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8.会えない時間と胸のもやもや2

 朝起きたらメッセージが返ってきていた。 『ごめん、気付かなかった』  受信した時間は、午前1時。早川が既に寝てしまって居た時だ。きっと勉強していたのだろう。学年が上がってからこんな事ばかりだ。昨年までは時間が取れないなんてことは無かったのに。受験生だから仕方がない、と分かっていても寂しいものは寂しい。  その日の昼休み、大原に会いに3年棟へ行った。大原をオカズにした翌日なので、少し気恥ずかしさがあるのだが、それより会いたい気持ちが勝った。しかも、オカズにしたのは1人で勝手にやったことなので、大原自身は知る良しもない。  なぜいつも早川のほうから会いに行くのかというと、二人でそうしようと約束したからだ。上級生が下級生の学年棟に行くと、他の関係ない生徒たちに緊張が走る。いらぬ迷惑をかけそうだからと、下級生である早川が上級生の大原のところに訪れることしようと決めたのだ。  3年生の進学クラスは、昼休みも勉強している生徒もいる。少し行き辛いが、なるべく邪魔をしないように教室の後方の扉からこっそりと覗く。  すると、机に向かって勉強している彼の背中が見えた。今は前の方の席なので、後ろのドアからでは声を掛けなければ気付いてもらえない。 「おおはら…」 「ナゴー!ちょっと教えてほしいところがあるんだけど…」  邪魔しないように、と小声で名前を呼ぶ。しかしそれは近くにいた女子生徒の声に遮られる。声の主は大原の隣の席の、いつもの女子生徒だった。 「どうした?」 「さっきの数学で分からない問題があったんだけど、教えてくれない?」 「いいけど、どの問題?」  女子生徒が大原の机の近くに椅子を持ってきて隣に座る。ひとつの机に一冊のノートを広げる。ふたりの距離は、肩が触れているのではないかと思うほど近かった。    ずきり、と胸が痛んだ。  大原は優しい。だから、困っているクラスメイトを助けようとしているだけで、他意はないのはわかっている。わかっているが、苦しくて見ていられなかった。  本当はふたりの間に割って入って、大原は自分のものだと言ってやりたかった。しかし、そんなこと出来るわけがない。  大原に自分以外を見て欲しくない。大原を人に取られたくない。自分だけを見てほしい。優しくするのは自分だけにして。他の人に好きになられたら困る。誰も大原を見ないで。だって、俺の大原なのに、なんで、どうして。  醜い感情がぐるぐると自分の中で渦巻く。最近胸の中にあったもやもやがどんどん大きくなって、破裂しそうだった。  早川は急いでその場から逃げ出す。今大原に会ったら駄目だと思った。大原は悪くないのに、きっと彼を傷付けるような事を言ってしまう。彼に幸福を教えるって決めたのに。  この日、初めて大原に会いたくないと思った。  教室に戻って自分の席でぼうっとしていると、神崎が早川の元にやってきた。戻るの早かったね、と少し驚いていた。春休みはまだ半分も残っている。 「…ナゴと何かあった?」  心配してくれているようだった。周りから見たらきっといつもの神崎でわかりずらいが、仲良くなった早川には分かる。 「ううん、何もないよ。会えなかっただけ」 「……嘘だ。早川、わかりやすいからすぐわかる」  わかりやすい奴、という自覚はある。ポーカーフェイスなんて出来ないし、昔から嘘をついたら誰にでもすぐバレる。今のような落ち込んでいることを悟られたくないときなど、神崎の無表情がすごくうらやましく感じる。 「……俺に、何か出来ない?」  最近、神崎は変わったと思う。以前は自分から人に関わることはしなかったのに、今は助けようとしてくれる。去年のクリスマスの時もそうだった。落ち込んでいた早川を大原に合わせてくれた。今も、落ち込んでいる早川に手を差し伸べようとしてくれている。心配掛けないためとはいえ、少しでも嘘をついてしまったことを後悔した。 「…ナゴに、なにか言われた?」 「言われてないよ!本当に会えなかったし…というか、俺、会わないで逃げて来ちゃったんだ…」 「え……そうなの?」  驚いたようで、神崎が少し目を大きくした。どうやらついに喧嘩でもしてしまったのではないかと思っていたらしい。最近二人の時間が合わないことを、大原と一緒に住んでいる神崎は既に察していたようで、それで余計に心配してしまったようだ。 「さっき教室に行ったら、大原の隣に女の子がいて…なんか、もやもやーってなっちゃって……それで、戻ってきた」  思い出しただけでも、もやもやした感覚が戻ってくる。  大原とあの女子生徒が並んで座っている姿を見たとき、お似合いだ、と思ってしまったのだ。身長が高くて手足が長い大原と、すらっとした綺麗な女子生徒。早川が隣に並ぶより、ずっとお似合いだった。本来、そっちの組み合わせが正解なのではないかと思ってしまった。悔しいけれども、ほとんどの人が女子生徒との組み合わせのほうが良いと思うに違いない。 「…わかる」  幼稚だな、と笑い飛ばされるかと思ったのに神崎はうんうんと頷いて同意した。感情の波が穏やかそうな神崎にもそんなことがあるのか、と意外で驚いてしまった。 「わかってくれるの?」 「…わかるよ。別の人に取られちゃうんじゃって……」 「うわ~、めっちゃそうだわ…」 「…俺意外に、優しくしたら駄目って……」 「まさにそれ……神崎も、そう思うことあるの?」  神崎はこくりと頷く。早川は神崎にそのような相手がいることを知らなかったので衝撃を受けた。 「神崎も…いるの?」 「……ううん、早川たちみたいなのではないよ」  俺が一方的に好きなだけ、と神崎はいつもの無表情で言った。  無表情だったが、そう言ったときの仕草に少し照れを感じる。神崎にもそういう感情があったのか、と早川は嬉しくなった。 * 『5月の連休、もし休みがあったら遊びに行かないか?』  もうそんな時期か、と大原からのメッセージを見て思った。今年のゴールデンウィークは5日間ある。連休中は毎日補習があるわけではなく、時間が取れると言っていたことを思い出す。もちろん遊びに行きたいが、5月の連休は部活の大会前なので、今度は早川が忙しい番だった。  連休最終日まで、4泊5日の合宿で予定が詰まっている。しかも、合宿の間はスマホ使用禁止というルールがある。初日に電源を切って顧問の先生に預け、合宿が終了後に返してもらう。この時期に行う合宿は新入生への洗礼のようなものも含んでいるため、ルールがかなり厳しいのだ。スマホが無ければ、もちろん大原と連絡が取れない。 合宿があるから無理だ、とメッセージを返すとすぐに返信が来た。 『最後の日、合宿から帰るのは何時頃か決まってる?』  何とかして時間を作ろうとしてくれているように感じる。いつもなら遠慮して「そっか」で終わる大原が、珍しく繋ぎ止めようとしていた。最近時間が合わないと感じているのは、自分だけではないのだろうか。カバンの中に入った合宿の説明が書いたプリントを確認すると、17時学校到着予定と書いてあった。それを伝えると、またすぐ返信が来た。今日は一段と返信が早い。勉強はしていないのだろうか。 『補習が16時頃終わるから、学校で待ってる。だから、飯だけでも行こう』  5月の連休なんて、まだ一週間も先の事なのに約束が出来たことが嬉しかった。もっと直近の約束が欲しいとも思ったが、大原がその話をしないということは、時間が取れないということなのだろう。  彼が受験生になってから二人の時間が合わなくなってしまった。こんなことなら大学に行こうなんて言わなければ良かった、なんて考えたこともあった。しかし、それは頑張る彼に対して物凄く失礼なことだと、頭からその考えを消す。今は割り切って応援しようと決めた。今年1年我慢したら後はいいのだ。  もちろん、行くと返事をした。すると、またすぐに返事が来た。現代っ子らしくなくスマホに依存しない大原から、こんなに短時間に何度もメッセージが返ってくるのはものすごく珍しい、というか初めてかもしれない。 『今日の昼は、忙しかったのか?』  昼と言われて、昼休み会わずに帰ったことを思い出す。  早川が勝手にあの女子生徒に嫉妬して、勝手にへそを曲げて帰ってしまった今日の昼休み。神崎は不貞腐れた早川を心配していてくれたが、今思えば、なんて幼稚な理由で拗ねていたんだろうと恥ずかしくなる。あの時の大原は3年棟に早川が居たことにすら気づいていなかったようだ。その事実に少し安心した。 『今日は先生に捕まっちゃって行けなかった』  嫉妬して逃げ帰った、なんて恥ずかしくて知られたくなかったから嘘をつく。いくらわかりやすい早川でも、メッセージのやりとりでの嘘はバレないはずだ。   『そうか。今日会えなくて、少し寂しかった』  そんなこと言うなんて、ずるい。  さっきまでのメッセージのやり取りで、こんな殺し文句が送られて来るなんて思いもしなかった。顔がじんわりと暑くなった。それと同時に、ものすごく安心した。大原も寂しがっている。今日は逃げてしまったが、これで明日は大原が誰と話していようが堂々と会いに行ける。恥ずかしさと照れと満足感と安心感、そして幸福感といろいろな感情があふれてきて、早川の感情の器はキャパオーバーだ。スマートフォンを握りしめながら、意味も無くベッドの上をごろごろ転がる。一人でスマートフォンみてニヤけるのは気持ち悪いからやめよう、と思っても口角が自然と上がってしまう。  返事をしなくては、ともう一度メッセージを確認すると、あの殺し文句は既に削除された後だった。 『なんで消したの!!』 『ごめん、やっぱり今の無し』 『無しとか出来ない!もう見ちゃったもんねー』  すぐ消されてしまって残念だが、しっかりと頭の中に記憶したからもう大丈夫だ。スクショしておけばよかったなあ、と少しだけ後悔する。  今日、彼のメッセージの返信が異様に速いのは、寂しがっていたからかと納得した。勉強が手につかないほど寂しかったのだろうか、と想像して笑った。  あの大原のメッセージのおかげで、胸のもやもやはきれいに晴れた。明日は俺の大原だ、と自信を持って会いに行ける。

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