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15.強い想いと小さな未練2
時間が経ったせいか、ニュースやワイドショーであの事件を取り上げられる回数も減った。世間が少しずつ事件を忘れようとしている。そんなある日の事だった。
閉店時間の過ぎた午前1時。佐藤とふたり、店の片付けをしていた。あらかた済んだのでそろそろ帰るかと話していると、急に佐藤のスマートフォンに着信が入った。
既に仕事を終えて家に戻った鮫島からかと思ったが、話すことの出来ない彼は電話をかけてくることはない。
誰だよこんな時間に、と文句を言いながら佐藤は電話に出る。
「…もしもし、久しぶりだな。急にどうした……おう、元気にしてるよ!」
チラッとディスプレイに見えた名前は、大原もよく知っている人物だった。
以前は嫌というほど顔を突き合わせていたのに。暫く会っていなかったせいか、懐かしさを感じた。
「お前もこんな遅い時間に起きてていいのかよ?明日早起きじゃないのか……って、あれか、最近寝れなくなったのか!俺も何だよなあ〜、前はいくらでも寝れたのに朝になると自然に目が覚める………そんなことないって?おい、おっさん扱いすんなよ!同い年だろ…え?ああ、いるけど……」
ちゃんと会話になっているのだろうか、と不安になるほど佐藤が一方的に話しているように聞こえる。仕事終わりでも彼の饒舌は変わらない。
ほい、と佐藤がスマートフォンを大原に差し出してきた。
「お前に代われって」
「え、俺?」
「話してやれよ。寂しがってんだよ」
「うん……もしもし?」
あんなに長い間一緒に過ごしたのに、久々に話すせいか、少し緊張した。
『元気か?永太郎』
「うん、元気だよ。佐野さんは?」
『ああ、私も変わりないよ』
久々に聞いた低くて柔らかい声は、あの頃と何も変わらない。
『悪いな、こんな時間に。仕事で疲れてるだろう?』
「いや、大丈夫。何かあったの?」
『何かあった、というわけじゃないが…』
伝えたい事がある、と言った彼の声からは少し迷いを感じた。佐野が迷うような事に全く心当たりが無くて、大原は首を傾げた。
『私が言うのもおかしいんだがな……来週、彼が走る』
「え……」
誰が、なんて聞かなくても分かる。
自分のせいで辛い思いをさせてしまった、大事な人。
『彼から聞いたよ。約束したんだろう?』
ーーだから、その時は…。
ーーもちろん。絶対応援しに行く。
約束、した。
あの時は、本当に見たいと思った。けれども、今は自分の中に迷いしかない。
自分があの町に行ってもいいのか。彼に近付いてもいいのか。誰にも見つからないように、こっそり行けばいい。でももし、見つかって、拒否られてしまったら。
きっと、耐えられない。
自分から手放したくせに、情けないがまだ未練を捨て切れていないのだ。
「佐野さん、俺……どうしよう………」
『…悪い、困らせてしまったな。まだ1週間もあるから、ゆっくり考えなさい』
おやすみ、と言って電話を切った。
スマートフォンを佐藤に返したとき、どうかしたか、と心配そうに声を掛けられた。何でもないと首を横に振った。ただでさえ自分のことを心配しているこの男に、これ以上心配かけるわけにはいかないのだ。
彼が走ると聞いて驚いたが、本当に嬉しかった。
泣き虫で、落ち込みやすくて、何かあるとすぐ自分に引っ付いて泣いていた。でも明るく元気で、素直で真っ直ぐ。自分にとっては眩しすぎる太陽のような存在。
彼は、きっと自分以上に辛い思いをしていたはずなのに、ちゃんと前へ進んでいた。
自分と離れたこの1年で、きっと強く成長したのだ。まったく立ち直れず、1歩も進めていない自分が情けない。
いつまでもこのままでいてはいけない。彼が追いつかないほど遠くへ行ってしまいそうな気がした。
自分も、前へ進まなければ。
彼との約束を守るために。
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