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2-09-3 めぐむの覚悟(3)
その晩夢を見た。
料亭のような和室。
目の前には、雅樹と拓海さんが座っている。
カッコよくスーツで決めた雅樹。
対して、拓海さんは、ゆったりとした和装。
僕は、二人の前に正座する。
僕もスーツを着ている。
ああ、これは結婚の申し込みのようなシチュエーションだ。
僕は、頭を下げる。
「拓海さん、弟さんを、雅樹さんを僕にください!」
雅樹を見ると、すこし頬を赤らめている。
なんだか、かわいい。
拓海さんは、あぐらをかいて腕組みをしている。
「めぐむ君、本当に雅樹を幸せにできるのか?」
僕を試すような表情。
怖くて、背筋が凍りそうだ。
僕は、ついた手にぐっと力を込める。
ここで、負けちゃだめだ。
僕は、精一杯の声で答える。
「はい! 雅樹さんを幸せにします!」
「ほう? 本当に幸せにできるのか?」
拓海さんは、そう言うと雅樹を引き寄せ肩を組む。
「こいつは、ちょっとの事では幸せにできないぞ」
拓海さんは雅樹の頬を指先でつーっと触る。
「ちょ、ちょっと、兄貴、やめろよっ、あっ」
雅樹は、拓海さんの腕を振り払おうとするけど、ガッチリと固められて動けない。
拓海さんは、嫌がる雅樹の耳たぶをはむっと咥える。
「あっ、兄貴、やめてくれ!」
雅樹は、言葉とは裏腹に気持ちよさそうな声。
「何言っているんだ、雅樹。いつものように可愛がってやるから」
拓海さんは、そのまま、ぴちゃぴちゃ雅樹の耳を攻める。
雅樹は、あっ、あっ、と喘ぎ声。
そして、拓海さんは、雅樹のネクタイを緩めると、シャツのボタンを外し始める。
「兄貴、やめろって、めぐむが見ているだろ? はぁ、はぁ」
拓海さんは、雅樹の首筋に舌を這わす。
僕は、あっけに取られていたけど、ようやく声を出した。
「拓海さん! 雅樹が嫌がっているじゃないですか! やめてください!」
拓海さんは、僕に一瞥する。
「ははは。嫌がっているように見えるか? 雅樹は俺の愛撫が好きでたまらないんだよ。俺も雅樹のことを愛しているんだ」
「そっ、そんな……兄弟なのに」
僕はがっくりとうなだれる。
拓海さんは、雅樹の胸元から手を入れ、乳首あたりを弄っているようだ。
雅樹は、時折、身体をビクッと震わせる。
「諦めるんだな、めぐむ君。君の出る幕はない。友達なら許すが、恋人にはさせられないな。俺が恋人だからさ。ははは」
拓海さんは、そのまま雅樹に唇に唇を合わせる。
僕は叫ぶ。
「あーだめー! やめてよ! 雅樹!」
僕は、汗びっしょりで起きた。
とんでもない夢だ。
兄弟同士であんなことになってしまうなんて……。
はぁ、はぁ。
でも、雅樹の気持ちよさそうな顔。
あぁ、思い出すと、ちょっとキュンとする。
ふぅ。
で、どうして僕のペニスは勃起しているんだ。
僕は自分の頭をポカポカ叩く。
もう! 僕は何を考えているんだ!
僕は、そう言いながらも、そっと自分のペニスを取り出して触った。
結局は、拓海さんの真意はわからない。
シロが言うように、雅樹に悪い虫が付かないようにしているだけなのか?
はたまた、別のことなのか。
雅樹に相談しようか。
でも、もし、拓海さんが本当に雅樹を愛していたらどうしよう。
雅樹と拓海さんは気まずくなってしまうのではないか。
雅樹を困らせてしまう。
それは、避けたい。
悩みに悩んで、よし、もう一度拓海さんに会って、直接聞いてみよう、という考えに至った。
僕はさっそく、財布から名刺を取り出し、連絡先を確認した。
拓海さんとの待ち合わせ場所は、美映留中央駅の駅前公園。
僕は、学校の帰りに急いで向かった。
拓海さんは、僕よりも先に約束の場所に来ていた。
どうしたんだろう?
拓海さんは、子犬を抱えている。
犬の散歩?
確か、雅樹の家には犬はいなかったはず。
拓海さんは、僕に気が付いて手を挙げた。
「めぐむ君の方から連絡とは、一体どうしたんだ?」
僕は思わず夢の中で見た拓海さんをタブらせる。
首を振る。
いや、いや、そんなはずない。
僕は、深呼吸をした。
そして、話を切り出す。
「いえ、拓海さんがこの間言ったことが気になって……」
「俺が言ったこと?」
僕は、拓海さんの目を見つめる。
「『雅樹にふさわしくない』ってどいう意味なんですか?」
僕と拓海さんは近くのベンチに座った。
拓海さんの膝には可愛らしい子犬。
慣れているのか、おとなしくしている。
拓海さんは言った。
「そうか。気になったか」
「はい。それは……ものすごく……」
僕はうつむきながら言った。
拓海さんは、遠くを見るような目つきをした。
そして、話し出した。
「雅樹ってさ、昔からだけど、困っている人をほおっておけない。そんな奴なんだ」
「はい」
「そのためには、自分の犠牲もいとわない。わかるか?」
拓海さんは、僕の顔を見る。
僕は頷く。
僕にもわかる。
以前、雅樹が言っていたセリフ。
『頑張っているやつを応援したい』
誰かのために、自分ができる事をする。
その裏返しなんだ。
拓海さんは言った。
「ちょっと前だけど、あいつ、突然バイト始めたんだけど、知っている?」
僕はドキっとした。
そうか。
家族なんだもん。知っていて当たり前か。
僕は、「はい」と答えた。
「そりゃ、頑張って働いていたよ。いや、頑張るどころじゃないな。身を粉にしてってやつだ。正直、見てられなかったよ。でも、『黙ってやらせてくれ』ってさ。俺はピンときたよ。また、誰かのためにやっているんだなって」
拓海さんの目から見ても雅樹が無理をしているのが分かったんだ。
やっぱり、相当にハードだったんだろう。
誰かの為。
そう、それは、僕の為だ。
胸がぎゅっと締め付けられる。
拓海さんは僕の顔をじっと見た。
そして言った。
「それって、めぐむ君。君のためじゃ、ないのか?」
僕は体をビクンと震わせる。
無言でいたけど、拓海さんには伝わったようだ。
「雅樹は俺の大事な弟だ。もう、決してあいつを悲しませるようなことはさせない」
拓海さんは、握りこぶしを作り何かを思い出しているようだ。
きっと、僕の知らない何かが過去にあったんだ。
そして、拓海さんは言葉を続ける。
「俺は、君を最初に見たとき、なんとなく雅樹と釣り合っていない気がした。あぁ、別に君を批判しているわけじゃない。ただ、言い方は悪いけど、雅樹は君になんらかの同情をしているじゃないかと思った」
僕の胸に突き刺さる。
同情、その言葉。
僕が薄々感じていた言葉。
恐れていた言葉。
頭の中が真っ白になる。
「そして、君もそんな雅樹に甘えているだけに見えた。つまり、それが釣り合っていないってこと、ふさわしくないってことさ」
なにも言い返せない。
まったくその通りだ。
雅樹は、僕の為、僕達の為に頑張った。
じゃあ、僕は?
なにもしていない。
ただ、雅樹を見ていただけ。
雅樹のお荷物。
そう、かつて、病気のせいにして何も努力をしなかった自分と何ら変わりがない。
僕は自分の手をみる。
プルプルと震えている。
雅樹にふさわしくない。
本当に、その通りじゃないか。
僕は、今になって、拓海さんの言葉を理解することができた。
その時、野球帽をかぶった男の子がこっちへ走ってくるのが見えた。
「あぁ、ラッキーだ! ラッキー!」
僕は、放心状態のまま見上げる。
男の子が声を上げると、拓海さんの膝にいた子犬はすぐに反応する。
ワンワン!
子犬は、抱き着く男の子の胸の中で収まると、これでもかというほど、しっぽを振る。
「ありがとうございました」
いつの間にか、長い髪の女の人が、僕達の傍らに立っていた。
ああ、この間、拓海さんと一緒にいた人だ。
深々とお辞儀をしている。
拓海さんは、いやあ、と頭をかく。
「ありがとう、お兄ちゃん!」
男の子が、子犬を抱いたまま拓海さんに駆け寄った。
拓海さんは、男の子の頭を撫でると、優しく言った。
「よかったな。ラッキー。おうちの人が見つかって。ぼうず、もう、目を離すんじゃないぞ!」
「はい!」
男の子は元気よく答えた。
「うん。いい子だ」
拓海さんは、にっこりと笑った。
長い髪の女の人と男の子は、お礼をすると立ち去っていった。
何度も振り返ってはお辞儀をし、拓海さんは、その度に手を振る。
姿が見えなくなるまでそうしていた。
僕は、放心状態から脱して、やっと頭が回りだしていた。
どうして拓海さんが子犬を抱いていたのか、ようやく理解した。
拓海さんは犬探しの依頼を受けていたのだ。
先日のカフェで、長い髪の女の人は、涙ながらに依頼を説明していた。
きっと、拓海さんは、話を聞きながらスマホに情報を入力していたのに違いない。
あの時、僕が拓海さんにいだいた印象は、全くの誤解。
拓海さんって、やっぱりいい人なんだ。
雅樹に似ている。
「悪かったな。ちょっと仕事でな」
拓海さんは、照れくさそうに言う。
「いいえ」
僕は、微笑みながら言った。
僕は、改めて拓海さんの顔をじっとみる。
そして、心の中でまとめた気持ち。
正直な気持ちを口に出した。
「拓海さん。たしかに、拓海さんの指摘はあっていると思います」
「ほう、素直に認めるのか」
拓海さんは意外そうな顔をした。
「はい。雅樹は、やさしいし、たぶん僕に同情して付き合っているところもあると思う」
拓海さんは黙って僕の言葉を聞きてくれている。
僕は、胸に両手を置く。
そうだ、今の僕が駄目なのはわかっている。
でも、これから。
僕はこれから、何ができるのか。
それなのだ。
だから、僕は拓海さんにお願いをするんだ。
「でも、僕だって、雅樹のためなら何でもできる自信はあります。いまは、まだですけど……きっと、雅樹に釣り合うだけの、ふさわしい、相手になります。だから、もう少しの間、見守っていては頂けないでしょうか?」
拓海さんは、僕の言葉を受け止めてくれたようだ。
「なるほど……たしかに、めぐむ君は、今までとは少し違うのかもな。分かった。あと、すこし雅樹との交際には目をつぶろう。でも、雅樹が悲しむようなことがあれば、即別れてもらうからな」
拓海さんは、微笑みながら言う。
「分かりました。ありがとうございます!」
僕は深々と頭を下げた。
拓海さん、ありがとうございます。
僕は、これから何をしなくてはいけないのか。
何をすべきなのか。
真剣に考えなくてはいけない。
そんな当たり前のことを失念していた。
拓海さんは、そんなダメな僕を叱ってくれた。
そして、僕が一歩踏み出すために背中を押してくれた。
そう思う。
本当に、ありがとうございました。
拓海さんは、「めぐむ君、もう、頭をあげろよ」と言うと僕の頭を撫でた。
「はい!」
僕は、元気よく答えた。
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