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11.穏やかな日常と戻らない時間1

「うわ〜……やっちまったあ〜……」  しんと静まりかえった学校の前で、ひとりガックリと肩を落とした。  運動会が終わった後はすぐ前期中間テストがある。テスト期間が始まるのだ。もちろん、部活も補習も全部休み。  そのことをすっかり忘れた早川が、朝練習の時間に登校してしまった。1年生の時にもやってしまった同じ誤ち。  もちろん他の生徒は誰もいないので、教室に一番乗り。2年棟がある3階に行くまで誰ともすれ違わなかったし、どの教室にも人気は無かった。人気があるのは職員室くらいだろうか。  真夏なのに窓がしっかり閉まっている教室は暑い。まだ誰も来ていないので、閉まっているのが当たり前なのだが。  窓際に行ってガラガラと古い窓を開けて、何気なく外を見ると、そこには見慣れた光景がある。  綺麗に花を咲かせた花壇と、水遣りをする長身の男子生徒。 「あれ…、ナゴ?」  一瞬見間違いかと思ったが、間違えるはずが無い。    大原が花に水遣りをしていた。  去年まではほぼ毎日見る光景だったのに、当番制になった今年は初めて見る。 「おーい!」  大声で叫ぶと、驚いたのかビクリと大原が肩を震わせた。前とは違ってすぐに早川に気付いた。 「っ、駿太!」  何で居るんだ、と少し驚いた様子だった。  去年のあの時とは関係が変わったのだから当たり前かもしれないが、すぐに見つけて、大きな声で名前を呼んでくれたとが嬉しい。   「今そっち行くから!待ってて!」  懐かしい感じがして擽ったい。  早く中庭に行きたくて、早く彼のもとへ行きたくて。二段飛ばしで階段を駆け下りた。  誰もいない静かな校舎と二人だけの中庭。 大原が如雨露で花に水を遣る音だけが聞こえる。早川は彼の少し後ろでその姿を黙って見つめていた。  この二人で過ごす時間が、とても心地良かった。だから早川は何度もここに来るようになったのだろう。 「どうしてこんな時間に居るんだ?」  また間違えたのか、と笑いながら大原が言った。以前、似たようなことがあったことを彼も覚えているみたいだ。 「え?いや、ほら。ナゴがひとりだと可愛そうだなって思ってさ!」 「へえ、それはお気遣いどうも」  大原にしては珍しい言い回しだと思った。まるで岸田の兄みたいだ。どうやら今日は機嫌が一段と良いらしい。 「……なんか、機嫌いい、よね?」  何かあったの、と聞いてみると、今日はついてるからなと得意げに言った。 「朝から駿太に会えた」 「え、それだけ?」  くすくすの笑いながら彼は言う彼の顔は何だか嬉しそうだった。きっと半分は冗談で、半分は本気で言っている。少しだけドキッとしてしまった。  揶揄われているだけだと分かっていても嬉しいだなんて、どれだけ彼のことが好きなのだろうか。いよいよ末期かもしれない。 「そういえば……この前は、色々ありがとな」  この前、と言われて何かあっただろうかと考えた。心当たりがあるのは1件だけ。  佐野との関係で、大原が悩んでいたときのことだ。早川は仲直りした方がいいと少し背中を押しただけで、特になにかしてやったつもりは無い。最後は彼自身が素直になったからこそ、問題が解決したのだ。 「俺は別に何もしてないよ?」 「いや、駿太が居なかったらきっとまだギクシャクしたままだったよ…本当に、ありがとう」  大原はいつもの不器用な笑顔でそう言った。  如雨露の中の水が無くなった。また水道で水を汲み、花壇の花へ水を遣る。彼がそうやっている間に、放置されっぱなしのホースを巻いて片付ける。当番だから手伝わなくていい、と彼は言っていたが黙って見ているのも気が引けた。 「あ!そういえば、運動会のリレー!見ててくれた?」  聞きたいことがあったんだ、と早川が声を上げた。  

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