入っているのだろう。  飾られている家族写真に写る早川はかなり幼い。早川の他に父親と母親。みんな、幸せそうな笑顔だった。 「お待たせ、服あったけど父さんのでも小さいかも…って、何見てんだよ恥ずかしい!」  大原のために服を探しに行った早川が戻ってきた。まじまじと写真を見ていた大原の目の前に立ち、手で写真を隠した。 「いいじゃないか、減るもんじゃないし」 「いや、減る!減るから!」  持っていたシャツを頭から被せられ目隠しされた。そんなに恥ずかしがるのか、と大原は思ったが、これ以上揶揄うと駿太が可哀想だ、と大人しくシャツを着る。     大原から見て、早川の家庭は温かい。大きくて広くて綺麗な家。急に他人が来たにも関わらず、快く出迎えてくれた家族。一緒に食事をした彼の両親は優しいし、早川を大切にしていることがすごく伝わってきた。今日の大会結果を聞いても、決して早川を責めたり、がっかりした様子を出すこともなく、優しく慰めていた。大原にとって、まさにドラマで見るような幸せな家族だった。  大原には、ほんの少しだけだが、幼い頃に家族と過ごした記憶があった。早川家のように広くないし綺麗でもない。古い集合住宅の一角。父親の姿を見たことはなかったが、母親の姿はうっすらと覚えている。日当たりの悪い部屋の中、一人でひたすら母親の帰りを待っていた。日が完全に沈んで、夜が更けると、濃い化粧をした母親が帰ってきて、それから一緒に食事をする。当時はわからなかったが、今なら母親は夜の仕事をしていたということがわかる。世間から見たら幸せとは言えない家庭だったが、当時の大原は、母親と一緒に食事が出来ることを幸せだと思っていた。  今はもう、その母親がいないので、当時の幸福感を味わうことはできない。  これもあれもと勧められて、ついつい食べ過ぎた。大原くんは食べっぷりがいい、と褒められて調子に乗ってしまった。それに負けじと早川も食べていたが、やはり体の大きさのせいで胃の容量が違うのか、大原には勝てない。  順番に風呂に入り、早川の部屋に戻ってゲームをした。対戦してどっちが強いから勝負をした。ほとんどテレビゲームをやったことがない大原はかなり弱くて、早川のボロ勝ちに終わった。これでは大原が可哀想だ、と二人で協力して進められるゲームをやった。大原の珍プレイに早川は腹が捩れるほど笑った。最初は戸惑っていた大原だが、どうやったら進められるのか、どうやって早川と連携をとるのか、など試行錯誤しながらゲームをしていて楽しそうだった。いくら大人びて見えていても、ただのゲームで生き生きしている大原の姿は、年相応の少年だ。ゲームが終わった後は、早川がレンタルしていた映画を一緒に見る。せっかくだからと部屋を暗くして映画館の雰囲気に似せてみる。少し前に話題になったある音楽アーティストの生涯を描いた洋画だった。音楽はもちろん、私生活も赤裸々に語られている内容だった。主人公は同性愛者で、性的嗜好に苦悩するシーンが印象的だ。見ている途中、隣に座っていた早川が、大原の肩にもたれ掛かってきた。 「早川?」  どうした、と声を掛けると返って来たのは小さな寝息。学校が終わってからずっと一緒に遊んでいることもあり忘れかけていたが、彼は今日、朝早くか陸上の大会に行っていたのだ。疲れているに決まっている。起こすのは可愛そうだと思い、そっと駿太を抱き上げ、ベッドまで運ぼうとした。 「ん…あれ、おれ、ねてた?」  なるべく静かに運んだつもりだったが、途中で早川が目を覚ましてしまった。眠そうに目を擦りながら大原を見上げる姿は、幼さが残る駿太の可愛らしさを引き立たせた。 「悪いな、起こさないようにって思ったんだけど」 「んーん…こっちこそ、寝ちゃってごめん。もっと大原と遊びたいし、大原のこと知りたかったのに」 「今日優介から聞いてただろ?」 「そうゆーのじゃなくて、もっと…えっと、彼女いる?」 「…いると思ったか?」 「あはは、ごめん」 「いや、いいって。また遊びに来るから、今日はもう寝ような?」  早川をベットに下ろし、頭を優しく撫でた。それに身を委ねながら、早川は気持ち良さそうに目を閉じた。  すやすやと眠る早川の寝顔は、大原の眠気を誘った。今日は週終わりで、自分の体にも疲れが溜まっていただろうことを思い出す。早川も眠ってしまったし、自分も寝てしまおうとテレビの電源を消し、部屋を完全に暗くした。早川の眠っているベッドの端に横になる。早川の部屋にあるベッドは大きいし、背中を向けて寝れば問題ないだろう。昔から狭い場所で寝ることが多かったので、寝相の良さには自信があった。     自信があった、はずなのだが。  窓から入る眩しい朝日と、右腕のかすかな痺れ、腕の中に感じる心地よい体温で目を覚ました。他人の家だというのに、どうやら朝までしっかり寝てしまったようだ。がっちり早川をホールドしながら。  昨日は確かに背中を向けて寝ていたはずだが、今は腕の中に早川がいる。右腕の痺れは、早川の頭の下に腕があることが問題で発生している。つまり、腕枕をしている状態。心地よい体温の正体は早川。彼はまだ大原の腕枕で熟睡している。何故こんな状態になってしまったのかわからない。お互い人肌が恋しかったのだろうか。  しかし、さすがにこの状態で早川が目を覚ましたら驚いてしまうだろうと思い、彼を起こさないようにそっと腕を引き抜こうとする。布団の中でごそごそと動いて腕を動かすと、寝ぼけた早川が擦り寄ってきた。しかも、離れるなと言っているように、大原のシャツをぎゅっと握ったのだ。 「参ったな…」  これじゃあ離れられない、と大原は早川から離れるのを諦めた。自分のシャツを握り、ひっついて眠る早川は、かなり幼く見える。自分にもし弟が居たら、こんな風に愛らしく思うのだろうか。  さら、と腕枕で眠る早川の髪を撫でる。どうしてか、昨日から彼の頭を撫でてばかりだ。彼を見てると可愛がりたくなってしまうし、甘えさせてやりたくなる。  今も目の前で気持ち良さそうに眠る彼を、気がすむまで眠らせてやりたい。  しかし、そんな穏やかな時間を容赦なく壊すように、ジリジリと目覚まし時計が鳴り出した。  今度こそ早川も起きたようで、目を瞑ったまま手探りで目覚まし時計を探していた。なかなか見つけられないようだったので、大原が止めてやった。 「…んぅ?」  自然に目覚まし時計が止まったことに少し驚いたのか、ぱちっと目を開いた。大原の姿を確認して、昨日泊まっていたことを思い出したようだ。 「あ、おはよ」 「おはよう、早川」  向かい合いながら、おはようを言い合う。なんだか照れ臭い。手を伸ばせば、直ぐに触れられる距離。ふにゃりと笑った早川に、どきりと一際大きく胸が鳴る。どうしようもないほど、彼に触れたくなった。空いている左手で彼の頬に触れようと腕を伸ばしす。  途中でハッと我に返り、腕を引っ込めた。  今、早川に何をしようとした?  さすがに友達の域を超えていたのではないだろうか。  早川に触れたいと思ってしまった。触れて何をするつもりだったのか。撫でる?早川は小動物では無い。そんなことをしても喜んだりしない。大原は自分のために早川に触れようとした。早川が喜ぶから、ではなく、自分を満たしたいという欲を持って。 「大原、まだ眠い?」  動かない大原を眠いのだと勘違いした早川が声を掛けてきた。くわ、と大きなあくびをする早川も眠そうだが、人の家でいつまでも寝ているわけにもいかない。ましてや今日、昼過ぎからバイトがある。この幸福感に満ちた時間に、いつまでも浸っているわけにはいかなかった。 「いや、大丈夫。バイトあるし、もう帰るよ」 「そっかあ、俺まだ眠いなあ…大原送って行ったら二度寝しよーっと」 またひとつ、大きなあくびをした。小さい口を精一杯開いた、子供のようなあくびだと思った。起き上がる様子が全く見られない早川は、大原の腕枕に頭を預けたまま、意味もなくゴロゴロとしている。放って置いたらまた眠ってしまいそうだ。 「早川、申し訳ないんだけど、腕…」 「腕?…あ、わっご、ごめん!!」 早川は無意識だったようだ。大原の腕枕から勢いよく飛び起きる、と同時に握っていたシャツから手を離した。腕の中から急に早川の温もりが消えた。 「ほんとにごめんな!男とこんなの…嫌だったよな?」 嫌だったか、と聞かれて初めて気付いた。普通男同士の腕枕なんて、嫌だと感じるに決まっているのだ。しかし、大原は早川とのそれを嫌だと感じなかった。  むしろ、もっとこうしていたい、と思ってしまったのだ。

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