右手が熱かった。 　熱を出したので熱いのは当たり前、と言われるだろうが、そうのような不快な熱さではない。どちらかというと、心地よい熱さ。温かさ、だろうか。 　どれほど眠っていたのか分からないが、おかげで体調が良くなった。少し熱が下がったのか、だいぶ体が軽い。今日はずっと前から早川と約束をしていた日だが、自分が風邪を引いてしまったせいで無くなってしまった。今日この日に向けて、補習を回避するために彼がひたすらに勉強を頑張っていたことも知っているし、同学年の神崎や岸田から聞いていた。だから、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。どうやって埋め合わせしよう、と考えているうちに風邪薬が効いてきて眠ってしまったのだ。おかげで体はすっきりしたが、心はモヤモヤしたままだ。 　とりあえず、一旦起きて水分を取ろう、と思って目を開けた。 　目の前に早川がいた。 　座ったままベッドに顔だけ伏せ、背中から毛布をかぶった状態で眠っている早川。彼のすぐ近くにはスポーツ飲料とタオルが置いてあった。 「え、早川…？！」 「んっ…あれ、起きたの？おはよう」 　驚いた大原が起きあがろうとすると、その拍子に早川も目を覚ましたようだった。まだすっきりしないのか、眠たそうに欠伸をしている。 　右手の心地よさの正体は、早川だった。彼が手を握っていたのだ。 「早川、どうしてここに？」 「神崎が連れてきてくれた！」 「…来てくれた、のか？」 「う、うん…いや、だって約束してたし…やっぱり、さ…」 　会いたかった、と顔を真っ赤にして、消え入りそうなか細い声で言った。そんなに照れるなら言わなければいいのに、と思ったが、真っすぐで素直はところが彼の魅力だ。そこに惚れてしまったのだから、何も言えないし、何も言う必要もない。見ているこちらも恥ずかしくなってしまい、目線を合わせられない。きっと今の自分の顔も赤いが、これは熱のせいだ。 「あっ、ごめん！手握ったままだった！」 気恥ずかしさからか、早川が握っていた手を離そうとする。しかし、離れて行こうとした早川の手を大原の手がすぐに捕まえた。 「…別に、離さなくてもいいだろ」 　離したくない、と思ったら無意識に掴んでいた。二人きりの部屋だし、誰の目も気にすることは無い。だから、手を繋いだって構わない。 　早川は驚いたような顔で大原を見つめていたが、すぐに顔を赤くして目を逸らした。なんて分かりやすいのだろうか。 「…うん、離さなくていい」 早川の手に、ぎゅっと力が籠った。指を絡めるように握り返した。こんな手の繋ぎ方は初めてで、心臓が煩いくらいに音を立てている。繋いだ手から、早川に聞こえていないか少し心配した。自分の方が先輩なのに、彼より緊張していたら格好が付かない。 「…ねえねえ」 「うん？」 「……キスしたい」 「ダメだろ。風邪感染る」 「俺丈夫だから、感染んないもん」 　 頭では駄目だと分かっていても、心は早川を求めている。自分の中の深くにある欲が、早川が欲しいと訴えている。しかし、自分は今風邪を引いている。熱が出て苦しんだ。もし早川が風邪を引いてしまったら、自分と同じように苦しむかもしれない。早川にはそんな風になって欲しくない。 　頭の中で欲と葛藤する。そんな大原の葛藤を知ってか知らずか、早川は大原の頬に触れて、じっと見つめながら上目遣いで首を傾げた。 「ほんとに、だめ？」 それはずるい、と思った。 　先ほどまでの葛藤も虚しく、しっかりと早川の後頭部を手で支えてキスをした。 　これが、2回目のキス。1回目とは違って歯はぶつかっていない。触れるだけでは物足りなくて、音を立てて啄むようなキスをした。 　唇を離し、目を開けると真っ赤になって目をぎゅっと瞑ったままの早川の顔が目の前にある。あまりの愛らしさにしばらく見つめていると、やっと目を開けた早川とばっちり目が合った。気恥ずかしくなり、お互いすぐに視線を逸らす。 「…何で見てんだよ！」 「いや…可愛いな、と思って」 「可愛い…？！えっ、俺男だけど？！」 「うん…ごめん」 「え、いや……別に、悪いってわけじゃないけど…」 頭では駄目だと分かっていたのに、早川を前にするとどうもうまく理性が働かない。 「風邪、感染らないといいけど」 「うん、大丈夫。気にしないで…それより、さ」 ぎゅっと、繋いでいた早川の手に力が入った。 「……もういっかい、したい」 　恥ずかしそうに熱のこもった視線で訴える。自分はこの早川の顔に滅法弱いということが今日初めてわかった。自制が効かなくなる。早川を欲してしまう。目を見つめて言われたはずなのに、すぐに視線を晒してしまった。早くしろ、急かすように握っていた手をくいくいと引っ張られた。先ほど触れた感覚を思い出し、心臓が跳ねる。欲を、抑えられない。まだ駄目だと頭は訴えているのに、心は、身体は先ほどのキス以上を求めてしまっている。 　手をさらに引っ張られ、顔がぐっと近づいた。早川が静かに目を閉じる。そっと唇を重ねようとした、その時。 　ガチャリ、と部屋のドアが開いた。 「永太郎、調子はどう……おっと、すまん。取り込み中だったか」 　びくり、と二人とも驚きで面白いほど跳ね上がった。 「っ？！えっ、さ、佐野さん？！い、いつ帰って…」 「邪魔して悪かったな。永太郎、お前にもそういう欲があったとは…まあ良い、話はまた後だ」 「え、ちょっと待って！」 　病人のはずの大原は飛び起きて、佐野と呼ばれた人物を追いかけ部屋を出て行った。 　ひとり部屋に残された早川。心臓がバクバクと音を立てているが、大原とのキスに対してか、人に見られたということに対してか、どちらかはわからない。