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15.強い想いと小さな未練3
*
ーーカラン、コロン。
扉に付いた古びたベルが、優しく音色を奏でた。
「いらっしゃい……ああ、今日来るって言ってたもんな。ひとりか?」
「……とりあえず、ひとり」
「ふーん。まあいいや、座れよ」
とある晴れた日の夕方。
店にひとりでやってきたのは神崎だった。優介に言われるがままに、カウンターの席に腰掛けた。
「何飲む?」
「……水」
「え、マジで言ってんの?」
はい、と氷が大量に入ってキンキンに冷えた水をピッチャーからグラスに注いで渡してやると、神崎はそれを一気に飲み干した。
はあ、と一息着くと制服のジャケットを脱いで椅子の背もたれにかけた。
「……暑い」
「確かに今日は暑いけど、まだ6月になったばっかだそ?」
「……夏、無理。きらい」
ぱたぱたと手で仰ぐ彼の姿は、いつもよりぐったりとしているように見える。眉間にシワが寄っていて、綺麗な顔が台無しだ。
何が飲みたい、という問いの返事は聞いていないが、どうせこいつはコレだろ、グラスに注いだオレンジジュースを出してやった。それが正解だったようで、ありがとうと言ってストローに口をつけた。
「…あ、そうだ」
体の暑さも落ち着いたところで、何か思い出したように神崎が声を上げた。
スマートフォンを取り出して弄り出す。何か探している様子だ。お目当の物はすぐに見つかったようで、ぐっと優介の目の前にスマホの画面を突き出した。
「…ん?写真?」
学校指定のジャージを着た神崎と弟と、そして彼らの友達である早川が写っていた。神崎と弟の間に早川が居た、3人で肩を組んでいる。
どうしてこの写真を自分に見せるのか、神崎の意図が全く分からなくて首を傾げた。
「……体育の、運動会練習」
「それは…見たら何となくわかるけど?」
「……3人で、二人三脚する」
だから肩を組んでいたのか、なんて変なことを納得した。3年生になってから、この仲良し3人組は同じクラスになったと聞いていた。だから、運動会も同じ組で同じ競技に出場するのだろう。
二人三脚にしては、少し違和感を感じる並び方だ。ほとんど身長の変わらない弟と早川。そしてこの二人と比べると幾分か身長の高い神崎。本来ならば神崎が真ん中なはずなのだが、何故かその立ち位置には早川が居た。
真ん中という一番負担が大きいポジションに彼が居る。そのことに、大きな意味があった。
「……早川、もう走れるんだよ」
そう言った神崎の声は、いつも通り抑揚はないが少し嬉しそうだ。
あと一月もしないうちに、あの悲しい事件から1年が経つ。
大怪我を負った、走ることが大好きだった彼らの友達。色んな困難を乗り越えて、また表舞台に戻ってきた。
「…これ、送れない?」
「送る…?ああ、あいつに?」
「…うん。連絡先、知らない」
「そりゃあ…お前らに教えたら、早川くんに教えるだろ」
「……たぶん、教える」
「だろうな」
素直すぎるだろ、と呆れた様子で優介がため息を吐いた。
「そういえば、運動会いつ?」
「…再来週の、金曜日」
「へえ。じゃあ、その前にアレじゃん」
アレ、と言っても何のことか分からないと神崎は首を傾げた。
「来週だろ、運動部の」
「…あ、そっか」
「むしろ運動部の彼にとって、運動会より大事なのはそっちじゃないのか?」
「……そうかも」
運動部じゃないから気付かなかった、と神崎は言っていたが納得はしていたようだ。
「……来る、かな?」
「さあ、どうだろうな」
お前が心配してどうすんだ、と優介が言うと神崎は黙ってしまった。
こいつも変わったな、と優介は思う。少なくとも、他人の人間関係をこんなに心配するような奴では無かった。弟以外の仲の良い友達が出来たおかげだろうか。
「そういえば、弟はどうした?」
「……居残り補習」
「あいつ……。一応聞くけど、早川くんは?」
「……早川は来ないよ」
部活だ、と神崎は言った。
最後の大会に向けて頑張っているようだ。
運動部にとって、最後の集大成である夏の大会。
そして、彼らが示す約束の夏。
一緒に居ると不幸にさせてしまう、と言ってこっそりと早川の前から姿を消した彼。当時はその選択が正しいと思ったが、今となっては分からない。
分かっているのは、姿を消しても無駄だった、という事。
早川の彼への強い想いと、彼の中にある未練がまた二人を同じ場所へ導こうとしている。
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