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3-11-3 予備校ロマンス(3)

神楽さんは、僕のことを萌香、たしかに、そう呼んだ。 きっと、僕の女装がその萌香という人に似ていたんだろう。 そして、神楽さんにとって、萌香さんは気を失うほど大事な人。 気になる……。 でも、一方で、僕は関係ないんだ。 あまり関わらない方がいい。 そんな風にも思う。 「ああ、でも、気になって、勉強に手が付かないよ……」 よし! 明日、もし予備校で神楽さんの元気な姿を見れたら、直接話を聞いてみよう。 萌香さん、という人のこと。 真相を聞き出すだけ。 それだけ。 それに、今日の出来事は僕にも責任がないとは言えないんだから……。 そう自分に言い聞かせた。 翌日。 僕は、午前中から予備校へ出かけた。 今日は、お試しで授業のビデオを見れる最終日。 自習室には、神楽さんの姿はなかった。 昨日の今日だ。 しょうがない、気持ちを切り替えて、勉強に集中しよう! そうだった。 漢文の講義も見ておきたい。 そう思ってビデオを見るけど、昨日のことで頭がいっぱいで、ぜんぜん頭に入ってこない。 ふぅ……。 僕は、ヘッドホンを外して天井を見ながら伸びをした。 「やあ、青山さん」 「えっ、神楽さん?」 僕は、驚いて椅子から落ちそうになった。 「ははは。危ないな。転ぶよ」 神楽さんは、椅子の背もたれを抑えて楽しそうに笑った。 表情を見ると、元気そうだ。 顔色も悪くない。 大丈夫なのだろうか? 「どうした? 俺の顔に何かついているか?」 「ううん。平気なの?」 「ああ、そうか。昨日の事、知っているんだ。やっぱり、昨日の子は、君なんだね?」 神楽さんは、真剣な表情で僕を見つめる。 僕は、うん、と無言で頷いた。 「どうして、女装をしていたのか?」とは、尋ねられなかった。 その代わり、「俺の話、聞いてくれないか?」と言われた。 僕は、「いいよ」と答えた。 休憩室の奥のベンチに僕と神楽さんは座る。 神楽さんは、話し始めた。 「昨日のこと。驚かせちゃったよね」 「うん。びっくりした」 神楽さんは、照れたように頭を押さえて笑った。 「俺、萌香って言ってなかった?」 「うん。僕の事をそう呼んだ」 そう。萌香さんって、神楽さんにとってどんな人なんだろう。 僕は、再び神楽さんが口を開くのをじっと待った。 しばらくして、神楽さんは続きを話し出した。 「萌香は、俺の妹なんだ」 「妹さん?」 「ああ。昨日の君は、瓜二つだった。あまりの突然なことに俺は気が動転してしまった」 でも、たかが妹さんに似ていたぐらいで。 ちょっと大袈裟な気がする。 そう思ったけど、僕は黙って神楽さんの言葉を待った。 「実は、妹は3年前に死んだんだ」 「えっ?」 僕は驚いて目を見開く。 神楽さんは、悲しそうな目つきをした。 口から言葉を一生懸命に押し出す。 「難病で、闘病の末、命を引き取った……俺はどうすることもできなかった」 神楽さんは、顔を両手で抑えた。 涙を覆い隠すように……。 僕は、思わず神楽さんの頭を、自分の胸に抱いた。 神楽さんは、僕の胸でしばらく涙を堪えていた。 「ありがとう。そして、ごめんな、青山さん」 「ううん。いいよ」 「実は、一昨年のオープンキャンパスで君を見かけたとき、俺はびっくりしたんだ。萌香の生き写しだったから」 僕は、1年生の時のオープンキャンパスを思い出す。 そういえば、確かに僕の顔を見て驚いていた気がする。 「でも、君は男の子だった。正直、ホッとしたよ。もし、女の子だったら萌香が生き返ったと発狂していたに違いない」 「あの時はそんなことは言わなかったよね? たしか」 「ああ。あの時は、萌香を失って、すこし自暴自棄になっていたから。正直、なにもかもがどうでもいい、って思っていた。君と会うまでは」 神楽さんは、前を見据える。 「君を見て、妹が駄目な俺を叱りに現れた。そう思った。『しっかりしなさい。お兄ちゃん』って。それから、俺なりに頑張ったつもり。でも、心残りは、君と連絡が取れなくなってしまったこと。たしか、美映留高校だった。手掛かりはそれだけ。でも、きっとまた会える。そう、信じていた。そして、ここで青山さん。君と再会したんだ。もう、これは運命だ。そう思った」 神楽さんは頭を下げる。 「ごめん。君の言う通り、ナンパみたいに思ったよね。気を悪くさせてしまった。申し訳ない」 「初めから、友達になりたい。って言えばよかったのに」 「いや、そう言ったと思うけど?」 「ううん。いきなり連絡先を聞いてきたし」 「そっ、そうだったけ? 俺もテンパっていたからさ。ははは」 神楽さんは、声を出して笑った。 少し元気が出て来たようだ。 ちょっと、ホッとする。 僕は、神楽さんの事を誤解していたようだ。 僕は、頭を下げた。 「神楽さん、ごめんなさい。失礼な態度を取ってしまって……僕も色眼鏡で見ていたかも。神楽さんって、遊んでいる人っぽかったから」 「いいって。実際に前はそうだったからさ」 お昼の鐘が鳴った。 僕は、神楽さんに提案する。 「ところで、神楽さん。お昼一緒に食べにいかない?」 「いいねぇ。このビルの一階のファミレスは?」 「うん。いいよ!」 お昼を食べ終わり食後のコーヒーを飲む。 こうやって、神楽さんと一緒に食事をすると、不思議な気持ちになって来る。 昔からの友達の様な親密さ、そして安心感が生まれるのだ。 神楽さんは、コーヒーカップをテーブルに置き、口を拭った。 そして、僕を見て言った。 「青山さん、今日はありがとう。青山さんの誤解も晴れたし、友達にもなれた。これで思い残すことはないな」 「思い残すことはないって、大袈裟じゃない? 4月から講座で会えるでしょ?」 神楽さんの大袈裟な表現に、僕はクスッと笑う。 「なぁ、青山さん。また、お別れなんだ……」 「えっ? どうして?」 僕は、驚いて聞き返す。 「うん。実はさ、大学は文系志望だったけど、やっぱり理系、それも医学部を目指すことにしたんだ」 僕は、医学部と聞いてピンと来た。 「もしかして、妹さんのこと?」 神楽さんは、頷く。 「ああ。妹を看病していた時は、ずっと妹を治すために医者になりたい。ずっとそう思っていた。でも、心が揺らいでいた。俺が医者になれるはずがないって」 神楽さんは、遠い目をする。 しばらく沈黙が続いた。 僕は、黙って神楽さんの言葉を待った。 「でも、そんなとき、君と再会した。妹がまた君を通じて、『お兄ちゃんならできるよ』って、言いに来た。そう思えてならないんだ。ははは。俺の勝手な思い込みなんだけどな」 神楽さんは、自嘲するように笑った。 「医学部の専門の予備校に行こうと思う。せっかく、青山さん、君と友達になれたけどまたお別れ」 迷いの無い目。 もう、決断したんだ。 かつての夢に向かって歩き出す。 そんな神楽さんに、僕が言える事はこれだけだ。 「うん。そっか。僕も応援するよ。神楽さんだったらできるよ」 「ありがとう。でも、そこは、『お兄ちゃんならできるよ』って言って欲しかったな。ははは」 「ふふふ」 僕達は、声を出して笑った。 二人を清々しい空気が包み込む。 今の神楽さんなら、きっとお医者さんになれる。 そんな確信のようなものを感じていた。 僕は、提案する。 「ねぇ、神楽さん。連絡先、交換しようよ。友達になったんだから」 「ああ、友達になれたのかな? 俺たち。でも、連絡先の交換はやめておこう。君は、特別なんだ。また、俺の人生の岐路で悩んだときに、君と再会できそうな気がする。それまでは、お預けだ」 神楽さんは、そう言うと優しく微笑んだ。 「なんか、カッコつけた?」 「あはは、ばれたか」 神楽さんは、クスクス笑う。 「でも、僕はそんなに都合よく神楽さんに会えるか自信ないけど」 「大丈夫。君は俺の道しるべなんだから……」 「なんか、照れるんだけど……そんな言い方されると」 僕は、神楽さんの冗談とも取れる言葉をもしかしたら本気かも知れない、と思っていた。 神楽さんは、改まって言った。 「でも、最後に、お願いがあるんだ。聞いてくれないか?」

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