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第8話
「箸使ったコト無いってえ~!?」
晋は大声で叫んだ。
「なんじゃそら!?今までどーやって飯食ってたんだよ!?」
「ええと……」
真新しいエプロンを身に着けた天城は、情けない表情をして晋の前で大きな身体を縮め、頭を掻いている。
「食事は……軍支給の、バータイプの固形食か、でなければチューブだったので……」
「ずっとそうだったの?」
ノアが訊ねた。
「うん、ずっとそう……戦場以外で食事する必要があった時も手かスプーンで食える物しか食べた事なくて……それに、今の宿舎では箸やフォークの所持は禁止されてるし」
「なんで禁止?」
晋はぽかんと訊ねた。
「さあ……尖ってるから、かと……」
「刑務所かなにかみてえだなあ……でも外でなら使っていいんだろ?というか、使ってもらわなきゃ仕事になんないよ」
「はい、許可は取って来ました」
天城が笑顔で答える。
「とんでもないの雇っちまったなもう……」
厨房へ入りながら、晋はブツブツ言った。
天城が晋の所で働き始めて数日後、人造兵の教育担当官が店に訊ねてきた。人の良さそうな初老の男性で、天城を雇ってくれてありがとうと何度も頭を下げられ、晋は照れて苦笑いした。
「いやその……そんな感謝されなくても。こっちも人手がね、必要だったから」
「天城君はねえ、穏やかで気の良い奴なんですよ。ただ敵側製の人造兵のことはまだまだ怖がる人が多いし、あの体格だからね、普通のとこじゃ敬遠されるかなと思って心配してたんです……いやいい職場が見つかって良かった良かった……」
担当官はそう言い、嬉しそうな様子で帰って行った。晋は彼を見送りながら、じゃあ一応、良いことをしたのかなという気持ちになった。
慣れない仕事なので天城は失敗も多いが、とにかく誠実だった。なにかヘマをやらかしてもごまかそうとする姿勢は一切ない。一緒に働くうち、晋は天城のことが徐々に気に入り始めていた。
それから一週間ほどが経った。いつも通り店を開けると、きっちりとスーツを着込んだ背の高い男が入って来た。庶民的なこの店には不釣合いなほど硬く冷たい雰囲気を漂わせている。ノアがメニューを持って席に案内しようとすると、彼はそれを断った。
「申し訳ないが客じゃないんだ。私は革命軍から派遣された者でね、責任者の方にお話を伺いたいんだが、いいかい?」
「はい……」
ノアに呼ばれた晋は、厨房から出てきて男とテーブルについた。
「この間の人と違うね……担当替わったの?」
晋は聞いた。
「この間の?……ああ、教育担当官のことですか」
「うん、確か、そう言ってたかな」
「私は監察担当官なので、教育担当とは所属が違うんです」
「ふうん……?あの人から天城のあんちゃんのことは一通り聞いたけど……まだなんか説明あるのかい?」
男は穏やかな笑みを浮かべながら、テーブルの上で両手を組んだ。
「いえ、特に説明はありません。経過監察体第一号のこちらでの様子について聞かせて頂きたいのです」
「経過カン……なに?」
「天城のことです」
晋は顔をしかめた。
「なんで経過ナンタラなんて言い方するんだい……名前で言やいいものを……」
男はそれには答えず言った。
「一号は、ここではどんな状態ですか?」
「どんな状態、って……」
「何か不審な行動を取ったり、突然暴力を振るうようなことは?」
「暴力て……ちょっと待ってよ。そら確かにあいつ、力ありすぎでカップの取っ手折っちまったりとかしたけどさあ……」
「器物損壊ですか!書類をお渡ししますので、すぐに当局へ被害届を提出して下さい」
「器物損壊~!?」
晋は驚いて声を上げた。
「止めてよ!それじゃあ犯罪じゃないか……違うって、そんなんじゃないよ。あいつはただ、ちょっとどんくさいってだけで……」
男は晋を見据えて言った。
「油断なさらないでいただきたい。一号はあくまで仮釈放中の身です。何をしでかすかわからない。いいですか、アレは、本来危険な物なのです」
スーツの内ポケットから取り出した名刺を押し付けてくる。
「どんなことでも構いませんので、気になった点はすぐに私の方へご報告下さい。小さな兆候を見逃さないようにお願いします――人々の安全を守るためにも」
その厳しい物言いに晋は思わずたじろぎ、何も言い返すことが出来ないまま名刺を受け取った。
「おっちゃん……あの人、なんだって……?」
男が帰って行った後、ノアが晋に訊ねた。天城と共に奥で仕込み作業をしていたノアは、会話は聞いていなかったようだがどことなく不安げな様子をしている。
「あ?あー、なんだかムズカシイ事言っててさ、よくわからなかったよ――」
晋は笑ってそう誤魔化した。
いつものように忙しい一日が過ぎた。晋は売り上げが入った手提げ金庫をレジ台から取り上げ、厨房へ戻って辺りを見回した。天城は晋から教わった通りきっちり全ての道具を定位置へ戻している。調理台や流しもピカピカに磨き上げられていた。
力があるから――綺麗になるんだよなあ、と晋は思った。それに、意外と覚えが早い――ジャガイモ剥き要員もそろそろ卒業させてやるか――その天城とノアは、今は裏へゴミを出しに行っているようだ。
厨房の裏口を開けて外を覗くと、裏庭に置いてあるごみ用の大きなポリバケツの前で二人は仲良さげに寄り添い、夜空を見上げて何事か話していた。
「あの辺かなあ――僕がいた星」
「うーん、ここからだと星の位置が変わっちまってるから、方角がよくわかんねえな」
「キオ、元気にしてるかな……」
「元気だよ、きっと。待とう、いつか必ず会えるから」
「うん――」
小さく頷いたノアの肩を、天城が優しく抱き寄せる――晋はそっとドアを閉じ、厨房へ戻った。
店の電気を消しながら思った。あいつが――天城が危険なんて、絶対そんな訳はない。ナンタラ一号、だなんてあいつを呼ぶような冷たい男が、あいつのことを知ってるはずもない。
そうして晋は、エプロンのポケットに入れていた監察担当官の名刺を取り出し、千切って捨てた。
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