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3-18-3 愛ゆえに(3)

久遠さんは話し始めた。 「僕は、酷い人間なんです」 「えっ?」 僕は、久遠さんの意外な言葉に思わず聞き返す。 「僕には、高校の時、好きな人がいました。たぶん初恋です。でも、その人を無理矢理、犯してしまったんです」 僕は驚いて声を上げる。 久遠さんが? 誰かを犯す、だなんて。 そんな、事って……。 「驚きましたか?」 「はい……信じられません」 久遠さんは、言った。 「僕は、そういう人間なんです。失望しましたよね?」 「いいえ。久遠さんは、それを悔いている。ほら、それが証拠に、今泣いているじゃないですか」 僕は、ハンカチを手渡す。 久遠さんは、お礼を言って、僕のハンカチを目に当てる。 込み上げてくるものを必死に抑えようとしているんだ。 そして、声を絞り出すように話を続ける。 「その人の名前は、ユヅキ」 「ユヅキ? もしかして……」 「そう、男です。仲の良い男友達でした」 僕は、少し驚いた。 でも、そうかもしれない。と心のどこかでそんな予感をしていた。 「ユヅキは、泣いていました。親友からそのような行為をされたのです。当たり前です。僕は、何度も謝りました。でも、その度にユヅキは黙って首を振り、僕を許そうとはしませんでした」 ユヅキさんは、一体どのような気持ちだったのだろう? 親友からの突然の暴行。 人を許せないほどの怒り、悲しみ、悔しさ、恨み。 でも、それだけ? もっと、違う感情があったのではないか? 僕がそんなことを考えている間に、久遠さんの話は先に進む。 「僕は、高校を卒業して大学に進学しました。そこで、妻に会いました。妻は、美しくて優しい人で、僕のつらかった高校時代の傷を癒してくれるのには十分でした。僕は彼女に夢中になりました。そして、大学を出るとすぐに結婚したのです。そして、ユヅキとのことは次第に過去の物になっていきました」 そこまで言うと、久遠さんは沈黙した。 僕は、頃合いを見て問いかける。 「その人が、フーカ君のお母さんですか?」 「そうです。直ぐに、フーカが生まれ、僕は幸せの絶頂でした。そんなある日、一通の手紙がきました。ユヅキからです。僕は戦慄しました。そこには、僕を好き、愛していたという告白が書かれていたのです」 そっか。 やっぱり……。 きっと、首を振ったのは、謝罪の言葉じゃなくて、愛している、の言葉が欲しかった。 そういうことだったんだ。 「忘れていた、いや忘れようとしていた思いが蘇ってきてしまった。僕は、無理矢理に彼を犯して、傷つけてしまったのに……。そして、僕もユヅキの事を愛している。その事を思い悩みつづけました」 久遠さんは、そんなつらかった日々でさえ懐かしむように目を細めた。 「ある日、そんな僕の様子を訝しんだ妻が、僕を問いただしました。僕は、正直に話しました。すると、妻は、悲しそうな顔をして、やっぱりそうだったのね、と言い残し家を出ていったのです。僕は、妻への申し訳ない気持ちでいっぱいになりました」 久遠さんは、うなだれた。 涙がぽつりと落ちる。 僕は理解した。 ユヅキさんを愛している。 すぐにでも、会って、愛を確かめ合いたい。 でも、奥さんへの謝罪の気持ちがそうはさせてくれないのだ。 優しい人……。 自分をずっと責めて生きている。 寂しくても、寂しくても、自分に鞭を打って……。 ああ。 可哀そう。 僕にできることはないだろうか? たかだか高校生の僕だけど……。 雅樹、どうしよう? やれることを精一杯やればいいよ、めぐむ。 きっと、そう言うだろう。 うん。 よし、やってみよう! 僕は、思い切って口に出す。 「僕は、奥さんはきっと、頑張って、という気持ちだったと思います。きっと、久遠さんを問いただした時には、すでに察していたのではないでしょうか?」 「どうして……」 「だって、フーカ君は、風花と書いて、ユヅキさん、って雪月って書くんじゃないですか?」 「えっと、その通りです。分かりますか?」 「はい。僕でも、分かりますよ。ふふふ。だから、奥さんもわかっていたはず。どうして風花という名前にしたんだろう。おかしいって。それで、(つい)になる名前を持った人が現れれば、ああ、そう言うことか、と思ったに違いありません」 「そうですね。浅はかでした。風花と名付けたのは……」 「いいえ。浅はかだなんて、そんなことありません! きっと、久遠さんの心のどこかではユヅキさんとの絆を失いたくなかった。そうですよね?」 僕の指摘に、久遠さんは素直に頷く。 「めぐむさんのおっしゃる通りです」 「だから、奥さんは知っていてケジメを付けたかった。たぶんそういう事だと思います。奥さんへの謝罪の気持ちと言うのであれば、これまで独りで仕事に子育てに頑張ってきたんです。もう十分ではないでしょうか?」 「本当に、十分だと思われますか? めぐむさん」 「ええ。十分だと思います」 久遠さんは、すがるような目を僕に向ける。 「めぐむさん、これを見てもらえますか?」 久遠さんは、引き出しから手紙の束を取り出すと、僕に見せた。 「こうやって時折、妻から手紙が来るのです。新しい家族を自慢するかのように……。手紙が来るのは、僕を恨んでいるのだと思います。『わたしを捨てたのを忘れてはいけない』って……」 久遠さんは、そう言うと顔を両手で覆った。 僕にはわかる。 自慢じゃない。ましてや恨みなんて違う。 「久遠さん、今の話を聞いて、僕は確信しました」 「えっ?」 久遠さんは、顔を上げた。 「別れた奥さんは、とうに久遠さんを許しています。そして、逆に、久遠さんとフーカ君の事を心配しているのだと思います」 「どうして……?」 「『自分は幸せになったから、今度はあなたの番』そう、伝えたいのではないでしょうか?」 「そっ、そんな……。まさか……」 間違いない。 これは、奥さんからの応援なんだ。 僕は、久遠さんの頭をそっと胸に抱く。 「良いんですよ、久遠さん。幸せになって」 僕は、優しく久遠さんの髪の毛を撫でる。 久遠さんは、気持ちの整理をしている。 だから、僕は黙ってそうしていた。 久遠さんが口を開いた。 「でも、たとえ妻が許してくれたとしても、ユヅキと、男同士で愛し合うなんて……」 「いいえ、おかしい事なんて無いですよ」 僕は即答する。 「えっ?」 「だって、僕もそうだから」 「めぐむさんも?」 久遠さんは、驚いた顔で僕を見る。 僕は優しく微笑む。 「はい。僕が付き合ってる人は、同級生の男の子です。僕達は、お互いに好きで好きでしょうがなくて。たまたま男同士だっただけなんです」 当たり前のことのように僕は答える。 僕は、なぜか誇らしい気持ちになっていた。 堂々と雅樹と僕との事を言える。 なんて、気持ちがいいんだ。 そんな僕を、久遠さんは眩しそうに見る。 「すごいですね。めぐむさん」 「そんな事はないです。正直に生きて行きたいって思っているだけです。あれ? 僕、ちょっと生意気でしたね。ははは」 久遠さんは、僕の笑顔につられて微笑む。 「いいえ、僕はずっと悩んでいたのに、もう乗り越えているなんて。尊敬します、めぐむさん」 「そんな、尊敬だなんて……」 僕は照れながら、ポケットからスマホを取り出した。 そして、スマホの画像を見せながら話す。 「これ、彼なんです。そして、横の子は僕」 「えっ? 女性?」 驚く久遠さんに、僕はにっこりとする。 「ふふふ。そうなんです。僕、実は女装するんですよ。外でデートするときは。可笑しいでしょ? ふふふ」 「そんな事ないです。可愛いです」 久遠さんは、尚もスマホの画像に見入っている。 「そう言ってもらえると嬉しいです。男同士だと確かに不便な点もあります。でも、こうやって工夫すればそんな不都合はないんです!」 ちょっと、興奮しちゃったかな。 しかも偉そうなことを言ってしまった。 でも、久遠さんには伝わったはず。 その証拠に、久遠さんの瞳には今までにはなかった光が映っている。 希望。 きっと、そうなんだ。 久遠さんは、改めて僕に問いかける。 「そうですね。僕は、ユヅキの事を愛して良いんですよね?」 「はい」 「めぐむさん、ありがとう。めぐむさんに相談できて本当に良かった」 久遠さんは、突然、僕にギュっときつく抱き付いた。 「めぐむさん、今だけは、このままでいさせてください。お願いします」 全身でありがとう。 そう言っているようだった。 「ねぇ、久遠さん」 「なんでしょうか? めぐむさん」 少し体が離れる。 僕は、その隙に、久遠さんの唇にキスをした。 愛しているのキスじゃない。 頑張ってね、のキス。 久遠さんもそれを分かっている。 だから、ありがとう、ってキスを受け入れてくれる。 長いキス。 んっ、んっ、んっ……。 はぁ、吐息が漏れる。 「めぐむさん。僕は、めぐむさんが好きになってしまいそうです」 久遠さんは、目がとろんとしている。 頬もほんのりと紅潮している。 きっと、久しぶりのキスだったんだ。 「クスッ、ダメですよ。ユヅキさんが待っています。浮気しちゃ!」 「ははは、そうでしたよね。すみません、めぐむさん。でも、今だけは、良いですよね?」 「ええ、良いです。でも、今だけですよ」 僕と久遠さんは、またキスの続きを始めた。 キスに夢中になっていると、目の前を見て、はっとした。 シャワーを出たユータとフーカ君が裸で立っていたのだ。 「あれ、どうしてパパとお兄ちゃんはチューしているの?」 そんなフーカ君の問いにも、久遠さんは落ちついて答える。 「それはね、パパがお兄ちゃんのこと、好きだからだよ」 「好きだったらチューするの?」 「ああ、そうだよ。『好き』だったら、キスをして気持ちを伝えるんだ」 「じゃあ、僕もユータ君にチューしたい!」 フーカ君は、拳を握り、口を尖らせる。 ユータは、フーカ君を見て恥ずかしそう僕に耳打ちする。 「ねぇ、めぐむ兄ちゃん、僕もフーカにチューしたい……」 「うん、ユータ。優しくね」 僕は、ユータの頭を撫でてあげる。 お許しが出て二人は、嬉しそうに抱き合う。 「フーカ!」 「ユータ君!」 チュッ、チュッ。 二人は、何度も何度もキスをする。 互いの『好き』を確かめ合うように……。 僕と久遠さんは、そんな二人を見て、クスっと笑った。 「めぐむさん、子供は純粋で素直で凄いですね」 「ええ。久遠さん、僕達も負けていられないですよ」 「はい」 僕と久遠さんも二人に負けないように、再びキスを始めた。

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