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第10話
呆れたことに、それからも音羽は毎日古書店を訪れた。判で押したように同じ時間に同じ制服姿で現れ、同じ時間に帰って行く。
「ルーチンワークに組み込みやがって……もうちょっとここ来るのためらうとかして、恥じらいを見せて欲しいものだよ……」
津黒はぼやいた。しかしまあ……なかなかに上物の肉体を、こちらの好きに触らせてくれるのはありがたいことだ――反応は皆無だが。
「あのさあ……今日ちょっと、こっち来てもらっていい?」
その日、いつも通り店を訪れた音羽に津黒は言った。そのまま音羽を店の地下にある倉庫に連れ込む。
「考えたんだけど、どうも音羽ちゃんをその気にさせるのは無理のようだから……俺が勝手にその気になるよう演出させてもらう事にしたから」
「演出?」
訊ねた音羽の肩を抱き、倉庫の奥に用意した椅子に座らせた。
「両手上げて。ハイ、ばんざーい」
音羽は素直に従った。津黒は傍らの棚に置いてあった手錠を取り上げ、音羽の右手首にかけた。鎖を上にある配管に引っ掛け、左手首にも手錠を嵌める。音羽は椅子に腰掛けたまま、両手を頭上に拘束される形になった。
「うーん、なかなかいいじゃないのよ」
津黒は一歩退き、音羽の姿を眺めて満足した。全然抵抗しないから繋ぐ必要など無いが、こうして自由を奪ったことにしておけば少しは気分がのる。
「目隠しもしちゃうよ――いい?」
津黒は音羽に近付いて、耳元で脅かすように低く囁いた。
「かまわない」
表情も変えず音羽は即答する。
「もう少し……怯えるとかしてくれてもいいんじゃないのかなあぁ~……」
用意してあった布を手に取りながら、津黒はぼやいた。
布で音羽の視界を奪う。
「うん、良い眺め。我ながらいいアイディアだった……」
津黒はほくそ笑んだ。これで下半身だけ脱がせたら、更に卑猥さが増す。
「楽しませてもらうよ、音羽ちゃん……」
言いながら津黒は音羽に被さった。
撫で回したり嘗め回したりしていると――不意に音羽の太腿の辺りがぴくりとわずかに動いた。え?まさか今――反応したの?と津黒は期待した。ひょっとして……努力の甲斐があった?
その時――頭上でパン、というような音が響いた。不審に思って上を見上げた津黒は、ぎょっとして叫び声を上げた。
「ええぇっ!?」
それは音羽が手錠の鎖を引き千切った音だった。両腕が自由になった音羽は、津黒の背後に片手を伸ばし、何かを掴んでいるようだ――振り返ると後には、いつの間に近付いたのか木刀を握った男が立っていて――音羽はその木刀を掴み止めているのだった。どうやら津黒に向かって振り下ろされてきた物らしい。
「おま――北村!?ナニやってんだ!?」
男の顔を見て津黒は叫んだ。北村は津黒の昔からの友人で、地下活動時代の仲間でもある。
「そりゃこっちの台詞だろうが!この――ド変態めがッ!」
北村が吠えた。
「店主の知り合いだったのか?」
目隠しを外した音羽が不思議そうに訊ねる。
「襲ってきたからてっきり侵入者かと――失礼しました」
北村の持つ木刀を放し、音羽は詫びた。
「いいのいいの!こんなのに謝る必要無いの!オイ北村、いつ入って来たんだよ?」
北村はそれには答えず、木刀を投げ捨ていきなり津黒の襟首を取って引き寄せると、額に青筋を立てながら低い声で唸るように言った。
「地下通路の暗号キー、変えておけって言ったはずだぞ……!前のがバリバリ通用するじゃねえか……!」
「あ、忘れてた」
「忘れてた、じゃねえ!」
一応騒ぎが収まって――地下倉庫から上がって店に戻った津黒は、いつもの定位置の椅子に腰掛けた。脇のガラスケースに肘をつき、音羽が千切ってしまった手錠の片側を指にかけて回しながらため息をつく。
「まさかこんな簡単に壊せるとはなあ……」
「申し訳ない。弁償する」
服を整えた音羽が店に出てきて言った。
「いや、いいのいいの。お陰で木刀でぶん殴られずに済んだんだから――でもなんで気付いたの?目隠ししてたのに」
「不審な音が聞こえて熱探知に切り替えたら、店主の背後に人が迫っていたもので」
「熱探知?そんなこともできるのか。すげーなあ……」
「感心してる場合じゃないだろう……!」
津黒が普段足乗せにしている向かいの椅子に座った北村が、声を殺して言った。こちらに背を向け本棚に歩み寄って行った音羽を目で示す。
「なんなんだあいつは!?どういう事だ!?地下で何やってたんだ!?」
津黒は顔をしかめた。
「一辺に聞くなよ……お前こそ、なんでいきなり襲いかかってきたりしたんだよ……」
「若い男を手錠で拘束して、おかしな行為に及んでるからじゃねえか!」
「俺の勝手でしょ……そうだ木刀の隠し場所変えよ。護身用に備えといたのに侵入者に使われちゃ意味がねーや……」
「勝手で済むか!あんな事して、訴えられてパクられでもしたらどうする気だ!?お前の事だ、サツに引っ張られたらきっと保身の為になんでもベラベラ喋りやがるだろ!道連れはご免なんだよ!」
津黒は表向き、革命軍への民間人協力者として評価されている。だが、地下活動時代、津黒の日和見的な態度に不審感を抱く者もいた――実際、小さい情報の政府への密告など、小遣い稼ぎのため際どい事をした経験もある――それは北村も同じことなのだった。
「革命軍の役人の中にゃ俺達に目ェつけてる連中もいるんだぞ!?自覚しろよ!」
「音羽ちゃんはサツにチクったりしないから安心してよ。合意の上なんだから……」
「合意の上!?なんだそりゃ!?」
「身体と引き換えにウチの本を読ませてやる、っていう条件なのよ」
「弱味につけこんでるだけじゃないか……」
北村はため息をつきながら壊れた手錠に目をやった。
「……それ、プラスチックじゃないよな?」
「違うよ。玩具じゃ気分出ないし」
「気分がどうこうって問題じゃねえだろ!?それ簡単にぶっ壊した音羽って……ありゃ一体なんなんだ!?」
「政府軍の人造兵だよ。ニュースで見なかった?」
北村は目を剥いて津黒を見た。
「なんだよ、怖い顔して……」
「性欲が無い人造兵相手に猥褻行為かよ!?どこまで節操がないんだお前は!」
「だってさあ……見てよあのケツ。上玉だろ?」
棚の前で熱心に本を選んでいる音羽をこっそり指差し、津黒は北村に囁いた。北村がげんなりした顔をする。
「まあ……お前の好みのタイプだって事は見りゃわかるがな……」
思いついて津黒は口にした。
「なあ、なんであいつ、無駄に美形なのかな?人造兵なんて戦地で使い捨てる物だろ?なんだかもったいねえよなあ……」
北村は腰掛けている椅子の背凭れに寄りかかりながら、それに答えた。
「政府のお偉いさんの中にも、お前みたいな変態がいるんだよ」
「どういうこと?」
「式典なんかで目の前に兵隊を並べた時、見目が良い方が気分良いだろ」
「――それだけの理由?」
「それだけじゃないだろうな。あいつらを、バイオペットみたいに夜のお相手として使用する、軍や政府の高官もいるって話だ。何しろ兵士連中は上の奴らにゃ絶対服従だからさ、好きな奴を好きに出来る」
「ええ!?羨ましい……道理で、身体にも質の良い人造素材が使われてる訳だ……」
北村が津黒を睨む。津黒は首を竦めながら言った。
「そういう事なら納得いくけど……でもさあ、人造兵って……不感症通り越して反応皆無なんだぜ。面白くないよ」
「だからコントロールするんじゃないか。人造兵用の発情誘発剤みたいなのがあって、それ使えば自由自在らしい」
「そうなのか……いい身分だなあ、政府の奴らって……」
北村がため息をつく。
「羨ましがってる場合かよ……お前、あいつが革命軍の監視下にあるの知らないのか?」
「知ってるよ。門限九時だって。過保護だよなァ」
「門限どころの話じゃなく、どこで何やってたか逐一調べられてるんだぞ?」
「逐一ぃ?……マジで……?」
北村が頷きながら言った。
「お前の行為も軍に筒抜けかもしれんぞ」
「ウソでしょお……」
北村は立ち上がり
「とにかく、もう関わらない方がいい。それから、暗号キー新しい方に変えるの忘れるな。古いのは奴らも知ってるんだ、何に利用されるかわかったもんじゃないから」
と言い残して店から出て行った。
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