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10.親子喧嘩と手作り弁当5

「ただいまー…」  家に着いたのは23時を回った頃。  早川の家を出る時点で22時を過ぎていたので、彼の両親にすごく心配されたしまったが、大丈夫だと言い張って家を出た。結局、補導もされず無事に帰ってこれたので良しとする。  家の中は静かだった。佐藤と鮫島が来ている日は何だかんだ日付が変わるまで賑やかなのに、今日はそうではない。岸田も神崎も酔っ払いの世話を面倒くさがって部屋に篭ってしまったのだろうか。  リビングには神崎から送られてきた写真のようにソファに転がる佐野と、床に転がる佐藤が居た。2人ともぐっすりと眠っている。  ダイニングテーブルの方に鮫島が居て、静かに本を読んでいた。大原が帰ってきたのに気付くと彼は読んでいた本を閉じ、近くにあったメモ帳に急いで文字を書いて渡して来た。 『おかえり。帰ってきてくれて良かったよ』 「ただいま。心配かけて、ごめんなさい」  紙に書かれた鮫島の言葉を読んで答える。これが話すことの出来ない鮫島とコミュニケーションを取る方法だ。彼は話せないが耳は聞こえるので、こちらがわざわざ書く必要はないのだ。 『佐野もすごく反省していたから、許してやってほしい』 「許すも何も……悪いのは俺だから。ちゃんと謝るよ」  佐野が寝転がるソファの直ぐ近くに膝をつき、ぐっすりと眠る彼の身体を揺さぶる。 よく寝ているように見えたが、彼はすぐに目を覚ました。 「…ああ、良かった。帰ってきた」 「うん。ごめん、佐野さん」 「いや、俺の方こそ……悪かった」  まだ完全に酔いが醒めた訳ではないらしい。ソファから起き上がらず、若干掠れた声でゆっくりと話す。しっかり者の佐野のこんな姿は初めて見た。 「お前は、昔から聞き分けの良い子だったから分かってくれると思っていたが……俺の言葉が足りなかったな」 「佐野さん、ごめん。俺……父親に会った」 「ああ…、本当の親に会いたいと思うのは当然だ。仕方がない」 佐野がやっとソファから起き上がった。ひとり分のスペースを空けて座り直し、大原に座るように促した。 「似てただろ?」 「ビックリするくらい似てた。こんなに似てても……俺のこと、全く愛してなかった」  会った時、父親が自分のことを見る目が怖かった。穏やかなようで全く感情の籠もっていない冷たい視線。今が幸せだ、と大原が言った時の憎しみが込められた視線。実の息子に向けられていい感情ではなかった。    血の繋がった家族は100%の愛を向けられて当然だと、大原は考えていた。  だからてっきり、父親に会ったら今の生活に何か大きな変化が訪れると思っていた。"今まで一緒に居られなくてごめん"、"一緒に暮らそう"など家族らしい言葉があるのではないかと期待していた。    しかしその期待は大きく裏切られてしまう。  彼は1ミリも愛を向けてはくれなかった。それどころか、息子である大原が幸せに暮らしていることを妬んでいる。  そんなこと、知りたくなかった。  血の繋がった親でさえ、無条件で愛してくれることはない。無条件で愛してくれた母親は、もう既にこの世にいない。  自分に無償の愛をくれる相手は、もう存在しないのだろうか。 「大丈夫だ。俺らが居る」  「え……わっ、ちょっと!」  人の心が読めるのか、というようなタイミングで佐野がそう言ってわしゃわしゃと大原の頭を撫で回した。  いつも大原が早川にやるような、少々荒っぽい撫で方。こんな風にされるのは何年ぶりだろうか。 「俺と佐藤と鮫島は、絶対にお前らを家族として愛することをやめない。この家の他の奴らと疎遠になっても、仲が悪くなっても俺たちがいる。もし早川くんにフられても、大丈夫だ」 「…フられる前提はやめてくれよ」 「ははっ、すまない」  最後の一言は余計だと大原は口を尖らせる。乱暴に撫でられてぐしゃぐしゃになった頭を片手で押さえた。  早川相手に良くやる行為だが、いざ自分がやられると何だか照れ臭い。  幼い頃、佐野はこうやって自分たちの頭を 撫でることが多々あった。照れ臭いが懐かしい感じがして、胸が温かくなる。 「……ああ、その顔だ」 「ん?どうかした?」 「大原先輩……、お前の母親を思い出すよ」 「えっ、俺の母さんのこと知ってるの?」  佐野の口から母親の話なんて聞いたことが無かった。  記憶の中にある唯一の血縁者。幼い頃の記憶しかいので曖昧だが、情が深くて、綺麗で優しい。彼女のことを大好きだったことはしっかりと覚えている。 「高校の時の先輩だった」 「仲良かった?」 「ああ、すごく良かったよ」  知らなかった。  思えば、佐野が自身の昔話をするのなんて聞いたことがない。何でも出来そうで意外と不器用なこの男は、大原と同じで自分の話をするのが苦手だったのかもしれない。   「…お前の笑った顔は、あの人にそっくりだな」  眉をハの字にして困ったような顔で笑う、不器用な笑顔。  大好きな先輩だった、と懐かしむように言う彼は、今まで見たことがないほど穏やかな顔をしていた。

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