28 / 108
9.名前の呼び方と独占欲5
その後、散々岸田3兄弟に揶揄われたが、もう遅いからという理由で逃げるように彼らの家を出た。もちろん、大原も一緒だ。
「あの人、岸田の姉ちゃんだったんだね」
「うん、言ってなかったな…ごめん」
「いや、それはいいんだけど。やっぱりあの兄弟似てるよ…」
「ああ、顔とかじゃなくて…」
性格の悪そうなところが、と二人で顔を見合わせながら言った。同じことを思っていたようだ。
「悪い奴じゃないんだけどな…家帰ったら超弄られそうで怖い…」
「いい奴なのは分かってるよ…俺も明日学校で会ったらなあ…」
きっとニヤニヤしながら自分で遊ぶに違いない。岸田3兄弟の末っ子の楽しそうな姿が目に浮かんで、ため息をついた。
早川はまだ一人相手にしたらいいだけだが、大原は帰ったらきっと三人から攻撃を喰らうことになる。きっかけを作ったのは早川だが、可哀想に、と何処か他人事のように思う。
「そういえば今日、みんなでどっか行ってたよね?」
「ああ、確か朝に話してたな。みんなで焼肉行こうって」
「家族でご飯だったんだよね?行かなくて良かったの?」
「だって、約束してただろ?」
「そんな、俺となんていつでも行けたのに」
普段はあの家にいない岸田の兄も居たし、知らない大人が2人も居た。早川は知らなかったが、きっと大原たちにとって家族のような人たちなのだ。今日は家族が揃った特別な日だったに違いない。それなのに良かったのか、と早川は少し心配になってしまった。
しかし、そんな早川の心配は必要なかったようだ。
「え、別にいいよ。俺が駿太と行きたかったんだし」
さらっと嬉しいことを言われた気がする。家族より、ずっとヤキモチの対象だった岸田の姉より自分を優先してくれた。
嬉しくて照れ臭くて、でもその程度で舞い上がっているのが恥ずかしくて。バレないように口元に手を当てて軽く咳払いをした。
「…大原も、焼肉が良かったんじゃないの?」
もう一回、駿太と行きたかった、とそんなニュアンスの優越感を感じられる言葉が聞きたくて、わざと似たような問いを投げる。
「ううん、駿太がいい。ずっと会いたかった」
大原はさらっと言ったが、「駿太がいい」なんて先程の「俺のナゴ」より質が悪い。この男、たまに無自覚でさらっと凄いことを言ってくる。嬉しすぎて胸がきゅんとした。顔が熱い。きっともう誤魔化せない程度に赤くなっている。
「ってかさ、呼び方」
「え、なに?」
「戻ってる。大原じゃなくて?」
「…ナゴ」
「うん、よく出来ました」
満足そうに笑って、わしゃわしゃと早川の頭を撫でた。やっぱり愛称で呼ぶのは、まだ少しだけ照れ臭い。
「もうそろそろ駅に…って、なんで顔赤くしてんだ?」
「だって!お、俺がいいって…会いたかったって…」
「そんな照れるようなアレだったか…?」
「俺にとってはすごかったの!」
やっぱり無自覚だった。自分以外にも言ってるんじゃないかと少し不安になってしまう。
「…他の人にも、言ってないよね?」
「駿太にしか会いたいとか思わないから、大丈夫だろ」
「…っ!あ〜、もう…」
今日の大原はずるい。次々と嬉しい言葉が出てくる。顔の周りが異常に熱くて、パタパタと手で仰いだ。
早川の様子を見ていた大原が、眉をハの字にして困ったように笑った。幸せだ、と感じている時の顔。
早川はこの彼の顔が好きだ。この顔を見ると自分も満たされた気持ちになる。
「駿太、耳まで赤くなってる……可愛い」
そう言って今度は優しく頭を撫でた。
可愛いは褒め言葉では無い、と早川は言い返したかった。けれども、頭から感じる彼の手の温かさが心地良くて、今は彼の好きなようにさせたいと思った。
二人で過ごす何気ないこの時間。駅まで行くたった5分間でも幸せだ。心か満たされている。
ここ最近ずっと存在していた胸のもやもやは、いつの間にか綺麗に無くなっていた。
ともだちにシェアしよう!