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3-11-2 予備校ロマンス(2)
翌日。
僕は、さっそく少し早起きをして、電車に乗り込むと、美映留中央駅に降り立った。
予備校の自習室に向かう。
今の時期は、ちょうど受験シーズンが落ち着いたところで、生徒の入れ替えになっている。
だから、自習実室は思いのほか空いている。
「こんなに早く来なくても大丈夫だったかな?」
僕は、席に座りながらつぶやいた。
ヘッドホンを借りて、ビデオで授業を視聴する。
和歌の解説が始まった。
僕が苦手な部分。
「へぇ。これは、いいな。よし、家でも復習しよう」
ノートを取り始める。
僕は、得した気分になって、満足気になっていた。
だから、誰かが僕の肩を叩くのをすぐには気付かなかった。
「あれ? 誰?」
僕が振り向くと、神楽さんの姿。
にこにこしながら、僕のことを見ている。
はぁ……。
なんか、しつこい。
「何か用ですか?」
僕はヘッドホンを少し浮かして、目を合わさずに言った。
ちょっと冷たい口調になっていたかもしれない。
神楽さんは、すぐに表情を曇らせる。
「ごっ、ごめん。勉強中だったよね。なんでもないんだ……」
そう言って、どこともなく去っていった。
ふん!
ナンパをするために予備校に来るなんて。
講義のビデオを一通り見終わり、僕はびっしりとメモをとったノートを満足気に見返した。
もしかして、コツがわかったかも。
苦手を得意にする。
まさにこのこと。受験勉強の定石だ。
僕は、興奮冷めやらぬ中、荷物をまとめた。
ふと、喉の渇きを覚えた。
そういえば、ぶっ通しで勉強してたな……。
よし、飲み物を飲んでから帰ろう!
僕は、休憩所の自販機でジュースを買った。
ちょうど、自販機からお茶のペットボトルを取り出したところで、誰かに僕の名を呼ばれた。
「青山さん、ごめん。なにか、怒られるようなこと、したかな?」
神楽さんだ。
僕は、神楽さんを見る。
この際、ちゃんと言っておいた方がいい。
しつこくされるとせっかくいい感じで上がってきた勉強熱に水を差されてしまう。
「ちょっと、そっちで話しましょうか?」
僕は、隅のベンチを指さした。
僕は話を切り出した。
「神楽さん、僕は勉強をしにここにきているんです」
「ああ、わかっている。俺もだから」
「なら、勉強をしましょうよ」
僕はきっぱりと言った。
「その……僕をナンパするみたいなこと、やめてください。迷惑です」
「えっ。なっ、ナンパだなんて。そんなつもりは……」
神楽さんは、焦って手を横にふる。
「ねぇ、神楽さん。僕は男です。女の子じゃないですよ」
「そっ、そんな事分かっている。でも、ごめん。そんな風に感じてしまったんだったら……ただ、友達になりたかっただけなんだ」
友達? いけいけしゃしゃとよく言ったものだ。
僕は、だんだん腹が立ってきた。
「もう、話し掛けないでください。失礼します!」
僕は、席を立つと、エレベータに乗り込んだ。
ふぅ。
変なちゃちゃが入ったけど、気持ちを入れ替えてっと。
よし、明日は、語句の復習のビデオを見よう。
次の日も、予備校に出向き、授業のビデオを見る。
せっかくだからと取る予定のない講座の講義を見た。
うんうん。
見ただけで、勉強ができるようになった気分。
ふふふ。
これは、気のせい。
ちゃんと、復習して頭に叩きこまないと、すぐに忘れてしまう。
自分の物にできないんだ。
ふー。
僕は、伸びをした。
ちらっと、横を見ると、神楽さんが座っている。
えっ?
どうして?
そして、僕と同じようにビデオを見ている。
何だろう、日本史? いや、世界史の授業のようだ。
神楽さんは、僕に気づき、「やあ!」と手を挙げた。
「あぁ、青山さん、怒らないでよ。いや、ちゃんと、勉強しているから。俺も」
「でも、どうして……」
僕は、自習室を見回す。
僕の横以外だって、席はたくさん空いている。
わざわざ、僕の横に座ることはないじゃないか。
僕の考えは察し済みのようだ。
「どこに座ってもいいだろ? 別に話すわけじゃないんだから」
「そっ、それはそうだけど……もう、勝手にしてください!」
「ああ、そうするよ。ところで、お昼一緒にどう?」
「いきません!」
僕は、間髪入れずに答えた。
予備校の自習室に行くのが習慣になってきている。
ただ今日は、午前中は雅樹とデートを堪能した。
キスは、できなかったけど、手を繋いでイチャイチャした。
これだけでも、僕の雅樹エネルギーは充電される。
あぁ、受験生とはいえど、息抜きは大事。
本当にそう思う。
雅樹は午後からは部活。
そう、バスケ部の春の大会に向けた猛練習がある。
雅樹は大変だ。
部活に勉強に、そして僕。
うふふ。
『僕に』だなんて……。
ちょっとニヤニヤしてしまう。
そんなわけで、リフレッシュした気分で、ショッピングモールを出て中央駅へ戻って来た。
今日も、午後は予備校で授業のビデオを見る予定。
さてと、今日は何を見ようかな!
ルンルン気分で予備校のエレベータに乗って気が付く……。
はっ! しまった!?
女装のまま来てしまった……。
ムーランルージュで着替えてから来るつもりが、うっかりした。
エレベータを降りたら、すぐに戻ろう!
予備校の自習室のある階に着くと、すぐに下りのエレベータを呼んだ。
早く、来ないかな……。
うずうずして、待っていると、僕の方に向かって誰かが叫んだ。
「萌香!」
もえか?
たしかに、そう呼ばれた。
人違い?
僕は、声のした方を見る。
そこには、神楽さんが目を見開き立っている。
しまった……。
一番、見られたくない人に見られてしまった。
でも、僕のことを人違いしているようだ。
それなら、このまま気付かない振りをしていれば大丈夫。
僕は、エレベータの移動階の表示を見つめる。
バタン!
大きな音がした。
僕は、はっとして見ると、神楽さんが、その場に倒れていた。
えっ?
どうしたの?
何がどうなったのか、状況が掴めない。
僕は、混乱して立ち尽くす。
「人が倒れているぞ!」
誰かが叫ぶ声が聞こえた。
なんだ、なんだ、と人が集まる。
どうして?
僕のせい?
神楽さんは、数人に運ばれてベンチに寝かされた。
「大丈夫か!」
誰かの声に僕はビクっとして、スイッチが入ったかのように神楽さんの所に駆けつけた。
「神楽さん! 神楽さん!」
僕は、無我夢中で神楽さんの名前を呼ぶ。
神楽さんは、うーんと唸る。
よかった。
気が付いた。
そして、ゆっくりと目を開いた。
僕と目が合う。
「萌香、萌香……なのか?」
また、僕とは違う名前。
僕は首を横に振る。
「違うよ。神楽さん。僕はめぐむだよ。青山 めぐむ」
「えっ? めぐむ?……萌香じゃない?」
神楽さんは、手を伸ばして僕の頬を触ろうとした。
僕はその手を取り、自分の頬に押し付けた。
神楽さんの手。
温かい。
もしかして、神楽さんってそんなに悪い人じゃないのかも……?
その手からはそんな感じがした。
神楽さんの腕の力がスッと抜ける。
そして、また目を閉じてしまった。
気を失ってしまったようだ。
僕は、神楽さんの手を取り、ゆっくりと胸の位置に下ろしてあげた。
しばらくして、救急隊員が駆けつけてくると、僕はスッと場所を開けた。
そして、人知れずその場を離れた。
もう、大丈夫。
神楽さんが倒れたのは、僕のこの姿のせい。
だから、僕はここにいない方がいい。
そう思ったからだ。
僕は、ムーランルージュで着替えを済ませると、そのまま家路についた。
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