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6.2回目のアレと未来の約束3

  「先程は急に入って悪かったな。私はここの家主で保護者でもある、佐野だ」 「ど、どうも…」 リビングに移動して、改まっての自己紹介。丁寧な挨拶につられてぺこり、と早川も頭を下げた。隣に座っている大原は、気不味そうにしていて佐野と一切目を合わせない。  佐野、と呼ばれた人物は、大原たちが暮らす家の家主で、彼らの親代わりをしている人物だ。 「君のことは永太郎はもちろん、陽介や光からも聞いている。早川くんだろう」 「え、俺のこと知ってるんですか?」 「もちろん。いつも皆が世話になっている。ありがとう」 「いえ!そんな、俺の方こそ…」 「特に、永太郎が世話になっていると聞いている。なかなか気難しい奴だが…仲良くしてくれ」 「…それ、本人の前で言うことか?」  相変わらず気不味そうな大原と、至って真面目で淡々と話す佐野。厳格で厳しい、と岸田から聞いていたが、早川には礼儀正しく優しい。岸田が怖い、と言っていたのは彼の普段の行いが悪いせいだと思った。 「永太郎、もう体調は大丈夫そうだな。飯は食えるか?」 「うん、食えるよ」 「そうか。じゃあ、準備する。早川くんも一緒に食べて行くだろう?」 「え、俺もいいんですか?」 「ああ、どうせこれから大人数分を作るんだ。ひとり分くらい増えても問題はない」  支度が出来たら呼んでやるから、と再び大原の部屋に戻された。どうやら佐野には歓迎されているみたいで、夕食も彼の言葉に甘え、一緒に食べて行くことにした。  佐野が二人の前に登場してから、大原の口数が少ない。二人でいた時の上機嫌な大原はどこに行ってしまったのだろうか。 「なんか…不機嫌?」 「不機嫌、では無いけど…気不味いだろ」 「なんで?」 「だって、がっつり見られたじゃん」 「あ、ああ…そうだったー…」 先程、この部屋でのことを思い出すと急に顔が熱くなった。大原の親代わりである佐野に、がっつり見られたのだ。少し前まで平然と話していられたのが不思議なくらい恥ずかしくなってきた。親に目撃される、なんてことを想像すると居た堪れない気持ちになってくるので、大原にとってはすごく酷な状況だったに違いない。  居た堪れない気持ちと気不味さと、色々な感情が無い混ぜになって、少しだけ不機嫌が表に出ている大原。その拗ねた顔が新鮮で、少しだけドキッとした。こんな顔もするんだ、と年相応な彼の姿に愛おしくなった。 「ねえ、大原。こっち見て」 「うん?」  拗ねた横顔に声を掛けてこっちを向かせた。彼が顔を向けた隙を狙い、唇に触れるだけのキスをした。  一瞬だけ、触れただけのキス。始めて仕掛けた自分からのキスは、ちゃんと唇同士触れたし、歯も当たらなかったから案外上手く出来たのではないだろうか。  驚きが隠せない大原の顔も新鮮だ。彼の家に居るからか、それとも風邪だからか、今日の大原はコロコロと表情が変わって面白い。 「さっき、出来なかったから!」 「……ずるい」 「え?何もずるい事してないし!」 口元を抑えて真っ赤になってしまった大原。自分より背が高くてずっと男らしいのに、可愛いなんて思ってしまう。さっき大原に可愛いと言われて何故、と思ったが、大好きな人が真っ赤になっている姿にはクるものがある。少し大原の気持ちが分かったかもしれない。 *  その後、遊びに行っていた神崎と岸田が帰ってきて、佐野も含め五人で食卓を囲んだ。今日はクリスマスだったが、夕食はすき焼きだ。佐野は誰かが家に来た時、必ずすき焼きを作るそうだ。本人曰く、大人数の分を一気に作れるのが楽らしいが、他の三人は彼なりの持て成しだと言っていた。本当はもう一人一緒に暮らしている人が居るようだが、今日はバイトで帰りが遅くなるらしい。  夕食後、いい時間になってきたのでそろそろ帰ろうとしている時、大原が駅まで送って行く、と言ってきた。嬉しかったしもっと一緒に居たかったが、風邪で学校を休んでいたのにそんなことをさせる訳にはいかない。それに、少し辛そうな顔をしていた。もしかしたら薬が切れて熱が上がってきてしまったのかもしれない。  玄関までで良い、と言ったのにやはり大原は外まで付いてきた。 「今日は約束守れなくてごめんな。でも、来てくれてありがとう。嬉しかった」 「俺も来て良かった……あ、そうだ!」  昨日の夜から忘れないようにと、ずっと鞄の中に入れていた存在を思い出す。彼の為に用意したプレゼント。昨日から今までずっと鞄に入れていたせいか、包装紙が少しくしゃっとしていた。くしゃくしゃになったプレゼントはちょっとアレだが、まあいいやと彼に押し付けた。 「…開けてもいいか?」 「もちろん。早く開けてよ」 彼に渡したプレゼントの中身は、白とグレーのチェック柄のマフラー。ありきたりなデザインの物になってしまったが、これでも一生懸命選んだのだ。いつも薄着の彼が風邪を引かないように、と思ったのだがもう手遅れだった。  でも、大原は嬉しそうだった。さっそくマフラーを首に巻いて、少し照れ臭そうに見せてきた。あまりにも嬉しそうだったから、何だかこっちまで恥ずかしくなってしまう。そんなに喜ぶなら、もっと高価なものにしておけばよかったと、少しだけ後悔した。 「ありがとう!大切にする!」 「そ、そんな大した物じゃ無いし!」 「…早川から貰ったから、本当に嬉しい」  子供みたいに喜ぶ大原に、早川も嬉しくなる。プレゼントを買って良かったと思った。 「大原、最近何か悩んでるって聞いたけど、元気になってくれたみたいでよかった」 「え、俺が?」 「うん、神崎が心配そうにしてたよ」 「光が…?あ、ああー…わかった」  何か心当たりがあるようだった。本人はあまり気にしていない様子なので、実は神崎の心配しすぎなだけなのかもしれない。 「進路が…どうしようかなって」 「え、進路?」 なんだ、そんなことだったのかと早川はほっとした。成績の良い大原はきっと良い大学に行けるだろうし、何処に行こうか悩んでいる程度だと思ったのだ。しかし、早川の予想は大きく外れる。 「就職しようと思ってたけど、先生から進学しないかって言われててさ」 「ええっ?!就職だったの?!」 「え、そのつもりだったけど」 そんなに驚くことか、と逆に大原が驚いていた。就職が悪いことだというわけではないが、こればかりは早川も先生の進学を進める気持ちが分かる。成績がいいし、勉強も嫌いではないのだから、勿体ない。 「進学だと思ってた!何で進学しないの?」 「えーだって…金、無いし」 「学費とか?」 「それもあるけど…もし大学に行っても、今と同じでバイトばっかりやることになりそうだし…」  理由は何となく、なんて甘いものではなかった。  大原は、本当はバイト三昧な生活は嫌だと言った。金銭面で助けてくれる人が彼には居ない。だから仕方なく、生きる為に働いているのだ。勉強が好きだったし、周りの人間が当たり前のように行く高校にはどうしても行きたくて、高校には入学した。しかし、大原は自分は他の人と同じような高校生活を送ることができないという現実をすぐに突きつけられた。  今まで貰っていた小遣いだけでは教科書を買うのがやっとで、みんなが持っているような参考書は買えない。英検などの資格を獲るにもお金がかかる。模試を受けてみたくても受けられない。もちろん塾にも行けない。本当は早川と同じように運動部に入って中学生の頃やっていたスポーツを続けたかった。もし部活が無理でも、他のクラスメイトたちのように駅前のカラオケやファミレスで遊んでみたかった。  やってみたいこと全てを、大原は我慢して来た。  この生活は、大学に進学しても変わらない。だったら早く社会人になって、この生活から脱却したい、というのが大原の考えだ。 「奨学金とかあるから考えてみろって言われて、進学したくないわけではないし、すごく迷ってるんだけど…どうしようかな」  早川は、何も言うことが出来なかった。比較的裕福な家庭で育った早川には、想像も出来ない理由で、助けてあげることも出来ない。   「そっかあ…俺、大原と一緒に大学生やってみたかったけどなあ…」 思わず溢れてしまった願望。こんなこと言ってしまったら大原は困ってしまうかもしれない、と少し後悔したが、実際は困った様子では無かった。むしろ、興味を示しているようだ。 「一緒の大学かあ…悪くないな」 「楽しそうだなって思ったけど、別に大学行かなくても一緒に居れるし!大原が決めることだから!」 「今まで考えたことなかったけど、本当にいいなと思う」  案外進学に前向きになってしまった大原。本当は心のどこかで進学したいと思っているのではないだろうか。 「大学の授業は高校と違ってもっと自由だって聞くから、学年が一つくらい違っても、同じ授業を受けられるかもな」 「俺と大原が同じ授業か〜。めっちゃ教えてくれそうじゃん」 「早川はすぐ寝そうだな」 「寝ないよ!今だってちゃんと授業受けてるし!」 想像しただけで楽しそうだった。実現するかはわからないが、話すだけなら何も悪いことはない。金銭面の理由は、悲しいが同じ高校生の早川には助けられない。奨学金や特待生制度などを利用して、大原自身が頑張るしかないのだ。早川に出来るのは、こうやって楽しい話をしながら応援する事だけ。 「永太郎!いつまで外にいるんだ?風邪が悪化するぞ」 「あ、はい!もう戻る!」  いつまで経っても戻らない大原を心配して、佐野が外に出て来た。もう時間切れだ。  佐野はまた来なさい、と言ってくれた。きっと、というか絶対近いうちにまた来る。なぜなら、大原も仲の良いクラスメイトたちも住んでいるのだ。佐野とも仲良くなった。来ない理由はない。  約束通りのクリスマスにはならなかったけど、早川にとっては楽しいクリスマスになった。新しい未来の約束も出来た。ずっと先の約束なんてしたことが無かった。大原は大学生になっても一緒に居たいと考えてくれているということなのか、なんて考えて少し顔が熱くなった。未来の夢みたいな話をするのは少し気恥ずかしいけど、案外悪くない。  冬休みが明けた頃、大原から進学クラスに行くという話を聞いた。国公立の大学なら、奨学金など色々な制度を利用すると、なんとか通えるようになるそうだ。  あの日の夜に話した、大学生になって一緒に授業を受けるという未来に、少しだけ近づいたような気がした。

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