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4.秋の終わりとふたりのはじまり1

「もう来週から来なくていいよ」   秋の終わりかけ、寒空の下。日が暮れる時間も早くなって、冬が近づいて来た。  そんなある日の事だった。陸上部の朝練習がない月曜日。まだ誰もいない早朝。日課である花の水遣りの途中、大原から突然、戦力外通告のような事を言われた。本当に急にだったので、早川の頭で処理するのに時間がかかった。来なくていい、と彼ははっきりそう言っていた。今まで楽しく遣っていたのに、どうしてだろうか。何か彼の気に触っただろうか、嫌われてしまったのだろうか、などとマイナスなことばかり頭の中に浮かんでくる。 「…なんで?俺、なんかやっちゃった?」 「何でって、もうこの季節だし…って早川?!」  目に涙を溜め始めた早川に気付き、大原はどうしたどうしたと慌てふためく。最近ようやく気付いたが、彼は人が落ち込んだり泣いたりするのに滅法弱いらしい。早川の前でもそうだが、心優しい彼はきっとみんなの前でそうなのだ。 「何でそんな顔してるんだ…俺、何か傷付くこと言ったのか?」 「…お、おれ、何かやっちゃった?!嫌なことしてた?!」 「…んん?俺は早川に何も嫌なことはされてないよ。どうしてそう思った?」 「だって、明日から来なくていいって…」 ぐず、と鼻をすすり出した早川。これが半泣き状態のせいなのか、寒さのせいなのかは分からない。大原はというと先程の慌てた様子とは打って変わり、そのことか、と困ったように笑っている。ポケットからティッシュを取り出して、早川に渡した。こんなときですら彼は優しい。 「もう冬になるから」 「えっ冬?あ、ああー、そっかあ…」   寒さの厳しい冬は、花の季節ではない。今の花壇も枯れてしまった花が目立つようになり、幾分かボリュームがなくなって来た。もう、花を世話する必要が無くなってしまったのだ。  そんな事にも気付かず、ひとりでショックを受けて泣きそうになってたのが恥ずかしい。 「そんなに、俺に会えなくなるの嫌だった?」 「…うるせー!」 大原が気恥ずかしそうに、少し嬉しそうに聞いてくる。恥ずかしがるなら聞かなきゃいいのに。これが岸田みたいに、早川を揶揄って言っている訳ではないので余計タチが悪い。  大原が照れているのが、さらに早川の羞恥を煽る。それを隠したくて、貰ったティッシュで思い切り鼻をかんだ。  日課として定着していた花壇の仕事が無くなる。少し寂しいと思った。花壇の仕事が無くなると、毎日当たり前のように会っていた大原との接点も無くなる。もっと寂しいと思った。 「花の世話も、もう終わりかー。なんか寂しいや」 「…ああ、俺も寂しいよ」  バシャバシャと如雨露を水道で洗いながら、大原はこっちを見ずに言った。声のトーンがいつもより低いし、大きな背中はいつもより小さく見える。顔を見なくても分かるほど、元気がなかった。冷水に触れていた彼の指先は真っ赤で、かすかに震えていた。  先ほどまで普通だったのに、寂しいと言ってから元気が無くなってしまった。早川だけでなく、大原も寂しいと思ってくれているのだろうか。そうだったらいいな、と早川は思った。  けれども、大原の寂しいと早川の寂しいが一緒なのか分からない。早川の寂しいは、大原と一緒に過ごす時間が無くなること。大原にとっての寂しいは?花の世話ができなる事が、それとも、早川と一緒に過ごすこの時間がなくなってしまうからか。  後者だったらいいのに、なんて思ってしまった。 「なあなあ」 「うん?」 「大原の寂しいってのはどっち?」  花の世話が終わることか、俺と一緒に居れなくなるからか。  こんなこと聞かれたって困るに決まっている。しかし、どうしても彼の答えが知りたい。どんな答えが返ってきても、平然としていよう。後者が返ってきたら無理かもしれない、と少し緊張した。大原は少し考えてから、答えを出した。 「うーん…両方、かなあ」  それがすぐ嘘だとわかった。優しくて真面目な大原は、嘘をつくのが苦手だ。ちょっと考えてたくせに曖昧な返答。本音を聞くには、まだ時間が必要らしい。はっきりとした答えが返ってこなくて安心している自分もいた。 「なーんだ、一緒に居たいと思ってたの俺だけかよ!」 大原に会えなくなるのが寂しい、と口を尖らせながら言ってみた。ふざけた様に言って見せたが、これは紛れも無い本心。真面目な顔して言うほど肝は座ってない。  「やめろよ、そういうの。…勘違いしそうになる」  ポツリと、まるで独り言のように大原は呟いた。  何が、とは聞かなかった。  それはどういう意味だ、と聞けなかった。    それを聞いてしまうと、きっと大原と今までの関係で居られなくなってしまう。関係を壊したくない。だから聞こえないフリをしてた。  本当は勘違いじゃないと言いたかったけど、勇気が出なかった。    来週から、この時間が無くなる。  ただ大原に出会う前に戻るだけ。それだけなのに、それに戻るのは嫌だ。大好きな大原との時間を何としても繋ぎ止めたかったけど、この時は何も術を思い付かなかった。 *    最近、大原との距離感がおかしいのは自覚している。姿を見ると嬉しくなる。触れられるとドキドキする。他の人と二人で居るのを見るともやもやする。もうこの感情の正体は、薄々わかっていた。しかし、それを認めるにはまた勇気がいる。  また、勇気。勇気、勇気。  大原との関係を大事にしたいばかりで、彼に対して早川は臆病になり過ぎているようだ。きっと大原も同じ。二人ともいい加減、一歩でもいいから踏み込まなければならない。 「それってさあ…まあ俗に言うアレだよな」 「まあ、そうだよね…うん、わかってるわかってる」  ひとりで考えるのが辛くなって、岸田に相談してみた。大原の名前は伏せる。なぜ岸田に話したかというと、文字通り陽キャラで友達の多い彼が、恋とか愛とかそういう浮いた話が得意そうだったから、というだけ。 「つーかそれってナゴの話だろ?お前、めっちゃ好きじゃん」 「えっええ?!なんで、なんで分かったの?!」 「いや分かりやす過ぎるから、お前」  岸田には筒抜けだったようだ。人の感情にものすごく聡いタイプの人がいるが、岸田はその部類の人間なのだろう。 「でもさ、俺も大原も男だし…なんか、おかしくない?気持ち悪くない?」 1番聞きたかったけどなかなか聞かなかったことを思い切って聞いてみた。友達である岸田に気持ち悪いなんて思われてしまったら、明日からどんな顔をして会えばいいかわからない。そんな早川の心配が無駄になるくらい、岸田の反応はあっさりしたものだった。 「え、なんで?別にいいんじゃね」  何がダメかわからない、といった様子で岸田が首を傾げる。意外すぎた反応に、早川は唖然とした。   「好きになったのが女だろうが男だろうが関係ねーよ。仕方ねえじゃん、好きになっちまったんだから」  そう言った岸田は、格好良く見えた。以前会った格好良い岸田兄と姿が重なる。チャラチャラとした岸田に真面目な話をしたのは初めてだったが、随分寛大な考え方を持っているようだ。 「俺の友達にそういう奴いるし、兄貴もゲイだし」 「え、マジかよ?!」  金髪で片耳にピアスがたくさん付いていた岸田の兄。彼の姿が思い浮かんだ。少し派手な見た目だが、至って普通の男の人だった。同性愛者、と聞くともっと女性らしさがあると思ったが、そうでも無いらしい。  自分がおかしいのではないか、とずっと不安に思っていたが、岸田の話を聞いて少し気持ちが軽くなった。 「で、どうすんだよこれから?」 「どうするって、何が?」 「ナゴとどうなりたいんだって話!」  ニヤニヤと楽しそうに笑う岸田。そういえば岸田は浮いた話が大好きな奴だ。真面目な話は終了し、彼は早川で遊ぶ方に頭を切り替えたようだ。  どうなりたい、と言われても分からない。考えてはみるが、今まで部活三昧でまともな恋愛をしたことがない早川に、答えを出すことは出来ない。 「うーん、どうなりたいって言われても…」 「あー、悪い。もっとわかりやすく言うと…何したい?」 「何したい…一緒に居たい」 「うんうん、それから?一緒に何したい?」  早川は考える。今までは一緒に居たいと願うばかりで、一緒に何をしたいかまで考えたことが無かった。  普段高校生らしいことをしていない大原と、カラオケやゲームセンターに行って高校生らしい遊びをしたい。一緒にご飯を食べたい。大原は成績が良いから、勉強を教えて貰いたい。彼のバイト先に行って、働く姿を見てみたい。まだ一回しか一緒に下校したことがないので、一緒に帰りたい。こっそり手を繋いで、なんてことが出来たら更に嬉しい。それから、彼の住む家に行ってみたい。どちらの家でもいいから、また泊まりがけで遊びたい。それから、この前みたいにくっ付きながら温かい気持ちで一緒に寝たい。  考えれば考えるほどたくさん思い付いた。一緒に居れるだけでいい、だなんてただの綺麗事。自分の中はこんなにも欲で塗れていたのだ。

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