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7.お泊りといいコト2

  「いらっしゃい…お、一人か。珍しいな」 「うん。こんにちは」  こういった件の話を聞くに、一番適しているであろう岸田兄のことを思い出したのだ。気になったらじっとしていられず、部活終わりにさっそく彼の店に来た。春休みの部活は夕方で終わるので、時間的にも問題ない。幸いなことに、今日は岸田も神崎も来ていないし、大原も違うバイトの日だ。夕方の微妙な時間に来たので、他の客も居なかった。 「丁度良かった。今日はこの通り客も居なくて暇だったんだ。何か飲むかい?」 「メロンソーダください!」 「アイス食う?」 「いる!ありがとう!」  ここにひとりで来たのは初めてだった。カウンター席に座り、いつも通りジュースを注文した。他に客が居ないからか、岸田兄はカウンターの中にある古びた椅子を持ってきて、早川の正面に座ってホットコーヒーを飲んだ。  コーヒーが飲めない早川は、砂糖もミルクも入ってない真っ黒な液体を当たり前のように飲む彼の姿が、とても大人に見える。  ひと口飲んで、旨くないと顔をしかめた。 「美味しくないの?コーヒー好きなんだと思ってた」 「コーヒーは好きだけど、これは淹れてから時間が経っちまったからなあ。味が落ちるんだ」   コーヒーの味のことなんて、学校では教えてくれない。彼は、早川の周りでは唯一、学校では教えてくれないことを教えてくれる大人だ。  型にはまらない生き方をしているようで、きっとアウトローな武勇伝をたくさん持っている。しかし、年下の高校生たちそれを自慢気に語るようなことはしない。聞かれたら話すし、聞かれなかったら話さない。そんなスタンスの彼には好感を持っていた。 「で、どうしたんだ?」 「え?」 「コーヒーの話をするために来たんじゃないだろ?」  初めて会ったときから思っていたが、彼は人の気持ちを察するのと、人の話を聞くのがすごく上手い。だから、頼りたいと思ってしまうのかもしれない。以前は驚いたが、今なら口下手な神崎が彼に懐いている理由もはっきりと分かる。 「今日、弟の方に言われたんだけど…」 「陽介に?」 「うん。その…そういう関係の人同士が泊まって遊ぶ時って、絶対えろいことしないと駄目なの?」   思い切って聞いてみた。こんなこと聞くのはめちゃくちゃ恥ずかしかったが、いつまでもスッキリしない方が嫌だ。  勇気を出して聞いたのに、岸田兄は急に吹き出した。弟の方みたいに大笑いしていないが、口元を押さえてクツクツと笑っている。 「そんなことで悩んでたのか。いいなあ、高校生!」 「なんで岸田兄弟ってすぐ笑うんだよー!恥ずかしいの我慢して聞いたのに!」 「ごめんごめん。弟が言いそうだなと思ったら、面白くて」 謝りつつも、微塵も悪びれた様子なんてない。兄弟というのは笑った顔も、笑いのツボも似ているものなのだろうか。 「でもまあ…その件に関しては、絶対ではないな。人それぞれだよ」 「大人も?」 「人によって違うさ。君はまだ高校生なんだから、ゆっくり進んで行けばいい」  岸田弟は、もう高校生だからと言っていた。しかし、兄の方はまだ高校生だと言う。自分たちが思っている以上に、高校生という肩書は、大人とは離れているものなのだろうか。  お前はまだ子供なんだから、大人のお泊まりデートなんて考えなくて良い。そう言われた気がして、少し気持ちが軽くなったが、少し胸がモヤモヤした。モヤモヤの正体は、まだわからない。 「…子供のお泊りだったら、えっちしなくていいもんね」 「何言ってるんだよ。弟が勝手に言ってるだけで、ナゴに何か言われた訳じゃ無いんだろ?なら悩む必要ないだろ」 「そうなんだけどさ…大原に、泊まる日何したいか聞いてみたんだけど」 「そしたら?」 「ゲームしたいって」 「いいじゃん、高校生らしくて」  やっぱりお前らはゆっくりの方が合ってるよ、と岸田の兄に言われた。結局、学校でのことは岸田弟と神崎に揶揄われただけだったのだ。岸田はずっと前からだが、最近神崎まで自分で遊ぶようになってきた。二人とも酷い。 *  あれから数日。お泊りの日を迎えた。  高校生はまだ子供だから大人のお泊りではない、自分たちは焦らずゆっくり進むべきだ、と岸田兄に相談して考えはまとまったはずなのに。  どうしても、あの日岸田弟の方と神崎に言われたことを意識してしまう。 『大人のお泊まりデートって言ったら…わかるよな?』 『…大丈夫、怖くない』  大人のナントカ、なんてもう考えたくなくなる程考えた。怖くないって何なんだ。怖がっているからこの関係に進展がないのだと思っているのだろうか。  今まで、これ以上の事を考えたことは無かったし、望んだ事もなかった。早川は今の関係で満足だと思っている。しかし、大原はどうだろうか。彼はこの先の事を望んでいるのだろうか。  大原は今日バイトをしているのかと思ったら、学校で進学クラスの補習を受けているらしい。  若干、大原の方が早く学校が終わる。一度家に帰って着替えたいと言っていたので、学校の最寄駅で待ち合わせることにしていた。   「ごめん、お待たせ!」 駅に行くと、改札付近で大原が待っていた。白いパーカーと黒のスエットパンツ、上には薄めのダウンを羽織ってリュックを背負っていた。いつも着ている制服と比べると随分ラフな格好をしている。私服を見る機会はあまり無いので新鮮な感じがする。  先に気付いた早川が声を掛けた。早川の存在に気付くと、ぱあっと表情を輝かせた。 「いや、今来たところ。お疲れ」 「嘘だ。ちょっと待ったよね?鼻、赤くなってるよ」 3月と言えども、夕方は冷える。彼の鼻や頬が寒さで赤くなっていたから、しばらく待っていたのは一目瞭然。彼は早川に気を遣わせないために、優しい嘘を付くことがあるのだ。最近はそれを見抜けるようになってきた。 「ごめん。楽しみだったから、ちょっと早く来た」 楽しみにしていてくれたことは、すごく嬉しい。それを照れずにさらっと言ってしまうのが大原の凄いところだ。いちいちドキドキしてしまって、心臓に悪い。  早川より口数が少なくて、早川ほど表情がコロコロと変わらない大原だが、最近は彼は少しの変化で、彼の気持ちが分かるようになって来た。 「じゃあ、行こっか!」 「うん。行こう」  早川の家まで、電車に乗って20分程度。そこから歩いて10分程度。大原の家ほど近くはないが、学校からの距離は割と近い方。  夕方の電車は少し混んでいる。つり革に捕まりながら、隣に並んで立つ。いつも学校の周辺ばかりで遊んでいたので、一緒に電車に乗るのは前に早川の家で遊んだ時以来だ。前も同じように並んで電車に乗ったっけ、と隣に居る大原を見上げる。 「早川、背伸びたよな?」 「え、マジ?!伸びたかなあ」 あまり気にしていなかったが、言われてみると確かに伸びた気がする。入学したとき、少し大きめに買った制服は、最近は裾が余らなくなってきた。けれども、まだ大原には全く追いつかないし、追いつける気もしない。 「大原、デカいよなあ。何センチある?」 「去年の健康診断で…178、だったかなあ」 「背高くていいよなあ。俺入学した時のやつ165だったけど、今は170くらいあるはず!」 「170は…なさそうだな…」 「ある!絶対あるって!」  他愛のないことを話しながら電車に揺られる。身長は男子高校生たちにとって割と重要なことだ。170センチを優に超える大原が羨ましい。大原のようにはならないだろうが、早川もこれからもっと伸びるはずだ。  話をしていても、やはり岸田に言われた事を思い出してしまう。大人のお泊り、なんて変な言い回しで何度も聞かされたせいで忘れたくても頭から離れない。 『大人のお泊まりデートって言ったら…わかるよな?』  わかんないよそんなの、と心の中で返した。  わかるわけがない。今みたいに、ただ隣に立っているだけで、一緒に歩いているだけで満足だったのに。今日は何故か、まだ足りない。 「……早川?聞いてたか?」 「…え?あっ、ごめん。なに?」 「どうした?部活後だし、疲れたか」 電車を降りてからずっと上の空だった早川。考え事をし過ぎていたせいで、大原の話を全く聞いたいなかった。彼は心配そうに声を掛けてくれた。 「ううん、疲れてないよ!ちょっと考え事してて…」 「考え事……ああ、陽介か?」  大原も何か心当たりがあるようだった。あいつは…と呆れたように彼は小さくため息を着くと、早川の頭をわしゃわしゃと撫でた。 撫でられるのは初めてでは無いが、まるで犬を撫でるように強く撫でられるのは初めてで、少し驚いた。 「岸田弟に何か言われただろうけど、気にするな」 「え?」 「大丈夫。早川が嫌なことは、何もしない」 何もしない、とはどういうことだろうか。嫌だ、と言わなければどうなるのだろうか。大原はこれ以上先の事を望んでいるのだろうか。そもそも、自分は彼ともっと先へ進みたいと思っているのか。  何もわからない。けれども、大丈夫と言われて少し緊張が解れて安心した。同時に、何もしない、と言われて少しもやもやした。

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