12 / 55

2-06-2 氷室先輩の初恋(2)

氷室先輩は、告白に行くと思いきや、ちっとも山吹先輩の所へ行こうとしない。 「やばい! なんだか、足が動かねぇ。声もだせない、どうしてだ!?」 「はぁ」 気持ちと行動が空回りしているのにまだ気付いていない。 気付かさせてあげようか、と思ったけど、何だか面倒臭い。 僕は、心ここに有らずで答える。 「なんなんだ。これは……」 「はぁ」 早く帰りたいなぁ。 そうだ、帰りに小説の新刊のチェックしよう。 「おい! 同士、こんな時はどうしたらいいんだ?」 「はぁ」 あっ、そう言えば今日はジュンのおすすめの動画見なきゃ。 何ていう名前だったかな? 後でメールで聞こっと。 「はあ、じゃ、分からねえよ」 「はぁ」 そうだ、最近シロに会ってないな。元気かな? 「ねぇ、青山君」 「はい!」 突然、山吹先輩の声で我に帰る。 ふとみると、氷室先輩が睨んでいる。 あれ? 何で怒っているんだろう? それも束の間。 氷室先輩は、すぐに顔が強張って無表情になった。 ああ、なるほど。 山吹先輩が来たからか。 山吹先輩が、返却用ボックスを指さして言った。 「こっちの返却の本って、チェック終わっている?」 「えっと、まだです」 「了解!」 山吹先輩は、返却ボックスの本を取ってカウンターに並べ始めた。 いつの間にか、氷室先輩が僕のすぐそばに来ている。 そして、耳打ちをした。 (頼む、同士。ヤマブキに最近体を鍛えたか聞いて) (そんなの、自分で聞いてくださいよ。同級生でしょ!) (だめだ、とても、そんなこと出来そうもない。頼む!) (もう、しょうがないな……) 山吹先輩は、バーコードリーダーを手にして、テキパキと本に当てている。 僕は、邪魔にならないように、さりげなく話しかけた。 「あの、山吹先輩、最近、体とか鍛えたりしました? ああ、いや、久しぶりに会ったら、体がガッチリとして見えたので」 「おお、よく分かったな。俺、着痩せするからさ。結構筋肉ついているんだぜ、ほら」 山吹先輩は、腕をまくってみせる。 すごい、腕の筋肉。 確かに着痩せするようだ。 隣で見ていた氷室先輩は、その筋肉に釘付けになっている。 (……ゴクリ) (先輩、喉が鳴っています。あと、よだれ出てます……ふふふ) 僕は、氷室先輩に冗談半分で言う。 でも、返してくる余裕はないようだ。 それにしても、山吹先輩の筋肉のつきようは、ちょっと筋トレをしたレベルじゃない。 僕は、不思議に思って尋ねる。 「でも、受験勉強していたんですよね?」 「ははは。勉強がつらくてな。息抜きにジムに通ってたんだ。そうしたら、この通り。体も鍛えられちゃってさ」 山吹先輩は照れ笑いをした。 「そうなんですか。すごいですね」 僕が感心していると、氷室先輩は、突然僕の腕を引っ張る。 そして、カウンターから離れた位置までやってきた。 「痛いですよ。氷室先輩! 離してください!」 「悪い、悪い。どうも、山吹の近くだと、緊張しちゃってさ、ははは」 もう、この人は、積極的なのか、奥手なのか、まったくよく分からない。 氷室先輩は、本棚の陰から山吹先輩を遠目で見つめている。 「なるほど。そういう事か。はぁ、やばい、ドキドキする。きっと、トレーナーを付けてバランスよく鍛え上げたんだろうな。ああ、見たい! 触りたい!」 ぷぷぷ。 可笑しい。 これって、木陰からこっそりと覗き見るか弱い女の子、ってシチュエーション。 僕は、意地悪く言った。 「クスクス。あの、氷室先輩。顔、赤いですよ」 「ちょ、ちょっと、からかうなよ!」 「頑張ってくださいね。ヒ、ム、ロ、センパイ! ふふふ」 氷室先輩は、独り言を言いながら熊のようにうろうろする。 しばらくして、ため息をつくと頭を抱えた。 「はぁあ、だめだ。どうやったら、声をかけられるんだ……」 「今まで、どうやって声をかけていたんです?」 「そんなの簡単さ。いきなりキスして舌絡めて、グダグダいったらパンツ下ろしてフェラな。そうすれば、大抵のやつは落ちる」 「はぁ」 「でも、だめだ……山吹、いや山吹君にはそんなことできそうもない……」 そんなの当たり前とは、思うけど……。 氷室先輩って確かに妖艶な雰囲気を持っている。 だから、氷室先輩の毒牙にかかる人も実際にはいるってことなんだ。 僕は、ちょっと怖くなって、距離を置きつつ言った。 「まぁ、良かったじゃないですか。本当の恋ができて。それでは、僕はこれで」 「ちょっとまて!」 またしても、僕のカバンを掴まれる。 「まだ、何かあります? 僕は、もう帰りたいのですが」 「つれないじゃないか。最後に頼むよ。俺を紹介してくれないか? 山吹君に」 氷室先輩は、僕を拝む。 「はぁ……もう、しょうがないなぁ」 「ありがとう! さすが、同士!」 「だから、一緒にするのはやめてください!」 僕は氷室先輩を連れて再びカウンターまで来た。 そして、パソコンで返却の延滞図書のチェックをする山吹先輩に話掛ける。 「あの、山吹先輩!」 「ん? どうした、青山君? まだ帰らないのか?」 「はい。ちょっと、用事がありまして。ところで、この人、氷室先輩、知ってます?」 僕は、氷室先輩に手を向ける。 氷室先輩は、ニコッとしようとしているけど、ガチガチに緊張していて表情が硬い。 山吹先輩は、氷室先輩の顔をちらっと見て、即答した。 「いや?」 予想通り。 僕は、さっそく紹介をしようと氷室先輩の背中を押して、山吹先輩の前に押し出す。 「その、この人、氷室先輩は、山吹先輩のことをですね……」 「ちょっと待って、ヒムロ、ヒムロねぇ。聞いたことがあるような……」 山吹先輩は、腕組みをして何か考え始めた。 僕と氷室先輩は、顔を見合わせる。 突如、あっ! と声を上げた。 「ああ、思い出した! もしかして、氷室、お前、美映留大受けた?」 「えっ、おっ、おう……」 氷室先輩は、急に話しかけられてビックリした様子。 でも、共通の話題を振られたんだ。 仲良くなるチャンスと思ったのだろう。 ここぞとばかりに食いつく。 「俺は、美映留大の文学部」 「おー。そうか。おれは、経済学部。同じ大学だな。いやー、それで覚えていたんだな」 「ほー。同じ大学なのか!」 氷室先輩の興奮が伝わってくる。 「あれ? それで、俺に話しかけてきたんじゃないの?」 「えっ! そっ、そう! それでさ、話しかけようとしたんだよ。山吹君、いや山吹!」 「そっか、来年からよろしくな! 氷室!」 山吹先輩は、すっと、右手を差し出した。 氷室先輩は、すぐにその手を掴み、左手を添えて握りしめた。 「おう! よろしく! 山吹!」 「じゃあ、また後で」  ということで、再び本棚の影までやってきた。 氷室先輩は、言った。 「はぁ、はぁ。やっべぇ。いきなり手を握ってしまった……」 「よかったですね。氷室先輩」 氷室先輩は、自分の両手をじっと見つめている。 「ああ、これも、同士めぐむのお陰さ。さすが俺が見込んだだけのことはある。男を落とすのは俺よりも一枚も、二枚も上手だな」 「はぁ、もう氷室先輩にはついていけないです……では、僕はこれで」 「あっと、大事な事を言うのを忘れていたよ」 「何でしょうか? 大学の合格報告は聞きましたよ」 「いや、それもあるけど、もともと、これを言うために図書室に寄ったんだ。3年はもうすぐ卒業だからさ」 「はぁ」 なんだろう。 嫌な予感しかしない。 氷室先輩は、口を開いた。 「オトムサ同好会の会長を、めぐむに頼もうと思って……」 沈黙。 僕は頭を回転させて、氷室先輩の言ったことを反芻する。 理解するのと同時に叫んだ。 「何をいっているんですか! 氷室先輩! そんな同好会なんてないし、そもそも会員って僕しかいないじゃないですか!」 「まぁな。でも、これからは、めぐむが盛り立てて行ってくれ! 影ながら応援すっからな!」 「いやです!」 僕は、プイっとよそを見る。 氷室先輩は、まぁまぁ、と言い僕の肩をポンっと叩いた。 「大丈夫だ! お前ならできる! それじゃあな! やべえ、大学生活めちゃくちゃ楽しみだわ。ははは」 「はぁ」 氷室先輩は、さっそく山吹先輩のいるカウンターへ軽やかな足取りで向かっていく。 全く、勝手な人だ。 なにが、オトムサ同好会だ。 そんなのは、即解散するから。 いや、解散というか結成すらされてないから。 今日は、氷室先輩にすっかり乗せられたけど……まぁ、ちょっとは面白かったのも事実。 ふふふ。 本当に変わった人だ。 氷室先輩は。 まぁ、でも、よかったかな。 氷室先輩も、本当の恋に目覚めたんだから。 僕は、カウンター越しに楽しそうに笑う二人の姿を、微笑ましく眺めていた。

ともだちにシェアしよう!