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2-06-2 氷室先輩の初恋(2)
氷室先輩は、告白に行くと思いきや、ちっとも山吹先輩の所へ行こうとしない。
「やばい! なんだか、足が動かねぇ。声もだせない、どうしてだ!?」
「はぁ」
気持ちと行動が空回りしているのにまだ気付いていない。
気付かさせてあげようか、と思ったけど、何だか面倒臭い。
僕は、心ここに有らずで答える。
「なんなんだ。これは……」
「はぁ」
早く帰りたいなぁ。
そうだ、帰りに小説の新刊のチェックしよう。
「おい! 同士、こんな時はどうしたらいいんだ?」
「はぁ」
あっ、そう言えば今日はジュンのおすすめの動画見なきゃ。
何ていう名前だったかな?
後でメールで聞こっと。
「はあ、じゃ、分からねえよ」
「はぁ」
そうだ、最近シロに会ってないな。元気かな?
「ねぇ、青山君」
「はい!」
突然、山吹先輩の声で我に帰る。
ふとみると、氷室先輩が睨んでいる。
あれ? 何で怒っているんだろう?
それも束の間。
氷室先輩は、すぐに顔が強張って無表情になった。
ああ、なるほど。
山吹先輩が来たからか。
山吹先輩が、返却用ボックスを指さして言った。
「こっちの返却の本って、チェック終わっている?」
「えっと、まだです」
「了解!」
山吹先輩は、返却ボックスの本を取ってカウンターに並べ始めた。
いつの間にか、氷室先輩が僕のすぐそばに来ている。
そして、耳打ちをした。
(頼む、同士。ヤマブキに最近体を鍛えたか聞いて)
(そんなの、自分で聞いてくださいよ。同級生でしょ!)
(だめだ、とても、そんなこと出来そうもない。頼む!)
(もう、しょうがないな……)
山吹先輩は、バーコードリーダーを手にして、テキパキと本に当てている。
僕は、邪魔にならないように、さりげなく話しかけた。
「あの、山吹先輩、最近、体とか鍛えたりしました? ああ、いや、久しぶりに会ったら、体がガッチリとして見えたので」
「おお、よく分かったな。俺、着痩せするからさ。結構筋肉ついているんだぜ、ほら」
山吹先輩は、腕をまくってみせる。
すごい、腕の筋肉。
確かに着痩せするようだ。
隣で見ていた氷室先輩は、その筋肉に釘付けになっている。
(……ゴクリ)
(先輩、喉が鳴っています。あと、よだれ出てます……ふふふ)
僕は、氷室先輩に冗談半分で言う。
でも、返してくる余裕はないようだ。
それにしても、山吹先輩の筋肉のつきようは、ちょっと筋トレをしたレベルじゃない。
僕は、不思議に思って尋ねる。
「でも、受験勉強していたんですよね?」
「ははは。勉強がつらくてな。息抜きにジムに通ってたんだ。そうしたら、この通り。体も鍛えられちゃってさ」
山吹先輩は照れ笑いをした。
「そうなんですか。すごいですね」
僕が感心していると、氷室先輩は、突然僕の腕を引っ張る。
そして、カウンターから離れた位置までやってきた。
「痛いですよ。氷室先輩! 離してください!」
「悪い、悪い。どうも、山吹の近くだと、緊張しちゃってさ、ははは」
もう、この人は、積極的なのか、奥手なのか、まったくよく分からない。
氷室先輩は、本棚の陰から山吹先輩を遠目で見つめている。
「なるほど。そういう事か。はぁ、やばい、ドキドキする。きっと、トレーナーを付けてバランスよく鍛え上げたんだろうな。ああ、見たい! 触りたい!」
ぷぷぷ。
可笑しい。
これって、木陰からこっそりと覗き見るか弱い女の子、ってシチュエーション。
僕は、意地悪く言った。
「クスクス。あの、氷室先輩。顔、赤いですよ」
「ちょ、ちょっと、からかうなよ!」
「頑張ってくださいね。ヒ、ム、ロ、センパイ! ふふふ」
氷室先輩は、独り言を言いながら熊のようにうろうろする。
しばらくして、ため息をつくと頭を抱えた。
「はぁあ、だめだ。どうやったら、声をかけられるんだ……」
「今まで、どうやって声をかけていたんです?」
「そんなの簡単さ。いきなりキスして舌絡めて、グダグダいったらパンツ下ろしてフェラな。そうすれば、大抵のやつは落ちる」
「はぁ」
「でも、だめだ……山吹、いや山吹君にはそんなことできそうもない……」
そんなの当たり前とは、思うけど……。
氷室先輩って確かに妖艶な雰囲気を持っている。
だから、氷室先輩の毒牙にかかる人も実際にはいるってことなんだ。
僕は、ちょっと怖くなって、距離を置きつつ言った。
「まぁ、良かったじゃないですか。本当の恋ができて。それでは、僕はこれで」
「ちょっとまて!」
またしても、僕のカバンを掴まれる。
「まだ、何かあります? 僕は、もう帰りたいのですが」
「つれないじゃないか。最後に頼むよ。俺を紹介してくれないか? 山吹君に」
氷室先輩は、僕を拝む。
「はぁ……もう、しょうがないなぁ」
「ありがとう! さすが、同士!」
「だから、一緒にするのはやめてください!」
僕は氷室先輩を連れて再びカウンターまで来た。
そして、パソコンで返却の延滞図書のチェックをする山吹先輩に話掛ける。
「あの、山吹先輩!」
「ん? どうした、青山君? まだ帰らないのか?」
「はい。ちょっと、用事がありまして。ところで、この人、氷室先輩、知ってます?」
僕は、氷室先輩に手を向ける。
氷室先輩は、ニコッとしようとしているけど、ガチガチに緊張していて表情が硬い。
山吹先輩は、氷室先輩の顔をちらっと見て、即答した。
「いや?」
予想通り。
僕は、さっそく紹介をしようと氷室先輩の背中を押して、山吹先輩の前に押し出す。
「その、この人、氷室先輩は、山吹先輩のことをですね……」
「ちょっと待って、ヒムロ、ヒムロねぇ。聞いたことがあるような……」
山吹先輩は、腕組みをして何か考え始めた。
僕と氷室先輩は、顔を見合わせる。
突如、あっ! と声を上げた。
「ああ、思い出した! もしかして、氷室、お前、美映留大受けた?」
「えっ、おっ、おう……」
氷室先輩は、急に話しかけられてビックリした様子。
でも、共通の話題を振られたんだ。
仲良くなるチャンスと思ったのだろう。
ここぞとばかりに食いつく。
「俺は、美映留大の文学部」
「おー。そうか。おれは、経済学部。同じ大学だな。いやー、それで覚えていたんだな」
「ほー。同じ大学なのか!」
氷室先輩の興奮が伝わってくる。
「あれ? それで、俺に話しかけてきたんじゃないの?」
「えっ! そっ、そう! それでさ、話しかけようとしたんだよ。山吹君、いや山吹!」
「そっか、来年からよろしくな! 氷室!」
山吹先輩は、すっと、右手を差し出した。
氷室先輩は、すぐにその手を掴み、左手を添えて握りしめた。
「おう! よろしく! 山吹!」
「じゃあ、また後で」
ということで、再び本棚の影までやってきた。
氷室先輩は、言った。
「はぁ、はぁ。やっべぇ。いきなり手を握ってしまった……」
「よかったですね。氷室先輩」
氷室先輩は、自分の両手をじっと見つめている。
「ああ、これも、同士めぐむのお陰さ。さすが俺が見込んだだけのことはある。男を落とすのは俺よりも一枚も、二枚も上手だな」
「はぁ、もう氷室先輩にはついていけないです……では、僕はこれで」
「あっと、大事な事を言うのを忘れていたよ」
「何でしょうか? 大学の合格報告は聞きましたよ」
「いや、それもあるけど、もともと、これを言うために図書室に寄ったんだ。3年はもうすぐ卒業だからさ」
「はぁ」
なんだろう。
嫌な予感しかしない。
氷室先輩は、口を開いた。
「オトムサ同好会の会長を、めぐむに頼もうと思って……」
沈黙。
僕は頭を回転させて、氷室先輩の言ったことを反芻する。
理解するのと同時に叫んだ。
「何をいっているんですか! 氷室先輩! そんな同好会なんてないし、そもそも会員って僕しかいないじゃないですか!」
「まぁな。でも、これからは、めぐむが盛り立てて行ってくれ! 影ながら応援すっからな!」
「いやです!」
僕は、プイっとよそを見る。
氷室先輩は、まぁまぁ、と言い僕の肩をポンっと叩いた。
「大丈夫だ! お前ならできる! それじゃあな! やべえ、大学生活めちゃくちゃ楽しみだわ。ははは」
「はぁ」
氷室先輩は、さっそく山吹先輩のいるカウンターへ軽やかな足取りで向かっていく。
全く、勝手な人だ。
なにが、オトムサ同好会だ。
そんなのは、即解散するから。
いや、解散というか結成すらされてないから。
今日は、氷室先輩にすっかり乗せられたけど……まぁ、ちょっとは面白かったのも事実。
ふふふ。
本当に変わった人だ。
氷室先輩は。
まぁ、でも、よかったかな。
氷室先輩も、本当の恋に目覚めたんだから。
僕は、カウンター越しに楽しそうに笑う二人の姿を、微笑ましく眺めていた。
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