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9.名前の呼び方と独占欲4

 風呂を借りてシャワーで身体を綺麗に流した。着ていたジャージたちは、もちろんそのまま着れる状態ではなかったので大原から服を借りた。予想通り上も下もサイズが合わず、ぶかぶかだった。袖も裾も長すぎて邪魔だ。身体の大きさの違いを見せつけられている様で、少しだけムッとした。  バスルームを出てリビングへ行くと、香辛料の良い香りがする。大原がキッチンで鍋に火を掛けていた。 「あ、駿太。昨日のカレーが残ってたからそれでいい?ご飯は冷凍のやつだけど」 「うん、ありがとう」  良い香りの正体はカレーだった。大きな鍋を温めている間、冷凍庫から取り出した2人前の冷凍ご飯をレンジに入れて解凍する。すぐに出来るから座ってろ、と言われて早川は遠慮なくダイニングテーブルに腰掛けた。  あっという間にカレーの準備が出来て、大原が運んできてくれた。 「作ったの?」 「いや、まさか。佐野さんが作ったやつ温めただけ」  スパイスがいい感じに効いていて、めちゃくちゃ美味いと思った。猫舌の早川はふうふうと熱々のカレーに息を吹き掛けながら食べている。その間に大原はぺろりと一皿平らげて、二杯目を盛ろうとしている。相変わらずよく食べるなあ、と早川は感心した。  以前、大原がカレーが好きだと神崎から聞いたのを思い出した。 「カレー好きだよね?」 「うん、めっちゃ好き。特に佐野さんの作るやつはめちゃくちゃ美味い」 「ね、これめっちゃ美味しい!俺もおかわり欲しい!」    夕食を済ませた後、キッチンで肩を並べて片付けをする。大原が食器類を洗って流し、それを早川が拭いてとの場所に仕舞う。  キッチンに並んで立つなんて機会はないから、何だかとても新鮮で悪くない。もし一緒に暮らしていたりしたら、こういうことが当たり前になるのだろうか。   「この皿はどこに仕舞えばいい?」 「待って、もう洗い終わったから俺がやるよ」  二人分の片付けなので、洗う量はそんなに無かったようだ。食器類の仕舞う場所など、この家のことは住んでいる大原の方が詳しいので、彼に任せることにして拭いた食器を手渡した。  手渡した時、ふと自分の指に彼の指が触れ、ドキッとした。さっきまでもっとやらしいことをしていたのに。  さっきまで、この手が、この指がひとつひとつの快楽をしっかりと早川の身体に与えていた。 「うん?どうした?」 「…う、ううん、なんでもないよ!」  二人きりの空間、というのが早川のドキドキを加速させていた。大原の動作ひとつひとつに胸が跳ねる。大きな手と形の整った唇か、なんだかとても色っぽくて目が話せなかった。  あんなにたくさん気持ち良くしてもらったのに、まだ足りないのかと自分の欲の深さに呆れてしまう。  ご飯食べたばっかりだけど、キスしたい、と思ってしまった。  二人で家にいる、なんてチャンスはなかなか無い。キス出来るチャンスも滅多にない。今日は何もかもチャンスなんだから、ちょっとくらい欲張っておねだりしたって許される筈だ。 「……ねえねえ」  もう一回だけ、と彼の顔に近づいたその時。  ガチャン。  玄関ドアの鍵が開く音がした。 「ただいまあ〜〜、ん?お邪魔しまーす、か?いや、家族なんだからー…ただいまで合ってるよなあ〜?」 「どっちでもいいから、自分で歩け!この酔っ払い!」  最初に聞こえたのは早川の知らない声。もう一人の声は佐野だとすぐに分かった。  どうやらこの家の人たちが帰ってきたらしい。 「お?なごたろういるじゃん〜〜おかえり〜」 「あれ、佐藤さん…酔ってるよな?」    リビングに入ってきたのはべろべろに酔っ払った、佐藤と呼ばれた知らない大人と、それに肩を貸して半ば背負うようにしている佐野だ。 「ああ、永太郎おかえり。早川くんも来ていたのか。いらっしゃい」 「お、お邪魔しています!」  佐野は肩を貸していた佐藤をソファに乱暴に放った。二人がリビングに入ってきたせいか、ひどくアルコールの匂いが部屋に充満した。 「ひどい…佐野、乱暴だ……」 「うるさい、さっさと寝ろ」 酷いや、と佐藤はソファに放られたことにブツブツと文句を言っていたが、だんだんと声が小さくなり、そのまま寝息に変わってしまった。 「すまないな、早川くん。騒がしくしてしまって」  佐野も酒を飲んでいるのか、ほんのりと顔が赤かった。 「ただいま〜お、来てたんだ!」 「…早川!」 「早川くん?久々だな」 岸田と神崎、次々とこの家に住んでいる人たちが帰ってくる。今日は岸田の兄もいるようだ。 「ただいまー」  ぞろぞろと帰ってきた中に、早川の知らない甲高い声があった。  知らない声のはずだが、どこかで聞き覚えのある声に、あれ?と首を傾げる。 「…あっ!」 「え…あ、君は…!」  姿を見てはっきりと思い出した。  大原のクラスにいる、彼の隣の席で、異常に仲の良い女子生徒ーー早川の悩みの原因となっている人物だ。  彼女も早川のことを認識しているようだった。  どうして彼女がここに。スっと血の気が引いた。やはり、彼女は大原にとって何か特別な存在なのだろうか。先程まで穏やかだった心が騒つき始める。  彼女を見つめたまま固まってしまった早川を不思議に思ったのか、岸田が声を掛けた。 「なになに?早川と姉ちゃん知り合いだったの?」  姉ちゃん?姉?  岸田ははっきりと、"姉ちゃん"と言った。  バッと大原の方を向いて助けを求めると、言ってなかったか、とバツの悪そうな顔をした。  あと一人家族がいる、とは聞かされていた。しかし、女の子だとは聞いていなかったし、それが岸田の姉だということも聞いてなかった。家族が同じクラスでたまたま隣の席だなんて話も知らなかった。  知らなかったとはいえ、ずっと大原の家族に嫉妬していたのだ。家族だから仲が良くて当たり前だというのに。  なんだ、家族だったのか、と少しだけホッとした。 「ごめんね、変な誤解させちゃったみたいで。私は陽介の姉の優菜っていいます」 「俺の方こそ…あんな態度とっちゃって、ごめんなさい」 「ああ、あれなら気にしないで。嫉妬なんて、誰だってした事あるんだからしょうがないよ!」 逆にいいもの見せて貰っちゃった、と悪戯っぽく笑う彼女ーー優菜の顔は、良く見ると岸田兄弟にそっくりだ。他人よそういうのを見るのが好きなのは、正真正銘岸田家の血筋なのだろう。  当の本人は気にしていないようだが、早川はあんな態度をとってしまってかなり気不味い。面識はなかったが、一学年上の先輩に対するものではなかったと反省した。 「もう、ナゴったら愛されるねえ〜!」  トン、と優菜が大原の肩に触れながら言った。 「……やっぱり駄目だ!」  家族だと分かっても、触れられると胸がモヤっとした。 彼女の隣に立っていた大原の腕を掴み、自分の方へ引っ張ってしがみ付くように抱き付く。 「え、駿太?」 「…お、俺のナゴだから!!」  しん、とたっぷり5秒ほどの沈黙の後、ヒュウと茶化すような口笛の音が3箇所から聞こえた。もちろん全て岸田3兄弟が発したモノ。 「あー…えっと、駿太?」  抱きつかれた大原の顔は耳まで真っ赤で、家族たちと目を合わせないように片手で顔を覆っていた。  彼の家族の前でとんでもない爆弾発言だったという自覚はあったが、言わずにはいられなかった。

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